この前、シカさんから借りてきた本を読み終えました。特に、鳥山敏子さんの本は、あまりにも衝撃的でした。ということで、「いのちを頂く」という事について書かれた本について、今日は紹介します。
この前、お借りした本は、
★鳥山敏子さんの【いのちに触れるー生と性と死の授業】
★黒田共歴史さんの【豚のPちゃんと32人の小学生】
の2冊で、これを読み終えました。
実は、「ニワトリを飼って、自分でさばいて、食べるところまでやりたい!」と直感的に、漠然と思っていたわけですが、図書館で「ニワトリのさばき方」が載っている本を探した時、出てきたのが、
村井淳志さんの【「いのち」を食べる私たち(ニワトリを殺して食べる授業ー死からの隔離を解く)】
でした。
村井さんは大学教授なのですが、鳥山さんが、小学4年生相手に、「鶏を殺す授業」をやった事を、分析しながら「死からの隔離」について、説いている本です。
当時、鳥山さんの鶏を殺す授業を受けた子達が、大人になった今、あの頃どういう印象を受けたか?を聞き取り調査したり、実際に、自分でも鶏のさばき方を学んだ上で、自分の生徒達に鶏を殺す授業をやったりしています。
また、近藤薫美子さんの絵本「のにっき」というのも紹介しています。 具体的には、イタチの親子のうち、親が死に、その死体が時間が経つことで、リアルに腐敗して行く様子、土に帰っていく様子、虫がその死体を食べて、その虫を鳥が食べて、、、と自然が循環し、最後に、その場所ではぐぐまれた命が、大人になったイタチの子に帰っていく、という内容。詳細に書かれているので、一見、グロテスクだけど、絵本なので、ある意味コミカルに、命の循環が描かれている絵本。
こういった絵本を紹介したり、作者にインタビューをしたり、、、 というように、単に学者の先生が、いのちについて、「論理」を展開するのではなくて、対象に直接インタビューを試みたり、自分で実践したりしながら、今の時代は、「死」は良くないもの、見てはいけないもの、といった概念がはびこり、あえて「隔離」されてしまっていることに、問題を提起しています。
もちろん、「ニワトリのさばき方」が詳細に載って折り、大変参考になったのですが、書かれている「死からの隔離」についての話が、大変、大きな影響を私に与えました。
久々に「読み応えのある本」「これは、買いたい本」「人に薦めたい本」という感慨を持ったものです。
もちろん、好みの問題もあるので、子供に「いのち」について考えさせること、社会が「死」は忌むべきものといった雰囲気で、自分も子供もあまり「生物の死」から隔離がされている事に、「大切な経験が積めていない」、と、思う人には、超お勧めです。
で、この村井さんの本のそもそもの発端となったのが、鳥山さんの著作
【いのちに触れるー生と性と死の授業】
でした。
村井さんの本を読んだ後に、そもそもの発端となった鳥山さんの本を読んだわけですが、本当に凄い実践をした人がいたものだ。。。と、大変衝撃を受けました。村井さん、という教育者が、鳥山さんの実践をベースに、更に自分なりの教育問題定義をしたい、と思ったのも、本当によくわかります。
内容をざっくり書くと、ペットを可愛がるだけで、死んだら「可愛そう」としか思えない子供達が、「命は大切だ」と言っている一方、他人が殺した家畜を平気で食べていて、でも、自分で殺すのは良くない、もっといえば、家畜を殺す人に対する差別、まで発展していることを、全部ひっくるめて学びとするために、鶏狩りをさせ、鶏を実際にさばいて、食べる、ということを体験させたり。
原発問題で、実際に、「労働者」として働いたルポライターの方を授業に呼んで、電力会社の社員が決して入らない、「原発の中枢部」を掃除する「日雇い労働者」の話を、実体験を交えて話してもらったり。ちなみに、「日雇い労働者」自身はわかっていなくても、電力会社は、日雇い労働者の「被爆量」を記録していて、一定ラインを超えると、もう雇わない、という話らしい。まあ、当時の話ですから、今は、わかりませんが。
他には、家畜を殺して食べている、その養豚場、と殺現場、豚肉の解体について、見学に行ったり、詳細を説明したり。
また、その延長で、「性」「生」さえ、人間の手でコントロールされている豚にを題材に、同じ哺乳類の人間の性や、生について、授業にしたり。ちなみに、胎児は、ある一定の団塊まで、人間も豚もそっくりだ、とか、おっぱいが12個ある、とか、そういったことも図で説明したりしています。
で、実際に、豚一頭を仕入れてきて、解体をしたり、冷たくなった頭を触らせたり、脳みそを子供達の手に乗っけたり、触らせたり。もちろん、その後、食べたり。
子供達の中で、「ご飯は残さず食べる」、それは「命を頂いているから」という意味が、ずしん、と、言葉だけでなく、体験を持って腹に落ちている様子がわかります。
そんな鳥山さんは、今は、シュタイナー教育の実践として「賢治の学校」を開いているんですが、本当に、こういった教育者、現場があったんだ、という「事実」を知ること自体が、大人として、子を持つ親として価値がありました。
この本を読んで、何を思うかは、人それぞれなので、私見を語るよりは、関心がある人は読んでもらいたいのですが、子供達は、「本当のこと」について、よ~くわかる感受性をしっかり持っているんだ、ということを、自分の中に刻むことはできました。
「本当のこと」を知ること、「子供にとって事件」と思われる体験をさせることが、教育であって、「表面上の話」「取り繕っていること」は、子供にとっては、学びは深く無いし、「なんとなく本当のことではない」ということは、察してしまうんですよね。
なお、映画化された
★黒田共歴史さんの【豚のPちゃんと32人の小学生】
の本は、鳥山さんの実践を知り、影響を受けて、教師になった時に「豚を飼う」という決断をされた先生で、豚を飼うこと、また、先生と生徒が「必死に悩み、葛藤し、答えを模索して行く過程」が非常に丁寧に書かれていました。
衝撃的な内容、というよりは、「1人の教育の実践者」として、感心しましたし、「いかに問題を起こさないか」ではなく、「親も子も、先生も大いに議論し、ぶつかり、乗り越えていく【問題】があるからこそ、親も子も、先生も成長する」ということに、大いに賛同、納得した内容でした。
4月ぐらいから、この「鶏を殺して食べる」という事を、漠然と、自分だけでなく、子供にも体験とし積ませたい、と思っていました。野菜を作って、一緒に収穫して、食べる、といった延長なんですが、自分が体験できていなかったからこそ、「欲求」が今頃になって出てきたんでしょうね。ただ、「直感」としての話であって、その意義を、教え育てる、という視点からは、熟考したことはなかったので、良いきかっけになりました。
自分も、将来、そんな体験を積ませる学校とか開いているかもしれませんね。
この前、お借りした本は、
★鳥山敏子さんの【いのちに触れるー生と性と死の授業】
★黒田共歴史さんの【豚のPちゃんと32人の小学生】
の2冊で、これを読み終えました。
実は、「ニワトリを飼って、自分でさばいて、食べるところまでやりたい!」と直感的に、漠然と思っていたわけですが、図書館で「ニワトリのさばき方」が載っている本を探した時、出てきたのが、
村井淳志さんの【「いのち」を食べる私たち(ニワトリを殺して食べる授業ー死からの隔離を解く)】
でした。
村井さんは大学教授なのですが、鳥山さんが、小学4年生相手に、「鶏を殺す授業」をやった事を、分析しながら「死からの隔離」について、説いている本です。
当時、鳥山さんの鶏を殺す授業を受けた子達が、大人になった今、あの頃どういう印象を受けたか?を聞き取り調査したり、実際に、自分でも鶏のさばき方を学んだ上で、自分の生徒達に鶏を殺す授業をやったりしています。
また、近藤薫美子さんの絵本「のにっき」というのも紹介しています。 具体的には、イタチの親子のうち、親が死に、その死体が時間が経つことで、リアルに腐敗して行く様子、土に帰っていく様子、虫がその死体を食べて、その虫を鳥が食べて、、、と自然が循環し、最後に、その場所ではぐぐまれた命が、大人になったイタチの子に帰っていく、という内容。詳細に書かれているので、一見、グロテスクだけど、絵本なので、ある意味コミカルに、命の循環が描かれている絵本。
こういった絵本を紹介したり、作者にインタビューをしたり、、、 というように、単に学者の先生が、いのちについて、「論理」を展開するのではなくて、対象に直接インタビューを試みたり、自分で実践したりしながら、今の時代は、「死」は良くないもの、見てはいけないもの、といった概念がはびこり、あえて「隔離」されてしまっていることに、問題を提起しています。
もちろん、「ニワトリのさばき方」が詳細に載って折り、大変参考になったのですが、書かれている「死からの隔離」についての話が、大変、大きな影響を私に与えました。
久々に「読み応えのある本」「これは、買いたい本」「人に薦めたい本」という感慨を持ったものです。
もちろん、好みの問題もあるので、子供に「いのち」について考えさせること、社会が「死」は忌むべきものといった雰囲気で、自分も子供もあまり「生物の死」から隔離がされている事に、「大切な経験が積めていない」、と、思う人には、超お勧めです。
で、この村井さんの本のそもそもの発端となったのが、鳥山さんの著作
【いのちに触れるー生と性と死の授業】
でした。
村井さんの本を読んだ後に、そもそもの発端となった鳥山さんの本を読んだわけですが、本当に凄い実践をした人がいたものだ。。。と、大変衝撃を受けました。村井さん、という教育者が、鳥山さんの実践をベースに、更に自分なりの教育問題定義をしたい、と思ったのも、本当によくわかります。
内容をざっくり書くと、ペットを可愛がるだけで、死んだら「可愛そう」としか思えない子供達が、「命は大切だ」と言っている一方、他人が殺した家畜を平気で食べていて、でも、自分で殺すのは良くない、もっといえば、家畜を殺す人に対する差別、まで発展していることを、全部ひっくるめて学びとするために、鶏狩りをさせ、鶏を実際にさばいて、食べる、ということを体験させたり。
原発問題で、実際に、「労働者」として働いたルポライターの方を授業に呼んで、電力会社の社員が決して入らない、「原発の中枢部」を掃除する「日雇い労働者」の話を、実体験を交えて話してもらったり。ちなみに、「日雇い労働者」自身はわかっていなくても、電力会社は、日雇い労働者の「被爆量」を記録していて、一定ラインを超えると、もう雇わない、という話らしい。まあ、当時の話ですから、今は、わかりませんが。
他には、家畜を殺して食べている、その養豚場、と殺現場、豚肉の解体について、見学に行ったり、詳細を説明したり。
また、その延長で、「性」「生」さえ、人間の手でコントロールされている豚にを題材に、同じ哺乳類の人間の性や、生について、授業にしたり。ちなみに、胎児は、ある一定の団塊まで、人間も豚もそっくりだ、とか、おっぱいが12個ある、とか、そういったことも図で説明したりしています。
で、実際に、豚一頭を仕入れてきて、解体をしたり、冷たくなった頭を触らせたり、脳みそを子供達の手に乗っけたり、触らせたり。もちろん、その後、食べたり。
子供達の中で、「ご飯は残さず食べる」、それは「命を頂いているから」という意味が、ずしん、と、言葉だけでなく、体験を持って腹に落ちている様子がわかります。
そんな鳥山さんは、今は、シュタイナー教育の実践として「賢治の学校」を開いているんですが、本当に、こういった教育者、現場があったんだ、という「事実」を知ること自体が、大人として、子を持つ親として価値がありました。
この本を読んで、何を思うかは、人それぞれなので、私見を語るよりは、関心がある人は読んでもらいたいのですが、子供達は、「本当のこと」について、よ~くわかる感受性をしっかり持っているんだ、ということを、自分の中に刻むことはできました。
「本当のこと」を知ること、「子供にとって事件」と思われる体験をさせることが、教育であって、「表面上の話」「取り繕っていること」は、子供にとっては、学びは深く無いし、「なんとなく本当のことではない」ということは、察してしまうんですよね。
なお、映画化された
★黒田共歴史さんの【豚のPちゃんと32人の小学生】
の本は、鳥山さんの実践を知り、影響を受けて、教師になった時に「豚を飼う」という決断をされた先生で、豚を飼うこと、また、先生と生徒が「必死に悩み、葛藤し、答えを模索して行く過程」が非常に丁寧に書かれていました。
衝撃的な内容、というよりは、「1人の教育の実践者」として、感心しましたし、「いかに問題を起こさないか」ではなく、「親も子も、先生も大いに議論し、ぶつかり、乗り越えていく【問題】があるからこそ、親も子も、先生も成長する」ということに、大いに賛同、納得した内容でした。
4月ぐらいから、この「鶏を殺して食べる」という事を、漠然と、自分だけでなく、子供にも体験とし積ませたい、と思っていました。野菜を作って、一緒に収穫して、食べる、といった延長なんですが、自分が体験できていなかったからこそ、「欲求」が今頃になって出てきたんでしょうね。ただ、「直感」としての話であって、その意義を、教え育てる、という視点からは、熟考したことはなかったので、良いきかっけになりました。
自分も、将来、そんな体験を積ませる学校とか開いているかもしれませんね。