アルフィー・コーン「報酬主義を超えて」1993年、田中英史訳、法政大学出版局、2001年。訳者によれば、コーンは「人間社会を支配する根本原理の一つとも見える『競争』を取り上げて」異議を唱えました。その「競争社会を超えて」の姉妹編でもあります。さらに、「人間を動かすのに『報酬』が有効である。いや、結局は『報酬』しかない、という行動主義的考え方がアメリカの文化に抜きがたく浸透している。しかしその考えは正しいか。それが本書におけるコーンの出発点」です。日本では年功賃金とされてきたものが、1995年の日経連の日本的経営を機に、成果主義が浸透してきました。それが、公務員の職場にも日本的行政経営システムと一緒に浸透しつつあります。
前段は報酬によって、子どもの教育、労働者に報酬は効果がないことを紹介しています。もっとも興味を引いたのは、「誘引使用や業績給制度がうまくいかない理由を具体的に14挙げた」ところです。その中で、秘密性(誰がなんで給料が上がったのか不明)、給料と働きが連動しない(給料が業績評価に合致しない)、短期的対長期的(報奨の査定が短期的業績)、「給料は動機づけの要因にあらず」(金もうけが人生・仕事の目的とならない)、報奨は仲間の関係を崩す、報奨は冒険に水をさす(P.ドラッカーの『目標の管理』を採用していると低い目標設定になる)などです。毎日新聞のサラリーマン川柳の「成績主義最終評価は好き嫌い」が、成績主義の実態を言い当てています。また、コーンの「競争社会を超えて」で、「報酬を与えることは、その核心において、まさに人間をコントロールすることにほかならない」と述べています。日本も「がんばったものが報われる」アメリカ型のドライな職場、社会に向かうのでしょうか。
前段は報酬によって、子どもの教育、労働者に報酬は効果がないことを紹介しています。もっとも興味を引いたのは、「誘引使用や業績給制度がうまくいかない理由を具体的に14挙げた」ところです。その中で、秘密性(誰がなんで給料が上がったのか不明)、給料と働きが連動しない(給料が業績評価に合致しない)、短期的対長期的(報奨の査定が短期的業績)、「給料は動機づけの要因にあらず」(金もうけが人生・仕事の目的とならない)、報奨は仲間の関係を崩す、報奨は冒険に水をさす(P.ドラッカーの『目標の管理』を採用していると低い目標設定になる)などです。毎日新聞のサラリーマン川柳の「成績主義最終評価は好き嫌い」が、成績主義の実態を言い当てています。また、コーンの「競争社会を超えて」で、「報酬を与えることは、その核心において、まさに人間をコントロールすることにほかならない」と述べています。日本も「がんばったものが報われる」アメリカ型のドライな職場、社会に向かうのでしょうか。