半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

停電からの2週間

2019年09月22日 | 農的体験・生活

停電から2週間が経ちました。あっと言う間だった~。

成田はおかげさまで停電が東電が把握している限りでは無くなっています。

あとは、南房総などを中心に、まだ電気が来ていないところの復旧を願います。

私は被害は少なかったのですが、体力を使いまくっている感じで、疲れが抜けません。

農家さん達はなおそうなのでしょうが、ちょっと振り返りましょう。

 

9日(月)

成田のニュータウンと言われる中心部でも、停電はまばらで、私の地区は停電、しかし、公津の杜地区やはなのき台のほとんどは電気が通っていて、台風後に学校は遅れて始まっていたそうです。

私の地域は学校に電気が来ないから小中、共に休校。

とても暑い日で、高齢の母もいたので、イオンやイトーヨーカドーに避難していました。

公津の杜地区など停電していない人からは「えっ、成田、停電していたの?学校休みだったんですか?」とびっくりするほど、電気が来ているところと来ていない所の差が多きかったです。

イオン周辺も停電の所と電気が来ている所がまばらで「まばら停電だな~」という感じ。

 

我が家は幸い、お風呂に昨晩の残り湯があったので、トイレの水に使えたし、暑かったので夜はその水風呂にざぶりと浸かることが出来て汗は流すことが出来ました。

そのまま夜になって、あちこちで「停電しているらしい」という情報が、停電していない都市部の方にもまわって、我が家にも「暑いから泊りに来て良いよ」とか氷の差し入れがあったりして有難い

そして、夜20時頃に、電気復旧

思わず子ども達とバンザイしました

しかし、今回の台風の被害は甚大で、この月曜日の時点で
・大風で路地野菜に被害がでて、水曜日の野菜BOXを始めて8年目で初の配達中止
・週末の稲刈り教室の田んぼは、稲は当然倒伏で田んぼも水浸しで、まともな稲刈りは出来ない予定
・おかげさま農場も1日電気が復旧せず、お客さんとは電話で繋がるところ以外は連絡とれず。野菜も当然被害あり

といった状態でした。

一番有難かったのはやはり「車」です。

ラジオやテレビが見れて涼もとれるし、移動が出来る。

逆に、車が無く移動もしにくい独居老人には、特にあの暑さはつらかった停電でしょう。

一方で消防の人、電機工事の人などなど、あちこちで復旧で頑張っていました。

 

10日(火)

農家さんを何件か回りましたが、どこのお家も大体がハウスはつぶされ、良くてビニールが強風で破かれてしまっている状態。

中の作物もぐちゃぐちゃ。路地野菜は当然凄いことに。

千葉県にこれほどの台風が直撃したことは記憶になく、電気の復旧も予想以上に遅れています。

70歳近い農家さんは、暑さにまいっている様子で、かつ、携帯の電源が切れていて「どこで充電できるんだ?」という感じなのでドコモショップや成田の街中のマックなどをお伝えしました。


成田のニュータウン内と同様に、51号沿い、あるいは大栄地区などでも復旧している所としていない所があり、電気が使えるところがまだら模様。

「倒木で道が塞がっちゃったから、安めのチェーンソーは全部売り切れてどこにもないんだよ」という話や、同じ地区でも山1つ向こうは停電が無かったという話が伝わると、「何あいつの所は電気が来ているのか?山1つでそんなに違うなんておかしい」といった会話をしながらも、暑くて仕事にならず、水も無いのでトイレも困る状態が続いていました。

そんな本当に大変な時ですが、頑張ってある野菜を出して頂けること、ただただ感謝です。

私はその調整で、おかげさま農場の事務員もやっているので、取引先と携帯でやりとりしたり、農家さんで繋がらない方の家を回ったりで、結構ヘロヘロ。

それでも電気が自分の所は来ていて、「明日にはこの地域には復旧するんでしょうけど」みたいな感じでした。

(月)の午後で千葉県で61万件、成田市で26,000件の停電でしたが、火曜日の夜になっても成田市内で19,400件停電中。

思ったより復旧が進まない状況でした。

 

暑い日が続いていたので2日経って思ったことは、一番大変なのは暑さ。

次に水が使えないこと。

職場に行って涼める人は良いですが、地元で仕事をしている人、お風呂に溜めた水が無い家などはトイレが困る。

冷凍庫&冷蔵庫内も当然アウト。

お店は在庫がアウトだから悲惨な状態。

一応、いくつかの学校や公民館などで給水や避難所が開設されましたが、同じ成田市でも例えば停電していない場所もあったりで、まだら模様の停電。

独居老人に、例えば公民館に避難所が開設したという連絡は、誰かから行っているのだろうか?

例えば、空港内、公津の杜、はなのき台、イオン周辺といった新しい街でも停電が続いているところもある。

大栄地区や宗吾、久住なども同様。

車があれば涼や電気があるところに移動出来るのですが、昨夜マックに充電に行ったら、みんな同じことを考えているようで、満席で充電器にみんなスマフォのコンセントを挿されていました。

うちの子どもの中学校、小学校は復旧したけど給食センターが間に合わないので12時下校。

それだけすさまじい台風だったのですね。

とにかく、東京電力の停電情報をガラケーで1日にらめっこしていました。

 

12日(木)

水曜日の夜から今朝にかけて2000件が復旧した模様ですが、未だに成田市内で10,700件が停電中。

昨日も日中は暑く、私は午前は農家さんのハウスの修復や解体作業、午後はおかげさまの事務仕事で昼ご飯を食べる時間も無く。

でも電気や水が来ない地域のみなさんに比べれば、家に帰ればシャワーを浴びれる有難い状況。

「月曜日にハウスがつぶれて落ち込んだけど、みんな同じようなので、むしろうちは良い方だと思うようにしたよ」とか「水が出れば汗をかいたらシャワーとか出来るんだろうけど」という農家さんの言葉がしびれました。

 

さすがに3日間、電気と水がない生活は厳しく、また道路を挟んで向こうは電気が来たのにこちらはこないという状況も発生しており、何とも言い難いものがあります。


「東日本大震災の頃でさえ電気が3日間来ないなんてなかったからな。早く来て欲しいよ」というのが当地の切実な言葉です。

ハウスがつぶれて仕事にならない気持ちも萎える状況で、水と電気が来れば、気持ちだけでも良い方向に向かえるはずなのだけど。
夜を通して復旧している電気会社のみなさんが頑張ってくれているおかげでここまで来ていますが、今日には復旧してもらいたいものです。

 

13日(金)

昨日はいくぶん涼しく、ハウス解体仕事もきつくなく。

トンカチでカンカンしていると、役所の車が「小学校で給水をしています。なお、怪しい外国人が水を販売しているという情報がありますので、絶対買わないで下さい」とアナウンスしていた。そんな商売も出てくるんですね。

(水)(木)と2日間カンカンとハウス解体をやっていますが、以前いたネット通販会社からしょーもない事務的な問い合わせが。

「朝、連絡したでしょ」とプンプンしながらも、東日本大震災の時はあっち側にいて、何もできなかった不甲斐なさが会社を辞めた理由の1つだったことを思い出した。

今は知り合いの農家さんのハウス解体を自らの意志で出来る立場でもある事を思い、「あ~、会社辞めて良かった」と改めて思いました。

 

おかげさま農場は、昨日の朝、高柳家と直売所までは電気が来たのですが、その隣の丸和食品さん(豆腐屋)さんと事務所には電気が来ず。

メンバーも大半が復旧した中、「俺のところはまだだよ」と言うメンバーもいて、喜びを表すのも何だか難しい。

神崎町の方から「夜12時過ぎに復旧」という連絡がきたり。成田市内では現時点であと約2600件が停電。

今日には復旧することを願います。

 

そして(土)(日)は稲刈りイベントがあったので、この間、夜は参加者とメールなどでやりとりし、(金)は1人でオダを作り、(土)(日)はイベントをしたという流れでした。

16日(月)には大体の所に電気が来て、来ていない所は本当にわずかになったのですが、日常業務+ハウスの解体+秋冬野菜の種のまき直しなどで、体の疲労が抜けず。

色々あって、みんな疲れている感じ。

世の中では3~4日経ってから「千葉県は大変らしい」というニュースが広まり、先週末から何人もの方から「大丈夫ですか?」という問い合わせがあるものの、例えば「何か必要な物があるから送ります」というメールも有難いのですが、千葉県内はヤマト運輸さんも停電で大変なことになっており、気持ちは有難いが、被災地は物流も被害があるという事が知らされていない感じ。

また、こういった事に同情し、お声をかけて下さるのは多くは女性なので、とても有難い一方で、ハウス解体など肉体労働に来てもらうのも申し訳なく。

農作業がわかる方であれば、1つ伝えればあとはご自身でやれる方の方が、こういった時はかえって農家さんに迷惑がかからない、というジレンマもあるわけです。

そんなこんなで、停電から1週間経って、ようやくみなの電気と水が来るようになり、日常生活は出来るようになり、「〇〇のハウスはほぼ全壊したらしいぞ」とか「秋冬の大根とキャベツは半分は駄目だな」とか「まき直しが出来ていないから、今日にでもやらないと」といった全体の概要がわかる状態に。

とはいえ、「畑に倒れた倒木を何とかしないとな。でもチェーンソーが壊れちゃったからな、借りてこないと」とか、「ハウスは道路に出ていないからそのままだけど、解体すっか、放っておくか、どうすっかな」とか。

小屋や家屋の修繕、道普請、倒木の処理、ハウスの解体、稲刈りの続き、秋冬野菜のまき直し、日常の収獲と出荷など、ほとんどの人が「やることはいっぱいあるけど、何から手を付けたらわからない」といった混乱状態で、「まあ、出来る事を1つ1つやるしかないな」という感じです。

そして、ここは日本人なのですが「俺らは南房総の人達の方がよっぽど大変だよな」という事で、我慢して、自分達より被災のレベルが大きい人たちのことを思いながら働いています。

千葉県の農家からすれば「家屋やハウスの被害、倒木、停電の長さなどは東日本大震災以上」だった今回の台風。

そんな中で、私としては、手をあげてくれた方で動ける方と一緒にハウス解体などをやっていて、同時に自分の仕事もやっているので、疲労が抜けません。

ただ、成田ニュータウンの多くの人が「何か出来ることはありますか?」といった状態の中、農村部の方と多くのご縁を持ち、様子伺いに顔を出してお母さんと涙をしたり、汗水かきながらハウス解体をしたり、電気が来ず電話が繋がらない方の所に顔を出して情報を提供したりと、現地の方と同じように行動がある程度できていることに、「ご縁があって良かったな~」と思います。

東日本大震災の時は、放射能で大変なことになった農家さんに、直接は何もできなかった不甲斐なさが独立のきっかけでもあったわけです。

そういう意味で、今回は、未だ大変な農村部の中で、私も何かしら出来る範囲で復旧のお手伝いが実際に出来ている事が有難く思います。

 

ニュースはすぐに形骸化するので、本当に復旧というのは知らず知らず忘れ去られるでしょう。

しかし、ビニールハウスの資材が年内はほぼ入手不可能で、瓦職人もいないので、本当に復旧するのは来年以降になるはず。

今回の打撃で、今更新しくハウスを建てることはせず、離農する高齢農家さんも必ず出てきます。

 

都市部への特にベビーリーフやサラダ系の野菜は品不足になるでしょうし、9月1週目に種を蒔いたり苗を植えたりするキャベツや大根も、千葉県産は量が減るでしょう。

もちろん、お米も長雨の影響+台風で打撃を受けています。

ここ数年、気候が不安定で農業も安定して出来なくなってきました。

私の師の高柳さんは「今までは西日本が大変だったが、今度は千葉県の番が来たんだな」と言っています。

世界各国、そして日本、そして千葉県と「局所的」な干ばつ、豪雨、そして台風などが予測できないレベルで起こるようになりました。

 

それでも命を扱う農業は、生きていくために必要です。

「農村コーディネーター」という稀なる仕事を創り、8年間やってきましたが、引き続き、農村に足を着け、都市部の人と農村を繋げる役割を全うしていきたいと思います。

 

 

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