ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

命を繫ぐ

2013年07月10日 | 随筆・短歌
 猛暑の地域が広がって、全国的に熱中症が増えています。私も過日自分で気付かぬ内に脱水症になっていて、医師の点滴を受けて元気になりました。たまたまかかりつけの医師の診察日で、待合室にいて急に脱力感に襲われ、ぐたぐたになったのです。受付の女性が異常に気付いて下さって幸運でした。前日夕方から水分補給が不足していた事に、具合が悪くなるまで自分では気付かなかったのです。
 本人が自分の異常に気付いた時は、もう動けなくなっているのでだということを経験的に知りました。重症の熱中症は余程気をつけていないと、気付いた時には意識が遠のいていて、自分では水分を補給出来ない状態になっているのではないかと思いました。大げさに聞こえるでしょうが、この時私は「生きている」と実感したのは事実です。 
 今私が生きていると言うことは、ずっと長い年月をさかのぼって太古の昔からの遺伝子を、確実に受け継いで存在している訳です。両親から半分ずつ引き継いだ遺伝子を持つ者同士が結婚して、その子が生まれる。そしてやがて結婚して、とこれを延々と繰り返して引き継がれてきた命を、生きている訳です。
 同じ親から生まれても、受け継いだ遺伝子に依って、当然性格が異なります。でもそれは総て親が持つものでありますから、親に似るのは当然です。もし何代か前の家族の中に、祖先と違う人が入ったとしたら、今の私は存在しないと思うとこの世は神秘に包まれていると思えて来ます。
 そう思うと、偶然の積み重ねであっても、親子として家族を成して、仲良く暮らしてゆくということは、本当に不思議なことであり有り難い事です。
 万葉集に山上憶良の歌として「瓜食めば子供思ほゆ栗食めばまして偲ばゆいづくより来たりしものぞ眼(まなかひ)にもとなかかりて安眠(やすい)し寝(な)さむ」「白銀も黄金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」という歌があります。皆さんも良くご存じの歌ですが、私が大好きな歌です。
 子供は親にとってかけがえのないものですし、育てる楽しみは、何ものにも代え難いものがあります。「生まれて来てくれて有り難う。育てさせて貰って有り難う」というのが偽らざる気持ちです。でもそれは成人まで。後は元気で生きて居てさえ呉れれば、何処で何をしていてもいい、喜びを持って生きていてくれれば、それだけで嬉しい。<困った時は、ここが港>それを忘れなければ、何処でどのように生きて居てもそれだけで十分有り難いのです。
 私が好きな相田みつをも言っています。

子供へ一首
 どのような道をどのように歩くとも
 いのちいっぱいに生きればいいぞ   みつを
~~~~~~~

いま泣いたカラス
   柔 軟 心

いま泣いたカラスがもう笑う・・・
子供の世界はいつでもそうだ
大人のわたしは
そうあっさりとはゆかない
面子やら体裁やら照れくさい
なんてことが
いつでもつきまとって
そんな早わざはできない

面子、体裁、照れくさい
みんなまわりを気にしてのこと
なんで気にするの・・・
少しでも自分を
カッコよく見せたいと思うから
誰に見せたいの・・・
それは人間
常識豊かな人間
分別豊かな人間
相手はいつも人間

幼い子供は
仏の世界にいるから
人間の常識を相手にしない
泣くときは全身で泣き
笑う時は全身で笑う
一所懸命泣いて
一所懸命笑う
しかも泣くことから
笑うことへの
転換がすばやい
頭の切り替えが速い
なぜ・・・?

子供の頭がやわらかいから
子供はこころがやわらかいから
やわらかい仏のこころを
生きているから
柔軟心を生きているから

いま泣いたカラスが
もう笑う・・・

大人のわたしは
それができない
からだばかりでなく頭が固いから
心が固いから          「にんげんだもの」から

 もう最終コーナーを回った私には、子供の柔軟心を取り戻すことは出来ません。ここまで生きて来る間に、親から授かった本来の心に見栄とか欲望とかいう衣を幾重にも重ね着をしてしまいました。これからは、その一枚ずつを脱ぎ捨てて、出来るだけ本来の子供の心(仏のこころ)に還るように努力したいと願っています。そうすればきっと幸せに近づけるでしょうし、命の繋がりに感謝して次代の人達に、のびのびとして温かい心を引き継いでいけるのではないかと考えています。



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