ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

老いるということ

2009年09月07日 | 随筆・短歌
 20日ほど前に、私の妹の一人が、長い間家庭で介護を続けてきた義母を送りました。畳の上で死にたい、と云う義母の希望だったので、最後迄家庭で看取り、医師に脈を取られて静かに息を引き取りました。97歳でした。妹もその夫も二人とも古稀を過ぎた高齢者で、しかも持病を持っていて、自分の治療しながらの介護でしたから、逆縁になることをとても恐れていました。私達もそのことをとても心配していました。何とか無事に送ることが出来て「お疲れ様」と心から伝えました。今は未だ後始末で多忙を極めていますが、その内ゆっくり休んだり、今まで出来なかったことを楽しんで欲しいと願っています。
 また私の姉は、その1ヶ月半前に、最愛の夫を見送りました。食べものが喉を通らなくなって、最後は病院に一ヶ月余り入院していました。姉は、お箏を教えていましたが、夫の病気で思うように出来なくなり、教室も縮小していました。
 このたび納骨も無事に終わり、本山への納骨も済ませましたので、一人暮らしを充実させるために、ホームページを開いて、自宅や外部の教室でお箏を教え始めました。老後の生き甲斐としては、頭も手も使い、心身の健康にも良いと、私達も喜んでいます。
 年老いた両親を抱えているもう一人の妹もいます。義父は93歳になり、義母も90歳近くなって、炊事も思うように出来なくなり、こちらは老人二人の暮らしなので、たびたび料理を作って、20キロくらいの道のりを車で運んでやっています。妹は、孫の育児をしながらですので、その苦労も並大抵ではありません。
 私も同居していた義父母を看取りましたので、人生の最後まで付き合って、平穏に送り出すことの大変さは良く解ります。自分が味わってきた苦労を思う時、いよいよ自分の番が来たら、出来たら施設に入って、家族にこの苦労をかけたくないと考えています。
 それがどのように実現するかは解りませんが、今から様々な施設を見学して、知識を蓄えておかなければならないと思い、実行し始めています。
 私の母は、独身で過ごした弟と二人で暮らしていましたので、病の床に着いてからは、勤めていた弟に代わって、私と姉が交互に通って看病をしました。特に母が80歳を過ぎて私の住んでいる市に、弟の転勤に伴って来て以来、元気な間は毎週通って母の様々な話の聞き役になりました。今思うとその時期が一番の親孝行だったように思います。
 一人家に残って留守番の母でしたから、話しを聞いて呉れる人が一番嬉しかったようです。田舎に残してきた家のこと、女学校時代の想い出、弟の持病(糖尿病)の心配など、繰り返し繰り返し話していました。見知らぬ土地に来て、日中たった一人ということは、とても寂しいことです。
 ある日私が母の所へ出向いた時、母は突然泣き出し、「私があの子(弟)に面倒を看て貰うことになったので、あの子は結婚も出来ず、人生を台無しにしてしまった」と云うのです。私は驚いて強く否定しました。弟は母と暮らしていた為に孤独では無かったし、母の面倒を見る事が生き甲斐でもあったので、決してそのようなことはないのです。母と暮らさずとも独身で過ごしたかも知れず、お互いにとって共に暮らすことは、とても良いことだと私は考えていました。そう言うと母は納得したのか泣きやみましたが、もっと違った言い方があったかも知れない、と今も時々想い出します。
 こんな悩みを持って暮らしていたのかと思うと、子を思う母親の気持ちに今更のように胸を突かれたのです。気兼ねなく我が子と暮らして、毎週私や姉が通っていましたので、殊更寂しい老後とは言えなかったでしょうが、其処まで悩み苦しんでいたのを感じ取れなかった私は、娘でありながら、また二人の子の母親でありながら、何と鈍感であったかと後悔しました。
母の末期の病床には、きょうだい達やその子達(孫)も次々に見舞い、特に遠くに住む義妹が飛行機で何度も来て呉れて、ガーゼの下着など、温かい心遣いを届けてくれました。
 「死んだら直ぐに迎えに来てね、とあれ程お父さんと約束したのに・・・」と度々嘆いていた母でしたが、父が亡くなって15年が経っていました。
 歳を取れば何時の日か、多くの人に独り暮らしの日がやって来ます。その時をどう過ごすか、しっかり考えて心の準備をしておかなければなりません。私は今年の春に膝の怪我をして、二週間ギブスを嵌めていましたので、その間にいろいろと書き残して置きたいことを纏め、死の為の様々な準備が出来て、大変有意義な日々でした。
 此処まで生きてきて様々なことを学びました。この学んだことを生かしながら、これからの坂道をゆっくり下って行きたいと願っています。

  用はないでも元気かと独り居の母の電話に会いに出向きぬ
  存(なが)らへて生き過ぎたりとポツリ言ふ母の背流し応へに惑ふ
  入院の母の嘆きを聞きやりて重き心で遅き湯に入る
  老いるとは不安を生きることなりと母のことばをしみじみと思(も)ふ
  「永らへば子等に迷惑かけるのみ」母のことばは我が胸を刺す
  理由なき淋しさの中に身を委ね今にして知る母の晩年
         (全て実名で某誌・紙に掲載)
 




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