美輪明宏さんっていますね。
黄色い髪で不思議な人で、私からすれば不思議なちょっと変わっている人ぐらいでした
オーラの泉という番組で江原さんとあっちの世界の話もしていなた~、程度。
ただ、ちょっと前の紅白で「ヨイトマケの唄」を聞いて、「なんじゃこの人は」とびっくりしたのです。
ちょっとした変わり者の芸能人という程度だったのが、ちゃんと髪も染めて男っぽい姿でパワフルに激しく強い思いを込めて唄ったのを聞いて、衝撃を受けました。
まあ、それはそれで凄かったのですが、それで終わりでした。
で、たまたまこの前、NHKの「Songs」というのに出ていたので、「おっ、あのヨイトマケの唄が聞けるかも」と思って見たのです。
いや~、凄かったです。
私はもう50歳が近づいてきていまして、「どう生きるか」とか「本物の大人」とかが一番の関心事なわけです。
私にはもう現世にはいませんが本の世界では常岡先生や東城先生が心の師匠としていますし、現世にまだ存在している人としては髙柳さんが師匠として存在します。
およそ、この7年ぐらいは師匠がいる人生を送ってきているので、自分をいつも磨けている有り難い時間を過ごせています。
ということで、「しっかりして生きてきた昔の大人」は私にとってはあこがれであり学ぶ対象なのです。
で、美輪明宏さんって、凄い人だった、本物だ、と思ったのです。
日本で恐らく最初に同性愛者と世間に告白した人らしいですし、何より苦労に苦労を重ねていまのような生き方になった人。
もともとはカフェや旅館などを経営している裕福な家で育ったので、家の前にあったレコード屋さんで何でも好きな音楽を聴いていたそうです。
それでシャンソンなどが好きだったらしいのですが、戦争で「敵国の商売」ということで、カフェをつぶされ、その後、戦争に負けたら「善が悪に、悪が善にひっくり返った。いったいなんなんだ。こんな世間を信じても仕方ない」と自分で責任を取る代わりに自分で自由に生きていく事を決めたそうです。
米軍キャンプで唄を唄ったり、東京で3日1回ご飯が食べれないのも当たり前のホームレス暮らしをしながら、たまたま声をかけられて銀座のカフェで唄うようになった。そうしたら、当時、サラリーマンの給与が1.2万ぐらいだったのが5万ぐらいもらえたそうです。
ところがライバル店が出てきてその店がつぶれそうになったので、髪の毛を紫にして銀座を歩いて客を集めたり、まあ話題を作っていったそうです。
当時の映像を観ても端麗な怪しい男なんだけど女の人のような美しい人だったのですね。歌声も性別がわからないような存在。
レコードも大ヒット
しかし同性愛者告白で芸能界から干されて全国地方行脚へ。
そんな中で訪れた炭鉱の町で、ヨイトマケと呼ばれている差別されているような労働者が、しわくちゃのお金をもって木張りの床の上にむしろをひいただけの公民館に集まって自分の唄を楽しみに聞きにきてくれた。
しかし、自分はシャンソンだのきらきらした服装で唄っている。「もう死ぬほど自分が恥ずかしかった」そうです。
それで出来たの「ヨイトマケの唄」。
これが大ヒットするわけですが、「差別用語」ということで放送禁止に。
それでもこれまでの人生で、戦争で昨日の悪徳が善徳になる事を体験したり、世間の裏表をかみしめているから、「自分で落とし前をつければ人生を自分の決めたように生きて行けば良い」と、今のように生きるようにしたそうです。
「男が女を好きになる。女が男を好きになる。男が男を好きになる。女が女を好きになる。好きになるということに変わりはない」といった力強い言葉も凄かったです。
紅白の時が77歳でしたっけ?今回のSongsでは85歳での歌唱とは思えないほどのパワフルさでした。
そういえば人生相談がちょこっと入り、「妻子ある上司が男らしく素敵で好きになった」という相談者に「知らぬが仏。知ってしまえば花に見えてもたいしたことない」みたいな事でさらりとかわしていたのが面白かった
知らなければ不思議な人、でも人生をすれば「あ~、凄い人だ。本物だ、この人は」とわかりました。
まだまだ凄い人は世の中に沢山いるんですね。私が知らないだけだな~。
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