豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

日米同盟の正体

2012-09-30 | 気になる本

孫崎亨(2009)『日米同盟の正体』講談社現代新書
 どこでこの本を知ったのか忘れました。著者は外務省出身でイラク、カナダ勤務、イラン大使などを歴任し防衛大学校教授でした。普通防衛大学といえば、軍国主義的、右翼的で今は忘れられた多母神氏などを想像します。著者は珍しく「ハト派」を自称し、核保有より平和外交、アメリカ追随でなく経済戦略による平和外交を基調にしています。豊富な文献と資料を読みこなし、理論武装をされています。日米安保解消までは主張されていませんが、「軍関係者」としての説得力もあり、何よりも具体的な事実と論証で述べています。次の総理が右翼的な阿倍さんの可能性が高い中、尖閣、オスプレイを考えるにも、日米通貨を考える上にも、日本の将来を考えるのに幾つかのヒントが示されています。図書館で借りてさらっと読んだだけですが、気になったポイントを記します。
 まず、はじめにで2005年の「日米同盟;未来のための変革と再編」から、安保の本質が激変したとしています。極東の範囲が広がり海外派兵に繋がっています。「同盟関係と言うが、実態は米国が重要な案件を一方的に決めているだけと言う守屋武昌元防衛事務次官の言葉」(春原剛)を引用しています。核軍縮発言だけで成果もなくノーベル平和賞をもらってしまったオバマ大統領も、中東政策は依然米国戦略の基本をなしています。日本は無原則に忠実に従う姿勢をとっています。普天間の移設を「国外、最低でも県外」と理想を掲げた鳩山さんは、アメリカの軍事戦略を見誤り止めさせられたと想像できます。そして、菅さん、野田さんと右傾化し、公約は剥がし自民党と変わらない政党になりました。2大既成政党を批判する橋本さんがマスコミに持ち上げられていますが、君が代を強制し公務員の人権をはく奪し、安倍さんに接近する姿勢は危険な兆候です。
 「わが国の安全保障の根本は、他の国に軍事攻撃をさせないことにある。」という命題は、噛みしめる必要があります。米国の「安全保障」政策で、イラク戦争の口実であったフセインが大量破壊兵器を有しているという宣伝は事実ではありませんでした。国際連合を軽視し、アメリカは戦争の多額のつけを今でも払い、米国経済の足かせになっています。カナダは参戦しなかったが、日本は無批判に自衛隊を派遣しました。ベトナム戦争のきっかけとなったトンキン湾事件でも、戦争の口実を求める陰謀説を「マクナマラ回顧録」より説明しています。同盟の非対称性について、「米国は日本を守る、しかし日本は米国を守らない、これでは不公平である」、だから日本は別の分野で米国に貢献すべきだという論を否定しています。核保有の否定について、第1に核保有国が核攻撃をしかける可能性があるが、核戦争をせざるを得ない。第2に周辺国が日本を攻撃するならば東京であるが、仮に中国、ロシアならば広大な国で壊滅的な打撃は与えられない。核抑止力論は効果がないことが論理的に説明されています。日米安保の再検討が必要な時期であり、購入してじっくり読みたい本です。写真は本文と関係ありません。竜神町のうどん屋さんではやっています。早いのがいいですが、トッピングすると500円を越すのが問題です。
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いわき市における復興まちづくり

2012-09-27 | 都市計画・まちづくり
 9月の建築学会名古屋での大和田論文は、いわき市の津波被災地の復興の状況が述べられています。その概要は津波被災地を主要な16地区に分け、個別に県・市が案を作り説明会を開催し、8地区での進捗状況が報告されました。その整備手法には堤防の高さの検討、緑地の干渉地帯、隣接地区への高台移転、当該地での区画整理、買取価格の提示(12年6月)などが検討され、個々の再建と決断を求める状況にあります。資料に区画整理と集団移転の事業の違いがあります。末続地区では被災18世帯のうち11世帯が近傍高所(0.7ha)で、防災集団移転を検討中、移転候補地は被災住民間で震災直後から検討していました。金ケ沢地区では被災10世帯のうち5世帯が800mはなれた地区へ、住民間で候補地を検討していました。2地区は順調に進んでいるようです。久之浜地区では350世帯の8割が被災した大きな地区で、近傍高所で28haの区画整理を予定していますが、水産加工工場の再開の目処が立っていないとのこと、住民の復興協議会では海よりの整備を要望していることなど課題も残っています。薄磯と豊間地区は大きな地区ですが、防潮堤と防災緑地で構成され隣接高所での区画整理と災害公営住宅の建設を、地元復興協議会が中心に検討中です。
順調に進んでいるところは減災という方針の下に堤防の高さ、防災緑地、災害公営住宅など、多様で丁寧な説明が自治体からあったことです。また、地区別計画で近接高所にまとまった候補地があったこと、住民間の組織や話が持てたこと等が挙げられます。仮設住宅の移転状況と被災地の建築制限はどうなっているのか、漁港と水産加工工場の再建状況と計画場所も気になります。住民間の議論の経過やアドバイザーの支援・提案も知りたいところです。被災状況・地形などの違いはあっても、復興計画作成のプロセスで参考になる報告でした。
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震災復興・日本建築学会名古屋

2012-09-27 | 都市計画・まちづくり
 
 名古屋で行われた日本建築学会の学術梗概発表会に参加しましたが、私の関心を引く報告はあまりありませんでした。SAWAZAKIさん他の石巻市の復興基本計画の策定過程に関する短い論文では、中間的な総括として「都市基盤整備復興計画図から震災復興基本計画へ移行する際に、津波避難ビルや高台避難場所、防災ステーションの記載が消去された。このように、文章の内容を復興計画図に落とし込めない原因の一つとして、住民との合意形成が不完全であった」であろうと推測しています。ここでは中心市街地のみしか扱っていませんが、国・県・市の急いだスケジュールで計画の具体的な候補地が決められないのが背景にあると思いますが、質問する機会がなかったので真意が確認できませんでした。
三船康道、蓑田ひろ子さんの「東日本大震災における宮城南部地域の復興計画の検証」のはじめにで、「リアス式海岸を持つ三陸地域ではそれぞれ自治体が入江単位で構成されるため、復興計画は独自に策定できるが、仙台平野に自治体が連なる宮城南部地域では、津波防御という観点からは、隣接自治体の調整と一体化」が必要としています。後段の仙台空港近くの岩沼市、仙台市、亘理町など整合性をとる必要は当然でしょう。前段の入江が自治体単位で構成される点については、自治体単位で計画策定できるのですが合併した石巻市では地区別計画単位が問題です。一番関心を持ったのは大和田清隆さんの「いわき市における復興と環境まちづくり」です。ここでは16地区の地区別計画が、住民の合意によって進められていることです。事例と背景は後日に報告します。
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南区公害患者の40年

2012-09-26 | 平和・人権・環境・自治制度

 南区の公害で企業と名4国道を訴えた裁判で、和解した喘息患者などで「青い空と健康」を求める会の40周年に参加しました。それは記念講演が宮本憲一さんだからです。タイトルは維持可能な内発的発展-原発災害と地域再生-です。維持可能は普通持続可能が多く使われます。sustainableですが持続可能の場合は、環境より企業や経済の持続的発展、成長という意味で使われる場合が多いからです。話の概要ははじめにで、原発の再稼動は政府の財界屈服と関西広域連合の知事と橋本市長の失敗としています。原発について大島堅一の原発事故コストは、8兆5040億円を引用し、被害の責任は東電にある、原発0は可能である、それは地震国・テロ、コスト高、不可逆的な保障は困難などを指摘しています。太陽光エネルギーで十分電力は賄えること、発・送電の分離が必要、節約社会を実現すること求めています。震災復興1年半では、「便乗型構造改革と生活生業復興型の政策対立、予算は大企業に流れ、住民は自主自責で住宅まちづくりは困難になっていることを指摘されました。神戸の復興に関わった教訓を踏まえてのことでしょう。維持可能な内発的な地域再生は補助金依存型の外来型開発でないこと、原発と関連企業で雇用や所得は増えても、地域の産業関連はなく農業や製造業の発展はないとしています。エネルギーと食料の地域自給を確立すること。維持可能な内発的な発展は、雇用、福祉、医療、教育、文化の総合的に実現すること。地域の資源(農林漁業産物)を活かし、完全循環社会を作ることを提案しています。そのために「地域内産業連関」分析で、地域内再投資、総合的な開発計画を作ること。主体は地元に置き、地元民間企業、漁協、農協、生協、NPOなどで、自治体がコーディネーターの役割を果たす。地域情報を公開し、意思決定のプロセスに住民が参画し、十分な議論が必要なことは言うまでもないことです。過疎地域では都市の人材、資金、情報など援助が必要であり、地元の主体形成が課題であるとしています。課題の実現方法も示していますが、広域に壊滅的な被害の東北で、個別具体的な実行計画を「早急に」作ることは容易ではなさそうです。
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被災地を歩きながら考えたこと

2012-09-26 | 気になる本

五十嵐太郎(2011)『被災者を歩きながら考えたこと』みすず書房


 著者はあとがきで書いていますが、文献の出典は少ないけれど被災地を歩いて書いたとあり、読みやすい内容です。私も8月下旬に宮城県を3泊4日で、駆け足で回ったので先に読んでいればと残念な点もありました。五十嵐さんは来年に愛知県が行うトリエンナーレの芸術監督に決まっています。最も印象に残ったのは、あとがきの「細かい場所の差異を読まず、記憶をないがしろにして 復興を急ぎすぎても、おそらく別の破壊が起きてしまう。」というところです。被害建築物を記念碑で残すことも想定されていると思いますが、雄勝の住民合意 が不十分な状態で高台移転ありきの、復興事業にもあてはまると思います。東北大学などの先生や学生もアーキエイドなど、復興支援に携わっていると聞きますが、雄勝の復興計画のあり方をどう思うか聞いてみたいものです。被災後直ぐに現地を歩いて書いた文や写真は、生々しく伝わってきます。人間、建築物、生活などが津波で 根こそぎに持っていかれた姿は、ポンペイの遺跡を連想するのは同感です。女川町の横倒しになった建築物は見落としましたが、津波の恐ろしさが伝わります。記念碑として残してもらいたいと思います。また、車の被害の壮絶さと、その避難について再検討すべきでしょう。原発の被害者は想像を絶する苦難であり、0にすることが望ましいです。東京に持っていく発想も面白いです。復興を考えるためにでは「人口減少を意識した計画が必要」ということと、「被災地は同一のシステ ムを応用すれば、すべての問題が解決するという単純な記号ではない。今後の街を考えるためには、まずマイクロレベルで地理を読み解くことから始めるのが重要だろう。」と延べていますが、現地では「スピード感を持って」画一的に、住民不在で復興計画が進んでいるところがいくつかあります。津波対策として、「30年から50年に一度忘れたころに襲う津波の場合、人間のリズムとあわせづらい」としています。ましてや1,000年に一度の津波を想定して、地形も 考えず画一的に高台へ集団移転するのはどうかと思います。「建築と土木ですべてを防御できない。地震は逃げ場がないが、津波の場合、逃げるのがもっとも安全だ。」と述べていることには、海と共生する減災の発想であり同感です。復興庁や宮城県・石巻市の防災部局の方は、噛み締めて欲しい文です。写真は津波で使えなくなった雄勝支所です。

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仁川開発戦略とエピローグ

2012-09-23 | 平和・人権・環境・自治制度

 今回の韓国地方自治、平和、環境の旅で、韓国と日本の共通項が多いこと、そして違いを学ぶことが目的です。地方自治シンポは消化不良、環境は済州島のスマートグリッド実験の見逃しなどスケジュールに問題がありました。もちろん光州やインサドン、KTX、国立博物館など新発見も多くありました。期待はずれもありましたが、台風はすり抜け天気もまずまずでした。最終日は水原から仁川空港に向かったため、大橋と海岸の埋め立て開発を見ることができました。家賃が高いため入居はあまり進んでいないとのことです。今回現地ガイド3ヶ国語を話す人、歴史をよく勉強している人など優秀な人でした。韓国ではガイドは国家試験で地位も高く、そのため中にはプライドの高い人もいます。
 ガイドの話では韓国はインドネシアと違って、8億ドルの賠償金を高速道路などインフラ整備したとのことです。朴政権の軍事政権は開発独裁であったが、経済成長を遂げたことをどう評価するかは、見解の分かれるところだと思います。また、日本の侵略が南北分裂に繋がったという話、あるいは年末の大統領選挙など注目すべきテーマであります。研究所の反省会はまだですが、私の感想はこれで終了です。
 次のテーマは石巻市雄勝地区の高台移転問題、トヨタシンポジウムと環境モデル都市、反貧困ネットワークの雇用・福祉・消費税を中心に追っかけます。
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世界遺産水原華城

2012-09-23 | 平和・人権・環境・自治制度

 そしてもう一つ期待してたのが水原華城でした。ま、はっきり言って期待はずれでした。ぱっと見て城壁がわずか残っているだけで、ほとんど復元です。日本統治時代と朝鮮戦争で破壊されました。その価値は城郭の遺構から当時の暮らし、政治が想像できる「文化遺産」でしょうか。写真では小学生が社会見学で学習していました。リクエストで外周を走行する簡易電車に乗ることができました。
 「水原華城は京畿道水原市に築造された朝鮮時代(1392-1910)後期の城。西暦1789年に朝鮮第22代の正祖大王が自分の父親である荘献世子の墓を楊州から、水原の管轄下にあった華山の麓に移し、そこにいた住民を八達山の麓に移住させて新都市である水原を建設し、華城と改称して八達山一帯が新しい中心地となりました」(慶州旅行情報)。
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サムソン水原工場と団地

2012-09-22 | 平和・人権・環境・自治制度

 16日火曜日は台風が釜山の方を通過し、水原は天気に恵まれました。サムソンの工場が見学できるということで、事前に氏名、電話など報告し、写真撮影禁止と仰々しく聞かされましたが、見学できたのはPR館で期待はずれでした。口の悪い人が「サムソンも長くない」と言ってました。デザインに力を入れてきたということが、頭に残っているだけです。早く終わって昼食に時間があったので、食堂近くの団地を散歩しました。20階以上の高層住宅が「効率」よく並んでいます。不動産屋のパンフを見ると100㎡前後で、意外と広い住戸です。値段と収入も気になります。学校もあり公園やコミュニティセンターもありました。日本との住宅政策の大きな違いであり、サムソンより面白そうです。どういうプロセスで開発されるのか、一度調査研究したいと思いました。
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日韓地方自治シンポ

2012-09-22 | 平和・人権・環境・自治制度

 韓国地方行政研究院とのシンポジウムで、双方の地方自治の状況が報告されました。こちらからは東海自治体問題研究所の理事長が、最近の地方分権の動きを報告されました。Uさんから「企業の海外進出と地域雇用不安定化」と題して報告がありました。Iさんから地域経済の循環と地域雇用の創出、原発0でエネルギーの地産地消が話されました。事前学習が不十分で消化不良の面もありましたが、ここでも共通点が多いことを確認できました。シンポの結果の分析はこれからです。会場を後にした時、このビルの1階にSHINHANの銀行があることがわかりました。ウヲンを少し持っていたので、機会があったら預けようと秘かに思っていましたが、気づくのが遅くできませんでした。写真は地方行政研究院のある建物前の歩道から見えたアート作品です。
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韓国公務員労組と交流

2012-09-22 | 平和・人権・環境・自治制度

 4日目の月曜日は台風の接近で雨でしたが、現地視察でなく労働組合との交流と地方行政研究院とのシンポでした。昨晩に焼肉を食べ過ぎたのか腹痛です。午前は自治労連名古屋市労職労を中心に、双方の状況を報告しながら意見交換をしました。派遣労働が増えていること、成果主義の導入が始まっていること、新自由主義的な労務経営が行われていること、公務員パッシングがあることなど共通項が多く有りました。市民運動との連帯が進んでいることと、産別労働組合の特徴が有ります。産別労働組合の状況と経過を聞きましたが、経過まではわかりませんでした。
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