半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

単純化と2項対立化

2022年12月16日 | 自分の時間

ずっと思っていましたけど、何だか最近、さらに世の中がどんどん単純化と2対立化しているな~と思います。本当はどんどん複雑になっているのに。

「食と命の教室」という、農や自然や農家さんから学ぶ、大人の寺子屋を10年やってきましたが、この3年で、一気にそういったものを求める人が増えてきました。

今までの社会のあり方の延長では、先が見えない、という自覚する人が増えてきたのでしょう。

 

一方、ますます、今までの社会の枠組みに入り込んで行く人も増えている気がします。

例えば、私の時代は超氷河期でしたが、当時の流れにも合った「良い企業に就職しなくては」「良い学校に行かなくては」、あるいは「公務員が安定している」といった事を、私の時代よりもいっそう強く思う人達も増えています。

 

2極化しているな~と。

 

優秀と呼ばれる学生は、社会問題の解決に取り組もうとしている企業を選ぶ傾向があるそうで、就職するならそういった取り組み姿勢を条件に入れたい、という学生が50%以上だそうです。

一方で、人口減社会で人手不足とはいえ、まだまだ就職先を選ぶなんてことより、目の前の稼ぎを優先して職を選べない学生も多くいます。

 

「自然」とか「農」など第一次産業に関心がある人々が爆増している中で、IT関連で起業しようとする学生、リスキリングだと言って個の能力を伸ばす事に集中している方々も多いです。

 

混迷の時代に入っていると、シンプルな言葉や思想、あるいは新興宗教が流行ってくると思うのですが、そういった時代って、結局、選択肢が色々あって、自分なりの選択に「これで良いんだ」と肯定感を持つために、「これが正しい」といった明言、断言してくれる人に、みんな寄りかかってしまいやすいですよね。

わかりにくい悩める時代だからこそ、「これだ」という正解、シンプルな答えを求める人が多くなっている気がします。で、そちらが「正しい」と思って、ひたすらそっちに行ってしまう。

 

でも、歴史を見てもそうだし、自分の人生を振り返ってもそうだし、考えれば考えるほど、「単純化」って、思考を停止しているだけで危ないよな、と思います。

例えば、「個人の自由が大事」とか言う人に限って、自分の存在が家族や周りの社会から支えられている、といった「公」があることを無視して、その足下を支えている「公」に向かって戦うことに悦に浸っている、という気がします。

「農薬を使う人は良く無い!」と決めつけながら、日本の食を支える慣行栽培の野菜を使った外食を楽しむ人。環境問題を訴えながら、コーヒーやアボカドやエビが大好きな人。シンプルな答えに熱中しながら、自分の足下がこぼれてしまっている人達。

台湾有事に備えてアメリカと共同体の日本としては、軍事費増大やむなし、という主張の一方で、平和外交を唱える野党。そんな簡単にはいかないのは、まともな大人ならわかっているのに、なんでああいった議論を公で恥ずかしげもなく出来るんだろう。

成田市の市長選挙もそんな感じ。TVや本もそうですよね。

 

問題を単純化して、何が正しくて何が間違っている、というのをはっきりさせるのは、一般大衆に受入れられやすいからでしょうが。でも、世の中どんどん複雑化しているのだから、シンプルな答えなんか無いのに。それで問題を2極化して、2項対立させて、正しい側と間違っている側というわかりやすい構造にしたがってしまう。

自民党をぶっ壊せ、とか対抗勢力、という言葉で一世を風靡した総理大臣がいましたが、気持ちが良い言葉を使える人は才能でしょうが、単なる煽動者、という面もありますよね。時代が違えば革命者と呼ばれるのでしょう。

 

世の中が複雑化していて、問題も複雑化しているので、シンプルに物事を語れない世の中になってしまった、というのを当たり前の大前提として、その中で、今はこの選択肢、明日はこっち、といったように、局面に応じて自分のスタンスを変えていくのが今の生き方なのでしょうね。

もちろん、自分の立場や役割を考えたらAを選ばざるを得ない、しかし、1人の人間として問われればBを選ぶ、というのも、これまた当然だと思うのです。

そういった社会に生きているよな~、と思います。

以上、漠然としたことをつらつら書いて失礼しました

終わり。

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