ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

助け合って危機を乗り越えましょう

2011年03月15日 | 随筆・短歌
 この度の東北関東大震災の被害状況のニュースを見て、未曾有の災害の恐ろしさをひしひしと感じています。この災害で命を落とされた方々に心からの哀悼の意を捧げます。また被災され避難して居られる皆さん、救助や救援活動に不眠不休でご活躍しておられる皆さんのご苦労を思い、一刻も早い復旧を祈るばかりです。

 私が「忘れた頃に」と題してブログに載せたのは、3月11日の午前7時25分でした。まさかその日の午後2時46分に、この大地震と津波が押し寄せるなんて、考えてもみませんでした。東北旅行の際に印象に残った、あの10mの防潮堤を津波が軽々越えて行く映像は、正視に耐えませんでした。リアス式の美しい海岸線も、むごたらしいがれきの山を築くことになって、人命救助や、復旧を妨げています。日本では、地震と津波の被害は幾度も繰り返され、その都度学習して来たのですが、1000年に一回とも言われている災害の前には、全く為すすべもありませんでした。
 今朝、或る新聞にジョン・タワー氏(マサチューセッツ工科大学教授)の「立ち上がる日本忘れない」という記事を見つけました。それには「阪神大震災の時の被災地で見た、感動的な人々の反応を思い起こした」とありました。そして、「日本は過去にも、とてつもない破壊や災害に直面し、驚異的なまでに心をひとつにして、信じられないような創造力を発揮し、立ち向かってきたことを思い起こさせます。津波の恐るべき破壊の映像を見ると、私は空襲で破壊し尽くされた45年の日本の市や町に思いを致します。広島・長崎への原爆投下の前に、60を越える都市が廃墟となり、子供も含め何十万もの人々が命を失いました。日本がどれだけ破壊し尽くされたか、今では覚えている人も少ないでしょう。 当時、ほとんどの日本人や外国人にとって、迅速な復興など想像もできないほどでした。しかし、やり遂げたのです。日本人は献身的に、一から始めたのです。今では当然のように見えるかもしれません。だが、英雄的でした。今回もまた必ず、日本はそうするでしょう。(後略)」とありました。
 私は、この記事を見て、大いに力づけられました。戦後のあの焼け野原から立ち上がって、復興に掛けた日本人の努力と忍耐と協力を、世界の人々が未だに忘れないでいることに勇気付けられたのです。私達はこの災害も、お互いに助け合って必ず乗り越えていける筈だと信じています。
 各企業から、寄付の動きが報じられています。またボランティアの活動も耳に入って来ます。私のように老人で体力の無い人間に出来ることは、一食分の、或いは、一日とか三日分の食費を節約したり、何処かへ外出する一回分を我慢して、その費用を災害援助に寄付すること位です。我が家でも恒例によって話し合い、何時もの数倍の寄付をすることにして、各々ポケットマネーを出し合い、今朝のウォーキングの帰り道に郵便局で寄付して来ました。
 こんな僅かな金額と言わずに、少しでも寄付することが積もり積もって大きな力になると信じています。寄付の額が問題ではなく、寄付をすることによって、国民が一体となって、復興に協力することに意味があると思っています。
 資源に乏しい日本であるが故に、原子力の発電によって電力を補ってきたことが裏目に出て、不幸な事故が被害を増しつつあるように思われて気になります。しかし命の危険を承知で、何とか被害を食い止めようと努力している方達は、お国の為に命を投げ出した兵士の皆さんを思わせます。ハラハラしながら成功を祈りつつ見守っています。
 みんなで忍耐強く助け合って、災害を乗り越え復興を目指しましょう。前記の記事にも、「世界中が共感し、支援をしようとしている」とありました。あれが足りない、これをして欲しい、と日頃は不満も多いのですが、今こそ、日本人の英知を集め、忍耐強さを発揮して、共に乗り越えていきたいものだと思っています。

 まるでこの地震と津波を、予知するかのようなブログを載せてしまい、また高齢者でもある私は、酷い災害の報道を見て体から力が抜けてしまって、フィットネスクラブも休み、静かにしている有り様です。こんな時は、「何時休んでおられるのか」と思う程に働いておられる人や、不眠不休で災害に立ち向かっておられる方々が、とても偉く見えます。私に出来ることはなにか、と問いかけつつ過ごしたいと思っています。

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