高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

ほんにそだてばさⅠ(奥の細道を歩く)

2015-10-16 05:51:11 | 歴史
天領出雲崎で「荒海や佐渡に横たふ天の川」と詠んだ芭蕉と曽良の一行は、桑名領柏崎の「天屋(てんや)」で宿をとろうとした。しかしどうした手違いか、宿のものは宿泊を断った。
やむなく一行は次の宿泊地の鉢崎(はっさき)に向かった。天屋の主人は宿を断ったことを使用人から聞き、2度も戻るように使いを出したが、意固地になっていた芭蕉は柏崎に戻ることをしなかった。この日芭蕉は出雲崎から鉢崎まで、10里(40km)の道を歩き通した。


(♪海の柏崎2番)

 
(天屋跡と右隣は石井神社)

 
(桑名領の先端の山頂から北国街道の鉢崎宿を見下ろす)

左の画像の海に突き出た山までは桑名領(飛び地)で、山の向こうは高田領である。山頂から見下ろすと旧北国街道沿いの鉢崎の街並みが整然と並んでいる。
山を下ると鉢崎関所跡がある。「たわら屋」の跡は関所のすぐ先ににある。

 
(鉢崎関所跡)

 
(芭蕉が泊まったたわら屋跡)

鉢崎をでた芭蕉は直江津から高田に向かった。奥の細道の越後路は柏崎での不快な出来事で、越後の中心地でありながら名句が生まれてない。

【奥の細道】 
鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡によこたふ天河
(奥の細道より)
芭蕉の「奥の細道」の越後路の記載はたったこれだけである。


(再び山頂から柏崎側の険しい光景を見る)

(注)ほんにそだてばさ : 中越地方の方言で「本当にそうですね」
(柏崎)
明日の朝早く、今度は西に向かいます。花のほとんどない旅です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする