半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

食と命の教室 栗拾いや様々なお話し

2016年09月24日 | 農的体験・生活
9月は長雨続き。

今月の「食と命の教室」もどうなるかな~と思っていましたが、なんと日曜日から晴れるということで、ギリギリ雨でした

また、教室長の高柳さんは稲刈りがなんと三分の一しか終わっていない状態

今年はさんざんで、台風9号で千葉県の農家さんは大変な被害を受けたのですが、田んぼの稲は倒れてしまっても、穂が水に浸からなければなんとかなるのです。

しかし、一般的な田んぼ違って、高柳さんの田んぼは山裾の田んぼなので、水がなかなかひかないのです。

水がひかないということは、コンバインという刈り取り&脱穀の機械が入れない。無理して入ると沈んで動かなくなってしまうんですね。

ということで、台風9号の被害のあと、利根川の水田地帯など、整備されたところは一気に刈り取ったわけですが、山裾の水がひかない田んぼは、全ては刈り取りが出来ていないのです。

しかも高柳さんは50枚近くの田んぼをやっているので、とても終わらない。

晴れても1日じゃだめで、2日ぐらいたってようやく田んぼに入れるようになる、という感じなんですね。

そんな感じで「どうにも動けないな」という感じで、大根も種まきが1週間遅れたし、油を搾るためのヒマワリの種の脱穀もいつもより収量は大変少ない状態。

ということで「今回は田畑作業どころじゃないから、お話ししよう」ということで、じっくりと車座になってのお話デーとなりました


まず出てきたのが、なんとこの時期に小玉スイカ
今年はスイカの苗がアブラムシにやられてしまったので、2回目の植えた苗が実をつけ始めたのが8月下旬。
ということで、まだ冷蔵庫にあったんですね~。こんな時期に食べてもやっぱり美味い



さて、お話ですが、今年は「むのたけじ」さんが101歳で亡くなったので、「むのたけじさん」のお話を皮切りにスタート。

むのたけじさんは、もともと新聞記者で、いろいろあって朝日新聞に移り、その後、従軍記者の1人として戦争に加担したという罪悪感を持っていました。

戦後、「我々報道に関わるものも大いに反省しなければいけない」と記者を辞め、いろいろ苦労があって地元の秋田県横手市に地元に戻り「本当のジャーナリズム」を目指し、「たいまつ」という週刊新聞を立ち上げた人です。

高柳さんは若いころ、みんなで学びを深めようと、いろいろな人を講演会に読んだり、交流をしたのですが、その1人がむのたけじさんでした。

19歳の時に出会ってから、5~6回会って交流をしたそうです。

むのさんのお話は大変わかりやすく刺激的で、例えば、上官次第で隊の雰囲気が全く違った、ということや、言論統制があったことなど、様々なお話があったそうですが、例えば「ジャーナリズムは真実を伝える。例えば10の事実があるとすると、10の内3つを報道する。それは本当だと言われたら本当だが、しかし残りの7に大事な真実があるのであれば、それは真実を伝えられていない」という思いがあったそうです。

そんな思いで、地元で1件1件まわって、有料で「たいまつ」という週刊新聞を広げていったという偉大な方です。


また、無着先生の話も。

無着成恭さんは、子供電話相談室で私も知っていましたが、もとは「山びこ学校」という無着先生が教師だったころの学級文集で有名になった方です。

色々あって学校の教師を辞めるのですが、家が寺で坊さんの資格も持っていたので駒澤大学に仏教を勉強しなおしに入学。
そこの理事長の紹介で、請われて明星学園へ教師として再び入りました。

しかし、中高一貫教育の学園だったのですが、「中学から高校に上がるとき、試験に落ちれば落第」という制度に反対し、「もし生徒が点数が取れなくても、それも含めて面倒を見るのが教師というもの。学校というのは学びの場であり子供を教え育てていく場」ということで対立し、受け入れられず、退職(といっても、「無着先生がいたから入学したんです」という生徒がいたので、その生徒が卒業するまで3年ぐらいいたそうです)

その後、高柳さんに対して「農業は大切ですよ。命を守るものです」と言っていたそうですが、当時の高柳さんは若く、坊さんが嫌いだったので「そんなこといったってよ。東京のど真ん中に居てそんなことを言っても本当に聞こえないよな」といった返答したらしく、それが大きな原因ではないのですが、「住職が居ない小さなお寺」ということで、成田市の隣町の多古町のお寺に住職として入り、おかげさま農場立ち上げ、またその後のメンバーの一部に大きな影響を与えていったそうです。

まあ、そんなこんなで、1時間半ぐらいお話を頂いた後、まだ雨が降っていなかったので「栗でも拾うか」と、外に。

高柳家では栗の木を植えたのですが、いろいろ虫などで倒れ、残った1本の栗の木がまあ本当に大きな栗の実をつけているのです
毎日、一升を茹でて食べているそうですから、びっくり


木には実がなっておらず、もうすべて下に落ちていました。それをみんなで拾ってバケツいっぱいに


大粒の栗がたっぷりできたので、「おやつに食べよう」ということで、まずは栗を手で洗っていたら「ちょっと」といって、ケヒャルでシャー
う~ん、文明の利器は早い、便利、すごい



さて、いつものお母さんの手作り美味お昼です


いつも通りとってもおいしいのですが、今回凄かったのは雑魚の佃煮
親戚が霞ヶ浦でとってきて煮込んだそうなのですが、エビやら小さな魚はもちろん、明らかになまずの赤ちゃんみたいなものも混ざっていて、まさに「雑魚ってこういうのをいうんだな~」と思いました。

味付けはお店のものと同じで、生臭くなく、本当に美味しかったです


さて、午後は倒れた稲を見学しに。
見わたす限り刈残った田んぼはすべて高柳さんのところのものです


倒れた稲を見たことが無い人は「あ~、これは・・・」とショックを受けるようです。
こういうのを日常的に知ると「農業は天候次第」「食べ物は自然からの頂きもの」という思いが沸いてくるんですよね。


さて、戻ると午前中にとった栗をお母さんが茹でておいてくれました
ゆであがった栗たち、とってもおいしかったですよ


その後、戦争の話、仏教の話、道の話、などなど色々な話をみんなでしたり、3年前に六本木ヒルズで開かれた「米展」のdvd「白姓」をみんなで見たり、いろいろな話をしました。

参加者の一人がこんなコメントを載せてくれました。

「こうして私の全く知らないことを教えてくれる存在が昔はごく身近にたくさん居たし、こんな風に一緒にご飯を食べたりお茶を飲みながら会話を交わす機会がたくさんあったんだよね。

私の実家も常に誰かがお茶飲みに来ていたし、父はお客さんとお酒を飲むのも、お土産をたくさん持たせるのも大好きな人でした。

いつも各地域に寄り合う場所があって、酒癖の悪いおじさんや、世話焼きなおばさんや、器用でかわいいおばぁちゃんや、そんなデコボコででも何だか結束力のある大きな家族みたいな場所が一時代前まであったんだよね。
高柳さんはそんな人です (*˘︶˘*)

みんなを大きなハートでいつもウェルカムな気持ちで迎え入れてくれて次の世代へ大切な自然や命や知恵を渡そうとして下さって、みんなのお父さんであり長。
やっぱりこういうコミュニティーって本当に大切だと思う。自分の世代とか家族以外のつながり。みんながそれぞれのまま、多様なままつながり、受け入れ合えるおっきな家族のようなもの。いつもいつも、温かな気持ちで家へと帰る帰り道です (*˘︶˘*)」


有り難いですね~。そしてこういった感受性を持った人が、そのままその心を開放して言葉にしてくれる、うれしいですね~。

次回は10月23日(日)開催で、糀作りと餅つきをして餅をたらふく食べる予定です

「食と命の教室」も今年はあと2~3回。残りの時間もゆっくり楽しく充実した教室になるようにしたいと思います


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