ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

それは私に丁度良い

2010年02月01日 | 随筆・短歌
 私が大学を選ぶ時に、古風な思想の父とぶつかって、仕方なく父の言うままに進学先を決めたことは、以前書きました。男に生まれれば良かったと、その時とても強く思ったものです。
 その後就職にも結婚にも父は私の背中を押してくれて、何となく歩き始めた人生でした。ところがある時、私の親しい友人がこう言いました。「私達夫婦は、年を取ったときに、私達は生きてきてこれだけは成し得た、といえるような何かを持ちたいものだと話し合っているのよ」と。
それを聞いて、考え無しに生きている自分をとても反省しました。そして「私には何が出来るのだろうか」と真剣に考えたのです。けれどもその時は、職業に就いていましたし、その職業が私に取って掛け替えのないものだとは思っていませんでしたから、いささか不安になりました。何か仕事の他に一生を捧げて取り組む事があるだろうか、と考えたのですが、思い当たらず、その言葉がずっと長く心の底に沈殿していました。
 40歳を過ぎた頃でしょうか、ある日ふと私は、今の私の仕事が私に取って天職であり、一生の仕事だと気付いたのです。それは天の啓示ように、突然何の脈絡もなくそう思われたのです。当然のことですが、忙しい毎日に自分の仕事以外に趣味を持つことは、私の能力では不可能で、ひたすら仕事に打ち込むことだけが私に取って最善のことなのでしたから、それが天職だと感じたことは、私を勇気付けてくれました。
 一方私の夫は、卒業後に会社員になりましたが、研究職を希望していたのに、営業の仕事に就くことになり、「自分には営業は向かない」と半年で退職して、公務員の専門職に就きました。それは学生時代から興味を持っていた方面でしたから、学生時代からずっと今迄、50年以上も根気よく、その道の本を今でも毎月読み続けています。幸い私達は男女二人の子供に恵まれました。世の親は誰でもそうであるように、私達にとっては自慢の子供達でした。「こんなに幸せであって良いのかしら」と時には不安に思う位でした。
 けれども既に書いたように、娘は結婚後数年して亡くなり、私はうつ状態になって、失意の中で過ごすことになったのでした。その長いトンネルもいつしか抜けて、つい先日迄は、健康で平穏な毎日を過ごしていました。夫も息子も私もそれぞれに充実した仕事や趣味に打ち込み、特に私はこうしてブログに随筆を書き、短歌を投稿し、フィットネスクラブで身体を鍛えたりしながら、充実した生活を楽しんでいたのです。
 ところが先日、私が突然体調を崩し、今は療養傍らしずしずとブログと短歌だけは続けています。人間は、何時どうなるのか神のみぞ知ることだと改めて知った次第です。
 けれども病を得て、自分の人生を振り返ってみると、父に背を押されて生きて来たような人生でも、それなりに私の身の丈に合っていたのだと、しみじみと感じる機会となりました。
 次のような作者不詳の詩が目に止まりました。紹介して今日は終わりたいと思います。

 お前はお前でちょうど良い
 顔も体も名前も姓も
 おまえにそれがちょうどよい
 貧も富も親も子も息子も嫁もその孫も
 それはおまえにちょうど良い
 歩いたおまえの人生は悪くもなければ良くもない
 おまえにとってちょうど良い
 地獄へ行こうと極楽へ行こうと
 行ったところがちょうど良い
 自惚れる要もなく卑下する要もない
 死ぬ時さえもちょうど良い ー作者不詳ー
  
 
 身の丈の幸せはあり喩(たと)ふれば道ばたに咲くタンポポの花
 父に背を押されて決めしこの道を良しとぞ思ふ父亡き今も 
 あの入試得意でありし数学を解けざりて在る今の幸せ
         (全て実名で某誌・紙に掲載 ーいずれも再掲)

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