【大胡城主・牧野康成公顕彰会の発足】
群馬県前橋市で開催された第2回大胡城・牧野氏まつりに参加しました。
昨年は11月でしたが、今年は大胡町の大胡祇園まつりの初日の7月30日(土)に開催されました。
前日の29日(金)、文具メーカーのプラス(株)の研修所「音羽倶楽部」で、大胡城主・牧野康成公顕彰会の発足式がありました。
徳川家康の江戸入りに合わせ、北の守りを固めるために康成公は三河の牛久保から2万石で大胡に移ってきました。 江戸時代初めに牧野家で康成の名前が付いた武将は3人います。
まずは大胡初代藩主の牧野康成(やすなり)、次は田辺藩の藩祖となる牧野康成(やすしげ)です。牧野家は大名が5家ありますが、大胡を経由しなかった唯一の大名で、三河の時代に長岡藩の流れとは分かれています。そして最後が康成の孫で小諸藩の藩祖となります康成(やすなり)です。 顕彰会は牧野忠昌名誉会長、顧問に山本龍前橋市長そして会長に伊藤静雄前大胡町長で発足しました。
発足式には豊川市牛久保の牧野成定公奉賛会からも役員が出席されました。 (前橋市) ・・・つづく・・・
群馬県前橋市で開催された第2回大胡城・牧野氏まつりに参加しました。
昨年は11月でしたが、今年は大胡町の大胡祇園まつりの初日の7月30日(土)に開催されました。
前日の29日(金)、文具メーカーのプラス(株)の研修所「音羽倶楽部」で、大胡城主・牧野康成公顕彰会の発足式がありました。
徳川家康の江戸入りに合わせ、北の守りを固めるために康成公は三河の牛久保から2万石で大胡に移ってきました。 江戸時代初めに牧野家で康成の名前が付いた武将は3人います。
まずは大胡初代藩主の牧野康成(やすなり)、次は田辺藩の藩祖となる牧野康成(やすしげ)です。牧野家は大名が5家ありますが、大胡を経由しなかった唯一の大名で、三河の時代に長岡藩の流れとは分かれています。そして最後が康成の孫で小諸藩の藩祖となります康成(やすなり)です。 顕彰会は牧野忠昌名誉会長、顧問に山本龍前橋市長そして会長に伊藤静雄前大胡町長で発足しました。
発足式には豊川市牛久保の牧野成定公奉賛会からも役員が出席されました。 (前橋市) ・・・つづく・・・