最近NHKの全国合唱コンクールの、高等学校の部と中学校の部を聞きました。それぞれ一度に聞くには長い時間でしたから、録画しつつ聞いて、残りを後で録画で見ました。この合唱コンクールは毎年殆ど聞いています。人間の声の美しさは、どんな楽器よりも素晴らしいと思っていますので、合唱には興味があります。
今年の中学校の課題曲は、「友 旅立ちのとき」であり、高等学校は、「ここにいる」というそれぞれに相応しい歌でした。課題曲と自由曲を歌い、各都道府県のコンクールを勝ち抜き、全国を幾つかに分けたブロックに勝ち抜いた学校が、10校ほど選ばれて、金・銀・銅賞を競うのです。
私自身は声が悪く、歌も下手でしたから、出場のみんなのうまさに感動し、何処か気後れさえも感じました。毎回秋のこのコンクールは楽しみの時間なのです。
各学校とも、先ず基礎的な体力作りをして、それから詩の解釈を十分にして、それを歌声に乗せて、一つにまとまったハーモニーで曲の心を相手に届くように歌うわけですから、並大抵ではありません。
どの学校もうまかったので、中々難しかったですが、私は私なりにAB・・等と評価て聞いていました。結果発表でどの高校や中学校が選ばれたか、ということがとても楽しみでもありました。
不思議なことに私が一番良いと感じた高校・中学がどちらも金賞でした。今年はそのことにも我ながら驚きました。
みんな良く詩を解釈し、強弱やハーモニーに心を砕いて、聞く人の心に届けとばかりに歌っていましたが、さすがに高校生ともなると、一段と垢抜けて見事に聞こえました。
一人一人の感動する心が一つにまとまって奏でられる声の美しさに陶然として聞いていました。
詩の心を理解するということは、言わんとしている人の心に寄り添うことであり、それはとても美しく素晴らしいことだと感じました。若い人達の豊かな感受性が光っていて、受賞して喜び合うその純粋な笑顔にも、遠く忘れていた感情がこみ上げて来て、微笑ましく眺めました。
私は最近自分の短歌を作る感性が鈍ってしまって、中々満足な短歌が詠めず、それを老化現象のせいにして、もう止めようか、と何度も考え、最近は新聞の歌壇への投稿も休みがちになりました。ブログもしっくり来ないというか、書いてみても何時も乗せる時には、気後れがします。「上手く書こうとする欲や見栄が邪魔をする」と家族にも笑われています。素直に気持ちの赴くままに書けばよいのに、推敲し始めると際限がなくなって、やがてこれでは駄目だと自信がなくなり、投稿を諦めたり、原稿を没にしたりです。
若者の短歌を読むと、目が醒めるような感性に驚いたり、定型からはみ出した短歌に出会って、おろおろしたりです。
90歳に近い偉大な師とも仰ぐ人さえも、毎日勉強をしておられるとお聞きして、まだまだ怠け者の自分に、むち打って見習うべきことだと心に誓ったりしています。
NHKの講座で、沢山の先人の秀歌を読むように指導を受けて以来、もう30年も図書館通いが続いています。また傍らには何時も数冊の歌集を置いて、直ぐに手に取って読めるようにもしています。時に万葉集や啄木などを読み返し、感性を磨いたり原点に立ち戻る努力をしています。
電子辞書は殆ど放さず、歌語辞典や、類語辞典など、様々な辞典類も引きます。一方自然に親しみ、季節の移り変わりや世の中の出来事を敏感に感じ取る心を持つように、心がけています。
短歌を作るのだから、短歌の本だけ読むのではなく、詩の本も良く読みます。美しい詩から流れて来る感情とリズム感が、新しい短歌として生まれ変わったりします。素晴らしい言葉に出会った時も心がときめき、早速書き留めて、そこから私の感情に結びつけて短歌が生まれることもあります。
あれこれ言っても、矢張り言葉が好き、短歌が好きと言うことになりましょうか。
合唱コンクールから思い出した、私の好きな詩を紹介します。
谷川俊太郎 詩集から
心の泉
水はわき水はあふれて
たゆみなく大地うるおし
よみがえる緑はぐくむ
心また流れ渦巻き
ひたむきに明日へとむかう
ほとばしれ 心の泉
歌はわき歌はあふれて
山をこえ空にこだまし
せめぎあう世界をむすぶ
心なお光きらめき
ともどもに明日を夢見る
たたえよう 心の泉
揺れ動く心を歌に折り込んで静かに生きん秋深まりぬ(あずさ)
今年の中学校の課題曲は、「友 旅立ちのとき」であり、高等学校は、「ここにいる」というそれぞれに相応しい歌でした。課題曲と自由曲を歌い、各都道府県のコンクールを勝ち抜き、全国を幾つかに分けたブロックに勝ち抜いた学校が、10校ほど選ばれて、金・銀・銅賞を競うのです。
私自身は声が悪く、歌も下手でしたから、出場のみんなのうまさに感動し、何処か気後れさえも感じました。毎回秋のこのコンクールは楽しみの時間なのです。
各学校とも、先ず基礎的な体力作りをして、それから詩の解釈を十分にして、それを歌声に乗せて、一つにまとまったハーモニーで曲の心を相手に届くように歌うわけですから、並大抵ではありません。
どの学校もうまかったので、中々難しかったですが、私は私なりにAB・・等と評価て聞いていました。結果発表でどの高校や中学校が選ばれたか、ということがとても楽しみでもありました。
不思議なことに私が一番良いと感じた高校・中学がどちらも金賞でした。今年はそのことにも我ながら驚きました。
みんな良く詩を解釈し、強弱やハーモニーに心を砕いて、聞く人の心に届けとばかりに歌っていましたが、さすがに高校生ともなると、一段と垢抜けて見事に聞こえました。
一人一人の感動する心が一つにまとまって奏でられる声の美しさに陶然として聞いていました。
詩の心を理解するということは、言わんとしている人の心に寄り添うことであり、それはとても美しく素晴らしいことだと感じました。若い人達の豊かな感受性が光っていて、受賞して喜び合うその純粋な笑顔にも、遠く忘れていた感情がこみ上げて来て、微笑ましく眺めました。
私は最近自分の短歌を作る感性が鈍ってしまって、中々満足な短歌が詠めず、それを老化現象のせいにして、もう止めようか、と何度も考え、最近は新聞の歌壇への投稿も休みがちになりました。ブログもしっくり来ないというか、書いてみても何時も乗せる時には、気後れがします。「上手く書こうとする欲や見栄が邪魔をする」と家族にも笑われています。素直に気持ちの赴くままに書けばよいのに、推敲し始めると際限がなくなって、やがてこれでは駄目だと自信がなくなり、投稿を諦めたり、原稿を没にしたりです。
若者の短歌を読むと、目が醒めるような感性に驚いたり、定型からはみ出した短歌に出会って、おろおろしたりです。
90歳に近い偉大な師とも仰ぐ人さえも、毎日勉強をしておられるとお聞きして、まだまだ怠け者の自分に、むち打って見習うべきことだと心に誓ったりしています。
NHKの講座で、沢山の先人の秀歌を読むように指導を受けて以来、もう30年も図書館通いが続いています。また傍らには何時も数冊の歌集を置いて、直ぐに手に取って読めるようにもしています。時に万葉集や啄木などを読み返し、感性を磨いたり原点に立ち戻る努力をしています。
電子辞書は殆ど放さず、歌語辞典や、類語辞典など、様々な辞典類も引きます。一方自然に親しみ、季節の移り変わりや世の中の出来事を敏感に感じ取る心を持つように、心がけています。
短歌を作るのだから、短歌の本だけ読むのではなく、詩の本も良く読みます。美しい詩から流れて来る感情とリズム感が、新しい短歌として生まれ変わったりします。素晴らしい言葉に出会った時も心がときめき、早速書き留めて、そこから私の感情に結びつけて短歌が生まれることもあります。
あれこれ言っても、矢張り言葉が好き、短歌が好きと言うことになりましょうか。
合唱コンクールから思い出した、私の好きな詩を紹介します。
谷川俊太郎 詩集から
心の泉
水はわき水はあふれて
たゆみなく大地うるおし
よみがえる緑はぐくむ
心また流れ渦巻き
ひたむきに明日へとむかう
ほとばしれ 心の泉
歌はわき歌はあふれて
山をこえ空にこだまし
せめぎあう世界をむすぶ
心なお光きらめき
ともどもに明日を夢見る
たたえよう 心の泉
揺れ動く心を歌に折り込んで静かに生きん秋深まりぬ(あずさ)