高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

ワスレナグサ

2009-05-25 00:32:00 | 山野草

招魂社祭の後、遠路広島から参加した、長岡藩士の末裔と古戦場に出かけた。
先祖の名は伊東道右衛門、長岡藩士の中でも最も勇敢に闘った一人である。
この道右衛門の碑が、古戦場に近い福島江のほとりにある。常在戦場の長岡藩士の碑はいくつかあるが、その中でも際立って立派な碑を、地元住民が建ててくれた。
槍の達人だった道右衛門はこの時すでに62歳、「我と戦わんと欲する者は、来て勝負せよ」と大声で叫んで、槍で戦い続けたが、最後は銃で倒された。
近代兵器で武装した長岡藩士だけでなく、三河の気骨で戦った老武士は長岡の誇りでもある。
中越地震での倒壊を心配していたが、「戊辰長岡戦役戦士伊東道右衛門『忠烈輝千古』」の碑は、長岡城の方向を向いて建っていた。

碑の周りは綺麗に清掃され、たくさんの花が植えられていた。その中でワスレナグサ(勿忘草)が雨にぬれながら、子孫を待っていた。
この後、老武士や多くの藩士の命と引き換えに、長岡城を奪い返した、大黒古戦場と八丁沖古戦場を回った。八丁沖と呼ばれる底なし沼を、八丁沖の奇襲
長岡藩士は渡ったが、いまでは見渡す限りの美田である。

 
(伊東道右衛門碑と右は福島江)

 
(大黒古戦場と八丁沖古戦場)

勿忘草/ムラサキ科/ワスレナグサ属。
ヨーロッパ原産で明治時代に日本に渡来した多年草。
葉は長楕円形で粗い毛がある。淡青色で中央が黄色の五弁花を付ける。
名前の由来:西洋の伝説で、恋人に「私を忘れないで」と、この草を投げながら、川の中に沈んでいった若者の言葉を花の名前にした。
花期:4~6月。
(長岡市城岡)
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コメント (7)
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