住所: 京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
TEL:075-231-3538
拝観:境内自由
市バスを乗り継いで河原町今出川にやって来ました。
ここまで来たらあの店に行かねば。。。
そう、 出町 ふたば
しかし、お店はまだ正月休みでした~
この近くの出町商店街にもおいしい和菓子のお店があったはず。
和菓子といっても庶民的なお店、おいしそうな「きんつば」を発見!
甘すぎず、上品な味でした。・・・満足!!
和菓子のおた福屋
なにもここに来たのは和菓子を食べに来ただけではありません。
実は私、信長ファン
しかし正確な墓所を知りませんでした。
ある日、NHKの番組でここ河原町今出川近くの阿弥陀寺にご遺灰が埋葬されていることを知りました。
このお寺にお参りするのがここ数ヶ月の希望。
山門
案内板
天正10年(1582)6月2日、“本能寺で信長襲われる”という知らせを受けた清玉上人は、塔頭寺院の僧侶たちを連れて駆けつけたが、すでに本能寺は焼け落ち信長は自害していた。信長の家来たちが「俺の身体は敵に渡すな」との遺言に従って遺骸を焼いており、上人は織田家との関係を家来に話し、信長の遺灰を貰いうけ阿弥陀寺へ戻り葬った。さらに翌日、二条城で討ち死にした信長の長男・信忠や家臣の遺骸百十余名を収容し、一人ひとりに法名を授与し埋葬した。
本堂
墓所
織田信長・信忠の墓
右が信長、左が信忠
森蘭丸ら三兄弟の墓
帰り際、見かけた墓石。
現在のものより数段、大きな気がします。
何故、清玉上人・・・一人の僧侶がここまでしたのか??
ある事情により子供時代、織田家に育てられ信長とは兄弟のように生活を共にしたそうです。
・・・“本能寺の変”を聞き、僧侶を引き連れ、遺灰を敵の手に渡らぬうちに自身の寺に持ち帰った。
小さなお墓から歴史上の信長の姿とはかなりの違いを見る想いですが
人間的なドラマを感じます。
お墓は御霊の留まる場所ではなく記念碑的なもの。
魂は天上世界で今もご活躍のことと思います。
・・・合掌。
変換違いですが笑えます。