たまたま、「おかげさま農場」の仕事中、かかってきた電話を受けたら、過去に1度だけ会った事がある若者でした。
その若者は、最初は「農業研修をやりたい」という話でしたが、いざ会ってみるとそうでもなく、色々あって、心身のバランスを崩している若者でした。
詳しくはありませんが、「やりたい仕事」と思って手を出したものが、色々あって上手くいかなかったようです。
そんな若者に対して、髙柳さんは特にその原因を追及するわけでもなく、
「自分が普通じゃない状態という事はわかるんだな?」
「人生は悩みの連続だよ。悩む事も大事だぞ」
「私だってこの年で人生が何かわかっていないよ(笑)」
「生きているだけで奇跡なんだよ、有り難い事なんだよ」
「人生って何かわかるかい?それは生きてみないとわからないものなんだよ」
と、悩みの原因を聞き出すわけでもなく、過去、自分のところに来た悩める若者の事例を伝えつつ、人生の先輩という立場から言葉を投げかけ包み込むのです。
私にとって髙柳さんの存在は大きく、人の生き方を学べる師匠という存在で、この若者にしても、こんな人に会ったことは無かったでしょう、何かしらの刺激になったと思います。
髙柳さんも「最近は老人も逝き方、弔い方さえわからなくなってしまったからな」と嘆いていますが、「それは核家族と言う言葉が出始めた時ぐらいから、あぁ、もう日本人は駄目になるな、と思ったんだよ」と言います。
それは「介護施設だって何だ?という感じだったんだ。親父もお袋もじいさん、ばあさんを看取ったわけで、その親父やばあさんを介護するのは当たり前なんだよ。だって、順番だろ?そう言っている自分もいずれ介護されるわけになるんだ。そしてじいさん、ばあさんが逝く姿を見て、逝き方を学ぶわけだ。そういった事が全部断ち切られてしまったのが今なんだよ」と。
髙柳さん達は、上の世代、またその上の世代から、さらに上の世代の話を聞きながら育ち、そして見送り、生き方、死に方を学んできたと言います。
そういった髙柳さん達の話を聞くと、私もかつてはそうでしたが、今の人は「あっちでふらふら、こっちでふらふら」している人が多い気がします。
家庭中心で生きられる人、仕事中心で生きられる人はまだ良いのです。
仕事に充実感を覚えず、家庭にも充実感を覚えられない人は、セミナーやワークショップに行っては刺激を受け、またしばらく経つと現実に悩み、時に心にぽっかり穴が空く、という感じで満たされない人が多い気がします。
一方で、髙柳さん世代は「務め」という言葉を大事にします。
「俺らの時代は、中学卒業したら、半分が家を継ぎ、半分が高校に行く時代だったな」と言いますが、15歳で働き始めるのが大半だったわけです。
そして家業、まあ昔は大半が農業で、それ以外に、左官屋、大工、薬屋、酒屋など色々仕事があったわけですが、じいさん世代、親世代の仕事姿を見て育ち、「仕事とは与えられた務めを果たす事」という考えが体にしみこんでいました。
逆に時代としては「農業なんかしていないで、会社の勤め人になった方が楽して安定的にお金がもらえる」という時代で、親が継がせない時代にも入っていましたが、いずれにしろ「生計を立て家族を食わしていけるために働く」というのは大人になった責務でした。
髙柳さんも「仕事が楽しいかどうか、なんて考えたことは無かったな。俺らの時代は『務めをちゃんと果たしているか』、といった感覚なんだよ。そこが今の人達とは根本的に違うな」と言います。
例えば、髙柳さんの奥さんが、前述の若者と話しているときに「私の幸せはね、そうね、お父ちゃんと仕事が一緒に出来ることですかね」と言うのです。
体が動いて仕事が出来る、それが幸せ。
こういった感覚は、近代の自己啓発本などにはありませんよね?
今のセミナーや本などは、ほとんどが欧米の個人主義からきているものです。
しかもある程度有名になった著名人の本。
著名人というのは、一般の人より少し目立つ事をした人、多くはお金儲けに上手くいった人の話です。
そういった人が「こうしたら良い」と言いますが、それは一般的な人には当てはまりません。
それが出来ている人は、そんな本は読む必要がありませんから。
一方で、日本は「修身」が基本教育でしたし、ベースは論語です。
自分が良ければ良い、まずは自分が楽しい事をすべきだ、というのは、欧米から来た快楽主義がベースですが、自分を律する事、人のために働く事、家族のために働く事、といった、今までの価値観は「押しつけられた古き時代の悪習慣」といったようになってしまいました。
「我慢しなくてよいんだよ。あなたはあなたの人生を生きる価値があるんだから」
「自分の人生は自分のもの。自分で切り開いて行けば良い」
「自分が楽しくなければ人を楽しくさせることは出来ない。自分がまず幸せになろう」
「自分のやりたいことをやればよい。その上で人を幸せにできたら最高だよ」
こんな言葉が多いですよね?
でも、これって一面では正しい事だと思いますが、その裏側の根っ子の部分が無いと思うのです。
髙柳さん世代の言葉で言えば、「命は与えられたもので、心臓も自分で動かしているんじゃない、勝手に動いてくれているんだよ」という感覚です。
「ご先祖様がいて、親父・お袋がいて、そして俺がいる。そして自分の意思で心臓を動かしているんじゃなくて、心臓が動いてくれている。これは自然に生かされていること。それだけでも凄いことだよな」
こういった「感謝の心」が前提にあり、だから、与えられた命、人生をきちんと生きるためには、ご先祖様に恥じないような生き方をしなくちゃいけない、務めをきちんと果たさなければいけない、子孫に自然や田畑をきちんと渡していかなくてはいけない、といった責任をもって生きている。
今の言葉で言えば利他主義になるのかもしれませんが、髙柳さん的には「務めを果たす」という事ですね。
例えば、歌舞伎役者の家が顕著ですが、家の代々の仕事があり、世襲制度があり、それは「継がないといけないもの」ですが、年を重ねる事で「その意味」がわかってくる。
つまり、自分の私欲よりもっと大きな存在のために生きている、という充実感でしょうか。
能の世界もかじったのですが、例えば「この笛と鼓は今は良い音が鳴らない。しかし、50年後か100年後には名器になる」というものがあったら、自分の代で良い音が鳴らなくても気にせず将来のためにそれを使い続ける、という習慣が今も残っているそうです。
髙柳さん世代も同じで「この田んぼは、いつの誰かわからないけどご先祖様が手で開墾して作ったわけだよ。手で開墾なんて想像を絶する仕事だよ。それで代々、命が繋いでこれたわけだよ。だから私の代は預かっているだけで、渡していくものなんだよ」
髙柳さん達、農村の大先輩達とつきあっていて思うのは、人として立派だな~、という事。
それは自分の心を満たすためではなく、務めが何かわかっていて、それをきちんと果たそうとして生きている事、ではないかと思うのです。
日本の伝統的な暮らしというのが、近代化、特にアメリカ文化の個人快楽主義が輸入されたことで否定されてきてしまったのがここ数十年じゃないかと思います。
でも、よ~く考えればわかる事のような気がします。
人間も自然界の動物と思えば、何のために生まれてきたか、といえば、極端にシンプルに言うと「子孫繁栄のため」です。
これを馬鹿にしてしまう人が多いと思いますが、私は「そりゃそうだ、子孫のために生物は生きているんだ」と本気で思っています。
子供を産み、子供を育て、立派な大人にしていくこと。
これ以上の素晴らしい仕事は無いと思います。
これが大人の務めだと思います。
「鬼滅の刃」の煉獄さんの言葉じゃないですが「強い者が弱い者を守る。そうして弱い者も強くなったら今度は弱い者を守る立場になる」とか「俺は俺の務めを果たす」という言葉は、まさに日本の正義、という言葉だと思います。
今は子供がいないご夫婦、あるいはシングルの方もいますが、それは動物社会で言えば悲しい事ですが、人間社会は知性というのがあり、社会というものを作ってきたので、自分の子か他人の子かどうかは関係ありません。
人間は社会的動物ですから、自分の子供がいなくても、子供達のために立派な社会活動をしている人は多くいます。
結局は、大人になるのは子孫を守り育てる社会をつくるため、というのがシンプルな目的だと思います。
そうすると、自分を充実させよう、というのは若者の考えであって、立派な大人は他人や子供達のために精一杯力を使って言える人じゃないか、と思うのです。
1960年ぐらいまでは、日本の7割が農家だったと言いますから、昔の大人は、家を守って家族を食わせるのが精一杯だったということもあるでしょうし、じいさん、ばあさんもみんなで田畑仕事をしていたというのもあるでしょう。
その分、「務め」がシンプルだったというのがあると思います。
今は物質的には豊かな時代で、「昔の王様よりも享楽的な暮らし」を一般家庭でも出来るようになりました。
ボタン1つで料理が出来、洗濯も出来、好きな音楽や動画も見れ、沢山の娯楽が選べる時代になりました。
その分、生活を必死にしなくて良くなったためか、務めがわかりにくくなってしまった事もあると思います。
その反動が、家庭菜園ブームだったり、DYIやキャンプブームにあらわれていると思います。
農家からすれば、家庭菜園もDYIも普段の生活の仕事の一部ですし、キャンプなんてわざわざなんで外で寝るんだ?という感じですから
まあ、長々と書いてきましたが、今の若者は、どちらかというと「地球環境」や「コミュニティ-」という言葉が好きで、そういった仕事に就こうという子が一気に増えてきたと思います。
私の20代よりよっぽど意識は高いのですが、残念ながら、私の子供時代より便利な子供時代を生きてきてしまったので、生活力が乏しい子が多いです。
そんな子達が、「地球環境のためになる仕事」を目指して農業に足を踏み入れる事は良い事ですが、その根っこにある、自然やご先祖様に感謝し、その感謝があるからこそ、自分のやりたいことという以上に自分の務めとして仕事を捉え、根っこを育てていってもらいたな~と思います