ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

短歌・俳句に読む人生の哀歓

2013年02月11日 | 随筆・短歌
 先週の日曜日(2013年2月3日)の日経新聞の歌壇を読んで、短歌・俳句共にその幾つかに感動しました。毎日曜日は、日本経済新聞の岡井隆選の短歌と黒田杏子選の俳句を読むのが楽しみなのです。この週は、特に長い人生経験を積まれたと思われる人の哀歓の籠もった短歌と俳句に心を奪われました。その幾つかを紹介させて頂きます。
 生きるとはやっぱりひとりの作業だと身にしみるけど寂しくはなし 大阪  大井 市子
 連れ合いとはぐれて迷うひとときの開放感をなぞのまま生く    川崎  井上 優子
 何ほどのことにもあらぬ一生を人それぞれにひとつのみ生く    名古屋 森 由佳里
 「これからが正念場です」と結ばるる退職決めたる友のたよりは  仙台  武藤 敏子
 期待との落差に今日もまた沈むされど歩まぬわけにはゆかぬ    松山  吉岡 健児

 三月や命根こそぎ攫われて       石巻  石の森市朗
 ゆきゆきゆき不明者覆ふゆきゆきゆき  大船渡 桃心地
 株為替沸き立つ春の寒さかな      小金井  金子 與一郎
 雪富士や独り産まれて生きて死に    平塚  正好 浩
 子への愛知らざる一生(ひとよ)クロッカス 小田原  金澤 杜子

 勿論短歌も俳句も選ぶ心はそれぞれですが、私はこのお二人の選者の感性をとても尊敬しています。選者が注目するポイントと、私の心が揺さぶられたポイントが一致した時は、無上の喜びを感じます。この短歌と俳句を読むのが、日曜朝刊の真っ先の楽しみなのです。感動した歌にマーカーを引いて、選者別に綴じ込みます。時折出して読み返しては、再度素晴らしい歌に浸り、感動し、また憧れます。
 私は結社というところには属さず、NHKの通信講座で学習したばかりのいわば独学で、あちこちの新聞や大会などに投稿して、「採って頂ければ嬉しい」という程度の素人です。
 俳句の方は、私の実家の祖先に俳人が居て、芭蕉の弟子の弟子?とかいわれています。実家の庭には、大きな芭蕉の句碑があり、句碑の裏に露友と云う名前で辞世の句が彫ってあります。勿論名前の知れた俳人にそのような人はいません。ただ宝井基角の手紙があり、古文書などと一緒に鑑定を依頼する手はずになっていましたが、その直前の災害で無くしました。鳳朗という署名の入った前書きのある俳句集は、その後もありましたが、今は誰も行方を知りません。その祖先は俳句や茶道に凝った人だったようです。
 そのDNAでしょうか。叔母も俳句を詠みましたし、私も俳句にかなり以前から関心を持ち、独学をして来ました。でも17文字に季語を入れつつ自分の心模様を歌い込むのが難しく、やっと去年あたりから新聞に投稿を始め、少し採って頂くようになりました。
 石川啄木の歌に「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」というのがありますが、啄木が一生をかけて成し遂げた立派な仕事は、短歌だったと思うのですが、自分の成し遂げた仕事が如何に偉大だったか、という事を自覚することなく亡くなったのは、残念なことだと思っています。今もなお、短歌に憧れる人にとってはバイブルのように愛読されているのにです。
 日本に万葉の時代から続く短歌と、芭蕉という偉大な人物によって花開いた俳句という短詞があって、これは私が云う迄も無く世界に誇れる日本の文化です。最近は、高齢者が日々に紡ぐ膨大な短歌や俳句の、日本文学における存在は、素人と言えども一大エネルギーだと思います。
 俳句などは世界的にも注目されて来ていると聞きます。この日本の素晴らしい文化を、高齢者が多くを占めるのではなく、もっと若い世代に広がって欲しいと願っていますし、その努力も俳壇・歌壇で成されているようです。やがて若い世代の人達が、この期待に応えて、もっと世界に広めてくれることと信じています。
 日本という山紫水明の豊かな自然環境と、日本語という素晴らしい表現力と、日本人の細やかな感性と相まって、育まれてきたこの文化を、常々日本の誇りだと思っています。私は能力も無く感性にも乏しく、底辺でのたうっている老人でしかありませんが、末端の縁の下で、私にも支えられる小さな力を発揮出来たら(たとえ歌を紡ぐということだけでも)こんなに嬉しいことは無いと思っています。

自らが選びし人生(ひとよ)と思ひしに運命といふ汽車の旅人

ひとことを言へざるままに春立ちぬ(何れも某誌・紙に掲載)


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