半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

大切なこと

2014年04月18日 | 自分の時間
畑作業、特に草取りなどの単純作業をしていると、色々瞑想が出来ます。

今日、畑の草取りを1日にしながら思ったことです。


「食べ物が体を作る」というのがありますが、子育てで一番大切なのは「食べ物」なのかな?と思ったのです。

いや、もちろん、命を続けていくために不可欠ですし、食べ物が人を作るのは間違いないと思います。
ジュースを毎日飲んでいる子が、それを止めただけで落ち着くようになった、といったような話は枚挙にいとまがないですから。


ただ、親の愛情が無い「えさ」としての食べ物を与えられ続けられても、その子供は健全には成長しないはず。

たとえ共働きで、外食や加工品を使っているお母さんであっても、愛情があれば、いくら材料が良くてもキーキー怒鳴っている神経質なお母さんよりもよっぽど子供にとっては「幸せな食卓」になると思います。

あと、猿もそうですし、動物なら人間もそうですが、「愛情を持って育てられた」という実感が無いと、自分の子供にもどうやって愛情をそそげばよいかわからなくなる、と言います。

次の世代にも繋がるわけですね。

なので、子育ては、1に「愛情」なんだろうな、と。


そして、炭酸ジュースや添加物たっぷりのお菓子を喜ぶからと言って平気で買い与え、好きなおもちゃも好きなだけ買い与えられ、幼少の頃からゲームやdvd漬けにされ、仮面ライダーやウルトラマンなどのテレビを毎週見て、教育といえば「塾」という環境で育てられた子供。

一方で、お母さんの手作りのお菓子やお料理を食べ、時には一緒にお手伝いをし、一緒に折り紙や工作をし、針仕事をし、お掃除などを一緒にし、一緒に遊び、本を読み聞かせたり子供の「どうして?」をしっかりと聞いて答えてあげる、そんな「生活」から多くのことを学べる環境の子供。

どちらが子供にとって健全かといえば、それは後者でしょう。

もちろん100%そんなふうにするのは難しいし、そんなことを言えば「じゃあ、あんたやってみてよ」という突込みが入るでしょうけど

でも、食べ物のこと、テレビやゲームなどは気にする対象ではなく疑問は待ったことは無く、「教育」は学校の勉強のことをさし、学校の勉強が出来るようになるために、遅れないために、幼少から公文や塾に通わせることを教育と思う親と、生活の中から食べ物の大切さ、ゲームやテレビ中毒の問題、暮らしの中やお友達や本との関係が大切だということを語り自分も実践する姿を見せるのが教育と思う親では、子供に全く違った価値観、人生観、力が出来上がるでしょう。

そうなると、1に「愛情」、2に「教育」が大切なんだろうな、と。


その上で、大切なのが「食べ物」なんだと思います。


もちろん、幼少の頃に外食や市販品のものばかり食べていると、普通の自然の味が普通と思えなくなり、マックの味やアミノ酸の味が普通とすり込まれてしまうと言います。

いわゆる味覚障害であったり、味覚の教育がされてしまうわけです。

すると、大人になってもそれが普通になって、世の中の1/3~1/2が糖尿病であったり、ガンであったり死んでいくという流れに、なんら疑問を持たず、要因の1つである不自然な食べ物を食べ続けることには疑問を感じなくなって育ってしまう危険があります。

あと、自分の代では症状が出なくても、子供や孫がアトピーなど可愛そうなことになったりするかもしれません。
何でも3世代後に出てくる、といいますから。

そして、自分の子供や孫にも同じよう食卓となってしまうわけですね。


ただ、教育を受けていれば、後で「理性」で修整が出来る可能性はありますよね。

そういう意味で、本当は「教育」が最上位なのかもしれませんが、江戸時代から昭和初期にかけてのストイックな教育ではなく、心豊かに自分の中に育まれた思いや愛情を糧にせちがらい世の中を切り開いていくのが今の時代だと思うので、小さい頃に大切なのは、やっぱり「愛情」なんだろうな、と思います。


まっ、その時々、考えは変わりますが、そんなことを思った草取りタイムでした
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