孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

イラン米大使館占拠事件の元人質へ36年経て補償金 来年1月にも対イラン制裁の段階的解除開始か

2015-12-25 22:20:00 | イラン

【12月25日 AFP】

イラン米大使館占拠事件
イランでは1979年、ホメイニ師を中心とするイスラム法学者などが実権を握る「イラン革命」が起き、それまで親欧米・世俗的な統治を行ってきたパーレビ国王は国外に脱出。
各国を転々とした元国王は、「がん治療」の名目でアメリカへの入国を求めました。

“アメリカのジミー・カーター大統領は、この要請を受けることでイランの新政権との間で軋轢が起きることを憂慮し、この要請を退けようとしたが、パフラヴィーの友人のヘンリー・キッシンジャー元国務長官らの働きかけを受け、最終的に「人道的見地」からその入国を認め、元国王とその一行は10月22日にニューヨークに到着し、アメリカに入国した。”【ウィキペディア】

アメリカが元国王を受け入れたことにイスラム法学校の学生らが反発し、11月4日にテヘランにあるアメリカ大使館を占拠し、アメリカ人外交官や警備のために駐留していた海兵隊員とその家族の計52人を人質に、元国王のイラン政府への身柄引き渡しを要求しました。これが444日に及ぶイラン米大使館占拠事件と呼ばれるものです。

“1979年11月に起きたイラン米大使館人質事件では、当初66人が人質となった。うち13人は同月中に解放され、1人が翌80年7月に健康悪化のため解放されたが、米国人52人が444日間拘束されていた。”【12月25日 AFP】

学生らによる行動は、シーア派の原理主義者が実権を握ったイラン政府が裏でコントロールしていました。

事件発生後、カーダー米大統領は元国王を出国させ、更に人質救出作戦も行いましたが失敗。占拠は長期化しました。

“カーター大統領は、1980年4月24日から4月25日にかけて人質を救出しようと、ペルシャ湾に展開した空母と艦載機による「イーグルクロー作戦」を発令し、軍事力による人質の奪還を試みた。
しかし、作戦開始後に作戦に使用していたヘリコプター、シコルスキー・エアクラフトRH-53D シースタリオンが故障した上に、ロッキードC-130輸送機とヘリコプターが接触し、砂漠上で炎上するという事故が起き作戦は失敗した。これによってイラン政府はさらに態度を硬化し、事態は長期化する傾向を見せた。”【ウィキペディア】

パーレビ元国王は亡命先エジプトで死去。事件を解決できなかったカーター大統領は再選を目指す大統領選挙でレーガン氏に敗北。レーガンが就任しカーターが退任する1981年1月20日に人質は444日ぶりに解放され、アメリカ政府が用意した特別機でテヘランを後にしました。

元人質に36年経て補償金
占拠期間も444日と長期にわたりましたが、元人質への補償金問題にも36年を要しました。

****イラン米大使館占拠、元人質に36年経て補償金 日額120万円****
イランの首都テヘランで1979年に起きた米大使館占拠事件で、444日にわたって武装学生グループの人質となった米国人53人に、ついに補償金が支払われることになった。

このほど米議会を通過した来年度予算案に盛り込まれた条項に基づき、元人質は拘束1日当たり1万ドル(約120万円)、最大440万ドル(約5億3000万円)を受け取れる。

1981年に結ばれた人質解放をめぐる合意により、元人質たちはイラン政府に賠償金を請求できず、これまで36年にわたり何の補償も得られずにいた。

しかし、米国で今年、米金融制裁下のイランと経済取引を行ったとして仏銀行最大手BNPパリバに罰金89億ドル(約1兆700億円)を科す判決が下ったことで、テロ被害者への補償金の財源が確保できた。
 
償金はイラン、北朝鮮、シリアなどの米制裁対象国と違法に取引をした企業に科せられた罰金が財源となるという。
 
ラク・オバマ米大統領が先週署名した予算案によれば、補償金の対象には、1983年のレバノン米大使館爆破事件や1998年にケニアとタンザニアで起きた米大使館爆破事件など、他の国家支援テロ攻撃の被害者も含まれている。【12月25日 AFP】
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補償金問題が前進した背景として、“過去にも元人質への経済的支援を求める法案が提出されたことがあったが成立には至らなかった。だが今回は、事件に題材を採った映画『アルゴ』が2012年に公開されたことや、今年のイランとの核合意などが追い風となった。”【12月25日 CNN】とも。

映画『アルゴ』は、“占拠事件発生の際、6名のアメリカ人外交官達が大使館からテヘラン市街に脱出し、カナダ大使公邸に匿われた。この6名に対しカナダ政府はカナダのパスポートを発給、更にCIAが彼らをカナダ人の映画撮影スタッフに変装させて脱出させる作戦を実行に移した”【ウィキペディア】ことを題材とした映画です。

拘束1日当たり1万ドル(約120万円)、最大440万ドル(約5億3000万円)・・・・結構な金額の“クリスマス・プレゼント”も思えますが、“人質になった外交官とその家族らは大使館の敷地内に軟禁状態に置かれ、行動の自由を奪われただけでなく、占拠当初は興奮した学生らから暴力を受けるなどした。”【ウィキペディア】という状況下で、命さえどうなるかわからない444日をすごしたことへの補償です。

また、事件後36年が経過し、元人質の多くが高齢になっています。
なお、“元人質の配偶者や子どもにも、60万ドルの一時金が支払われる。支払いの対象となるのは150人近いという。”【12月25日 CNN】とのこと。

イラン 制裁解除を求めるも、国内保守強硬派への配慮も必要
イラン核問題合意を受けて、アメリカとイランの関係は改善の方向にありますが、イラン最高指導者ハメネイ師は、アメリカ大使館占拠事件が起こった11月4日を前にした11月3日、イランの数千人の大学生と会談し、原則的な立場を強調しています。

****イラン国民がアメリカに友好の手を差し伸べることはない****
イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、「イラン国民は、イランを消滅させるためにあらゆる陰謀を駆使するアメリカに、友好の手を差し伸べることはないだろう」と強調しました。

ハーメネイー師は、3日火曜、1979年に在テヘラン・アメリカ大使館占拠事件が起こった日にあたる11月4日を前に、イランの数千人の大学生と会談し、イラン国民の覇権主義との戦いを、“歴史的な経験を支えにした、賢明で合理的な戦い”と呼び、「イランの国民とイスラム体制の覇権主義との戦いは、一部の人々の主張に反し、感情的で理にかなわない動きなどではなく、学術的な支えを持ち、経験と理性から生まれたものだ」と語りました。

また、1979年のイスラム革命勝利当初から、アメリカがイラン国民に敵対してきたことに触れ、「革命後、アメリカはしばらくの間、テヘランに大使館を置いていたが、1日たりとも陰謀を休めることはなかった。これは歴史的な経験であり、関係の確立によって、アメリカの敵対や陰謀が終わることはない」と語りました。

さらに、イラン人の大学生がアメリカ大使館を占拠したのは、アメリカ政府の陰謀の継続に対する反応だったとし、「アメリカ大使館から得られた証拠は、この大使館がスパイの巣窟、イラン国民と、誕生したばかりのイスラム革命に対する陰謀継続の拠点だったことを示していた」と語りました。

ハーメネイー師は、「アメリカは、過去37年の間ずっと、イランの現実を分析することができず、革命を根本から打ち倒そうとしてきたが、それに失敗した。今後も彼らが成功することはないだろう」と強調しました。

さらに、「アメリカは、可能であったなら、一瞬たりとも、イランのイスラム体制の打倒をためらうことはない。だが、イラン国民の洞察力により、彼らはこの目的を実現できずにいる」としました。

ハーメネイー師は、イラン国民の発展と力により、敵が核協議に参加することになったとし、「敵はこの協議の中でさえ、イラン国民の動きを止めることできるかもしれないと考え、敵対的な行動に出た」と述べました。

また、「アメリカは少しずつ、イラン国民の抵抗の理由が宗教的な信条にあることを悟った。そのため、今日、新たな手段を用い、こうした信条や価値観を攻撃してきたが、イランの若者、学生や生徒の知識が、このような策略の影響を退けるだろう」と強調しました。【11月3日 Iran Japanes Radio】
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そうは言うものの、経済制裁で疲弊したイランとしては、アメリカとの関係改善、制裁解除をなんとか急ぎたいのが本音でもあります。
ただ、アメリカを敵視する強硬派が存在し、また、制裁によって独占的利益を享受してきた勢力などもあって、そうした国内保守強硬派へ配慮しながらバランスをとった対応が求められているのも現実です。

****イラン 経済制裁解除後も米製品の輸入禁止****
核開発問題を巡って、アメリカなどと最終合意に達したイランは経済制裁が解除されても、アメリカ製品の輸入を禁止することを発表し、アメリカとの関係改善によって影響力を失いかねない国内の保守強硬派による巻き返しの動きが背景にあるとみられています。

イランでは核開発問題を巡って、アメリカなど関係6か国と最終合意に達したあと、穏健派の政権のもとでアメリカとの関係改善が進むことを強く警戒する保守強硬派が反米路線の徹底を図っていて、国政の実権を握る最高指導者のハメネイ師も「アメリカの侵入を許してはならない」などと呼びかけています。

こうしたなか、イランのメディアが14日伝えたところによりますと、イラン政府は227品目に上るアメリカ製品を輸入禁止の対象にすることを決め、そのリストを国内すべての州当局に配布したということです。イラン政府としては最終合意に基づいて経済制裁が解除され、各国との貿易が活発化しても、アメリカ製品の流入だけは拒む構えです。

また保守強硬派の一部からはアメリカのみならず外国企業の参入は必要ないという意見も出ていて、今回の決定の背景にはアメリカとの関係改善によって影響力を失いかねない国内の保守強硬派による巻き返しの動きがあるものとみられています。【12月15日 NHK】
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来年1月にも欧米などの対イラン制裁の段階的解除開始か
一方、制裁解除へ向けた動きは概ね順調に推移しているようです。
国際原子力機関(IAEA)は過去のイラン核疑惑の解明プロセスに終止符を打つ決議を全会一致で採択、来年1月にも欧米などの対イラン制裁の段階的解除が始まる公算が大きくなっています。

****過去の核疑惑解明に終止符=イラン問題でIAEA理事会****
国際原子力機関(IAEA)の特別理事会が15日、ウィーンの本部で開かれた。

理事会は、イランが2003年末まで核爆発装置開発に関する組織的活動を行ったが、現在そうした情報はないとした事務局の報告書を踏まえ、過去のイラン核疑惑の解明プロセスに終止符を打つ決議を全会一致で採択した。

02年に発覚した秘密裏のイラン核計画に対する検証作業は大きな区切りを迎えた。欧米など6カ国とイランは今年7月、イラン核問題解決に向けた最終合意に達しており、今後、イラン核活動の制限が順調に進めば、来年1月にも欧米などの対イラン制裁の段階的解除が始まる公算が大きくなっている。

7月の最終合意に際し、IAEAとイランは核疑惑解消に向けた行程表で一致。IAEAは今月初めにまとめた報告書で、全容解明には至らなかったとの立場を取りつつ、「(核爆発装置開発が)研究や技術獲得という水準を超えて行われることはなかった」と指摘した。

6カ国が作成した決議は「行程表の全活動は計画に沿って履行された」と評価し、「この件の検討を終了する」と明記した。

一方で、IAEA事務局長に対し、イラン核活動について年4回理事会に書面で報告するよう要請。「懸念事項」が見つかった場合の通知も求めており、理事会が「適切な行動」を起こせる余地を残した。

西側外交筋は「今後の力点はイランの現在の核活動と将来に向けた核計画のチェックに移る。だが、必要が出てくれば、過去の疑惑に再び目を向けることになる」と述べた。【12月16日 時事】 
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イラン、アメリカ双方の国内保守強硬派や、イランを敵視するイスラエルなどには不満も多い合意でしょうが、いたずらに対立を続け、武力衝突の危険を高めるよりは賢明な選択に思えます。

「アメリカに死を!」「悪の枢軸」と罵りあう両国関係が改善に向かうのであれば、日本周辺の硬直した関係も、一部にようやく修復へ向けた環境もできつつあり、今後を期待したいところです。
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