孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

フランス・コルシカ島  高まる反イスラムの動き 州議会選挙では地域政党が勝利

2015-12-28 22:35:22 | 欧州情勢

【12月28日 AFP】

【「アラブ人は出ていけ」】
パリ同時多発テロ以降、フランスで強まる反イスラムの風潮にについてはこれまでも取り上げてきましたが、ここ数日、コルシカ島のでの大規模、かつ、あからさまな反イスラム運動が話題となっています。

****イスラム教礼拝所をデモ参加者が破壊 仏コルシカ島****
仏コルシカ島アジャクシオで25日、デモの参加者らがイスラム教の礼拝所を荒らし、イスラム教の聖典コーラン(Koran)に火をつけようとするなどの騒ぎがあった。

警察および県の当局によると、この騒動の前日の夜、消防士2人と警察官1人を「待ち伏せ」していた「フード姿の若者ら」が負傷させるという事件がアジャクシオの労働者街周辺で発生しており、市内では緊張が高まっていた。【12月26日 AFP】
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****仏コルシカ島、3日連続で反イスラムデモ*****
イスラム教のモスク(礼拝所)が暴徒化したデモ隊に荒らされたフランス・コルシカ島の中心都市アジャクシオで27日、当局の集会禁止令にもかかわらず数百人が市内各地をデモ行進し、「われわれが抗議しているのは人間のくずだ。アラブ人ではない」などと叫んだ。

アジャクシオでは、24日に消防士2人と警察官1人が市内の貧困地区ジャルダン・ドゥ・ランペルールで「待ち伏せ」攻撃を受け負傷したことを受け、抗議デモが暴徒化。デモ隊がモスクに押し入り、聖典コーランを含む書籍を焼くなどした。

デモは26日も続き、数百人が「ここは俺たちの家だ」「アラブ人は出ていけ」などと叫びながら、移民を中心に約1700人が住む同地区を行進。一連の騒動で、これまでに2人が身柄を拘束された。

クリストフ・ミルマンド知事は同地区でのデモや集会を少なくとも1月4日まで禁止すると発表したが、デモ隊は27日、同地区以外の市内各地を行進。警察署や他の貧困地区を練り歩いた後、ジャルダン・ドゥ・ランペルール地区の門で警察に阻止された。【12月28日 AFP】
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「われわれが抗議しているのは人間のくずだ。アラブ人ではない」と言いつつも、「アラブ人は出ていけ」ということです。本音は後者でしょう。

こうした憎悪に駆られた行動は、憎しみの連鎖や過激なテロを生むものでしかないことは、これまでも述べてきたところです。

州議会選挙では地域政党が勝利
ところでコルシカ島と言うと、正直なところ、ナポレオンが生まれた島・・・といったイメージしかありません。

コルシカ島はフランスとイタリアの境あたりの地中海に浮かぶ島で、面積は広島県ほど、人口は約30万人とのことです。
また、現在の住民の日常語はフランス語ですが、民族意識の高まりを背景に、コルシカ語も依然として学校教育やテレビ・ラジオ放送、広告・商標、文化活動などで盛んに用いられているようです。

****コルシカ島(フランス) 経済危機の波を直に受ける貧しい土地****
コルシカ島はフランス南東部・地中海に浮かぶ島で、島の西部は平野が広がっているが東部は山岳地帯で、歴史的に住民は貧しく自給自足の暮らしを行っていました。

11世紀にはピサ、13世紀にはジェノヴァの支配を受けるも、過酷な統治に住民は何度も反発しました。18世紀には、コルシカ独立を目指した大規模な闘争が起こり、ジェノヴァはフランスの協力を得てこれを鎮圧。以降、フランスがコルシカ島を領有することになります。

1950〜60年代にコルシカ島の独立戦争は激しさを増します。フランス植民地が次々と独立し、働き口を無くしたコルシカ島民が島に戻ってきて高い失業率とインフレが発生、経済危機に陥ったことがきっかけでした。

この時には独立闘争は鎮圧されますが、フランスからの独立を求める声は現在もあり、 2008年段階で12%が独立を支持し、51%が大幅な自治を求めています。【「歴ログ」http://reki.hatenablog.com/entry/2015/05/11/%E5%88%86%E8%A3%82%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%8C%E7%9B%9B%E3%82%93%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE 】
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フランスでは州議会選挙が今月に行われ、マリーヌ・ルペン氏率いる極右政党「国民戦線」が、経済的な不満と強まる排外主義的な風潮を背景に、第1回投票の得票率で二大政党を抜いて1位になり、全13地域圏のうち6地域圏でトップとなったこと、そして、第2回投票では、「国民戦線」への警戒感が高まったことや左派社会党の阻止戦略などもあって、結局、全ての地域圏で勝利を逃す結果となったことが大きな話題となりました。

この「国民戦線」に隠れて、殆ど話題となることはありませんでしたが、13地域圏のひとつコルシカでは地域政党が勝利しました。

コルシカ分離独立運動の経緯 犯罪組織の影も
歴史的には、18世紀に激しい「コルシカ独立戦争」を経験したコルシカ島ですが、その後もフランスからの分離独立を主張する動きがあります。

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こうした歴史的背景もあって、コルシカ島ではフランス併合後、断続的に民族主義運動が起きている。

しかしそれはフランスからの独立というよりは、その経済規模の小ささとフランス国家への歴史的な依存性からフランス共和国の中にとどまりながら立法権など政治的決定権を獲得する自治主義が中心である。

]1975年8月に自治主義勢力(ピエ・ノワール)とフランス治安当局との間で激しい闘争(アレリア(フランス語版)闘争)が展開され、自治主義勢力が非合法化されると、分離主義勢力のFLNC(コルシカ民族解放戦線)が組織されるが、1982年に地方分権政策の一環としてコルシカ地域議会が設置されると求心力を失い分裂する。

そして現在繰り広げられている武力闘争は独立戦争などではなく、民族主義を名乗るグループ同士の内部抗争であり、近年は失業で悶々としている島の若者たちを徴用するなど非行問題化しつつある。

一般の島民は民族主義には理解を示しつつも、政治運動からは一線を画しており、コルシカ人がフランスからの独立を望んでいるという指摘は不正確である。【ウィキペディア】
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1970年前後からの分離独立運動の高まりには、フランスが敗れたアルジェリア戦争の影響があると指摘されています。
アルジェリアから撤退した支配層及びそれに協力してきたアルジェリア人が大挙してコルシカになだれ込み、コルシカでアルジェリア同様のプランテーションを始め、島民の経済が圧迫され、格差が広がったことが島民の民族運動を高めることになったとの指摘です。【http://fban.blog9.fc2.com/blog-entry-82.html

コルシカの場合、マフィアで有名なシチリアと同様の風土があって、民族運動と犯罪組織が結びつくことで過激な事件も起きています。

1998年には、エリニャック知事が民族主義者に暗殺される事件がありました。

民族主義運動は、前出【ウィキペディア】にもあるように、自治権の拡大などで下火とはなりましたが、民族主義グループの内部抗争は2012年にも表面化しています。

****まるでマフィア映画!コルシカ島の首領が相次いで殺害。それでも観光客が訪れる理由****
地中海に浮かぶフランス領の美しい島、コルシカ島で、マフィア映画さながらの連続殺人事件が発生している。

10月16日に、コルシカ分離独立運動のリーダーの1人である著名弁護士がガソリンスタンドで射殺された。11月14日には同じグループに属するとみられる商工会議所の会頭が自身の店にいるところを何者かに射殺された。

犯人は堂々と店に入り、拳銃を発砲した後、そのままゆっくり歩いて立ち去るという、典型的なマフィアによる殺人の手口。このほかにも銃撃事件が多数起こっており、今年に入ってからすでに17人が殺害されてという。

コルシカ島はイタリアのシチリア島とならんでマフィアの本拠地として有名な場所(厳密にはマフィアとはシチリア島を拠点とする犯罪組織を指すので、コルシカ島のグループは本当はマフィアとは呼ばれないが、ここでは俗称をそのまま使用する)。

シチリア島も似たような課題を抱えているが、コルシカ・マフィアの問題が単純に解決しないのは、フランスからの独立運動と地域経済、さらに地域に密着した犯罪組織が密接に関連していること。

コルシカ島は1769年にフランスが強制的に併合して以来、フランスの一部だが、激しい独立運動が続いてきた。1985年にフランス政府側がある程度譲歩する形で地域議会が設立されてからは独立運動は下火になったものの、今度は独立運動側の内部抗争が激化した。

地域の資本家、政治家、犯罪組織、労働者などが渾然一体となっており、閉鎖的な社会風習とあいまって、犯人が誰なのか皆知っているにも関わらず誰も口を開かないという。ここまでひどくはないが、同じような光景は日本の地方農村などにおいてもよく見られるものである。

フランス政府は検事をコルシカに派遣し事態を収拾したい意向だが、抗争は長引くとの見方が大半だ。
 (後略)【2012年11月7日 「ニュースの教科書」 http://news.kyokasho.biz/archives/3082
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2014年には、武力闘争を続けてきた民族主義グループが武力闘争を放棄しています。

****仏コルシカ島の民族主義集団、40年の独立闘争に幕****
地中海に浮かぶコルシカ島でフランスからの独立を求めて武力闘争を続けてきた民族主義グループが25日、武力闘争を放棄すると発表した。

このグループはコルシカ民族解放戦線(FLNC)で、40年近くにわたって武力闘争を行ってきた。CNNの系列局「フランス3」が入手したFLNCの声明文によれば、無条件で武装解除のプロセスを開始する決断を下したという。

ナポレオン1世の出身地として知られるコルシカ島は、フランスとイタリアに挟まれた地中海に浮かぶ大きな島だ。18世紀にフランスに併合された。

FLNCが発足したのは1976年。これ以降、コルシカ島ではフランス関連の施設などを標的にした爆破や強奪、襲撃といったテロ事件がしばしば発生した。97年にはFLNCによる銀行や政府機関を狙った連続爆破事件が起きている。

98年には当時の知事が暗殺される事件が発生。これを受けてフランス政府は独立運動に対する厳しい取り締まりを実施、民族主義者からの反発やFLNCのさらなる攻撃を招いた。

2003年にはFLNCの分派が武力闘争の放棄を発表。だがそれ以降もFLNCによる攻撃は、頻度は少なくなったものの続いていた。【2014年6月26日 CNN】
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テロと極右台頭に揺れるフランスの新たな火種?】
こうした経緯にあって、今回州議会選挙における地域政党の勝利ですが、この地域政党がどういう性格か情報が少なくよくわかりません。

ただ、フランスTV局のニュースでは、この地域政党が、1998年のエリニャック知事殺害事件の容疑者の解放を主張しており、野党がこれに反対しているといったことを伝えていましたので、それほど“穏健”でもなさそうです。
「国民戦線」問題の影に隠れて話題となっていないが、あらたな厄介ごとを抱え込んでしまった・・・といったニュアンスの報道でした。

フランス人男性と結婚している女性のブログによると、この地域政党はコルシカ独立を主張しているとも。【http://blog.livedoor.jp/morimori088/archives/1664980.html

一方、フランス本土側にはコルシカ島住民に対する蔑視もあって、長らく開発もされずに放置されてきた経緯もあるようです。厄介者扱いする風潮も。

“一般の島民は民族主義には理解を示しつつも、政治運動からは一線を画しており、コルシカ人がフランスからの独立を望んでいるという指摘は不正確である。”【ウィキペディア】という話と、今回の州議会選挙結果がどう結びつくのか、また、最近の反イスラムの動きとコルシカ民族主義の関係がどうなっているのか・・・気になることはありますが、なにぶん情報が少なく、よくわかりません。
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