ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

人の心を識る第一歩

2009年09月10日 | 随筆・短歌
 最近の医師に患者の顔を見ようとしない人が増えていると或る新聞で読みました。、医師に大切なことは、患者の病気を正しく知ることであり、その人の心に寄り添うことであると思っています。それはレントゲンやMRI等の機械からの情報ばかりを頼りにするのではなく、しっかりと顔を見つめて患者の訴えに先ず耳を傾けることから始めなければならないと思います。顔からは多くの情報が読み取れる筈です。
 言葉は往々にして不十分なものですから、顔色を見て病状を判断する、目を見て表現の不足な部分を補う、目に宿る力によって病の重さを知る、訴えようとする心の深さを知るなど様々な情報がそこにはある筈です。患者の顔を見ないで、次々と患者の検査結果だけを見て、診察が終わっていきます。
 私達は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、の五感で、様々なことを理解しています。その手始めは何よりも視覚に依って、直感的に相手の人間像を作り上げるということではないでしょうか。人間関係では、殊に相手の目をじっと注目することが大切です。
 医師ばかりではなく、この当たり前のことが出来ない人が、最近多くなっていると聞きます。パソコンや携帯、といった媒体を通さないと、心の中を見透かされる思いがするのでしょうか。それとも何かしら恐怖感を感じてしまうのでしょうか。
 心の中を見透かされることを何故そのように極度に恐れるのでしょうか。人間はお互いにおよそ不完全なものでありますから、自然体で、あるがままに心を開いて話し合ってこそ、初めて心が通じ合えると言えます。生意気なことを言ってしまいました。
 ちょっと別の角度になりますが、「目は自(みずか)から見るに短(たん)なり」という言葉があります。目は自分自身を見るのが上手くできない、人は自分自身を知るのが難しいことのたとえですが、これは私にも当然言えることで、それを思えば欠点だらけの自分など、とても恥ずかしくて何も言えなくなってしまいそうです。
 昔の人は、自分自身を見るのに鏡に照らして自分を見た、とも言われ、自分の智慧だけでは自分自身を充分に知ることができないので、道によって正した、とも言われています。
 いずれにせよ正しく他人を理解するには、先ず相手の顔を良く見る、殊に相手の目に注目することから始めるということに、変わりはないようです。
 正しく理解することによって、更に相手を思いやる心が生まれてきたら、きっと素晴らしい人間関係が作られていくことでしょう。私もそういう人間になりたいと願っています。

  夏祭り果てて出店を畳み居る男は一瞬暗き目をする
  泣いているあなたの心見えるのに好きですほほ笑むあなたの我慢
                 (全て実名で某誌に掲載 )



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