半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

道は体得するもの

2017年04月26日 | 自分の時間
以前、「教え」があるから人は救われるけど、一方で、「教え」に執着するあまり、「教え」が争いの原因になるということを書きました。

まあ、いわゆる宗教が筆頭で、また、人は自分の信じるものがあるから強く生きれるわけで、それと相いれないものは、敵とみなしやすいわけですね。

例えば、「時間はきちんと守るもの」ということを当たり前の常識として思っている人から見れば、時間にルーズな人は人間としてルーズ、あるいは許せないわけです。


ところが、インドネシアなり海外のまだ農村のようなところ、あるいは日本だって農村にいけば、「昼頃にあおうな」と時間は漠然としています。

そんなところで「何時なの?」「10分も遅れてきた!」と騒いでもしょうがないんですよね。


世界が変われば常識が変わる。

そこを無理やり自分の信じるものに合わそうとすると、破壊や争いが起きる。

アメリカの「民主主義は正しいもの」というものが最たる事例ですね。


じゃあ、「教え」じゃなくて、何をもとめるのさ?


となると、それは日本人的には「道」なんじゃないかな、と思います。

「道」とはどうやって生きるか、あるいはどうやって生きて来たか。


昔の大工の世界、あるいは職人の世界は、口伝ではなく、「見て覚えろ」の世界でした。

法隆寺の改築で有名だった「最後の棟梁」と言われた西岡常一さんは、祖父、お父さんに小さい頃から法隆寺に連れていかれたそうです。

そして、おじいさんは見せて覚えさせる。見せた後は、試行錯誤をして一切教えなかったそうです。

高校も農業高校に行かされ、木や命を育む土のことを学ぶことになりました。
「本と相談して米作りするのではなく、稲と話し合いしないと稲は育たない。大工もその通りで、木と話し合いをしないと本当の大工になれない。」と諭されて育ったそうです。

その西岡家に棟梁となったものだけに伝わる秘伝の口伝は

神仏を崇めず仏法を賛仰せずして伽藍社頭を口にすべからず。
伽藍造営には四神相應の地を選べ。
堂塔の建立には木を買はず山を買へ。
木は生育の方位のままに使へ。
堂塔の木組は木の癖組。
木の癖組は工人たちの心組。
工人等の心根は匠長が工人への思やり。
百工あれば百念あり。一つに統ぶるが匠長が裁量也。
百論一つに止まるを正とや云う也。
一つに止めるの器量なきは謹み惧れ匠長の座を去れ。
諸々の技法は一日にして成らず。祖神の徳恵也。

だったそうです。

これは「大工の技術、心構え」の教えを学ぶ、順守する、というレベルでは無いと思うのです。

「棟梁として、どこまで突き詰めて生きたか」というところだと思うのです。

茶道もそう、剣道もそう、華道もそう、書道もそう、神道もそう。

どんなことも「どこまで突き詰めて生きたか」。

そこまでいって初めて人間としての格が出来、誰かが作った教えではなく、自分の生き様で勝負できるようになるんだと思うのです。

人が目指すべきは、何をしていても最後は「道」を体得することなのでないのかな、と思うのです。

お掃除道というのもあるでしょうし、家事道というのもあるでしょう。

そういった感性が、あるいは思想が生活に合ったからこそ、日本人はまともな大人が多かったんだと思うんです。
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