豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

被災地を歩きながら考えたこと

2012-09-26 | 気になる本

五十嵐太郎(2011)『被災者を歩きながら考えたこと』みすず書房


 著者はあとがきで書いていますが、文献の出典は少ないけれど被災地を歩いて書いたとあり、読みやすい内容です。私も8月下旬に宮城県を3泊4日で、駆け足で回ったので先に読んでいればと残念な点もありました。五十嵐さんは来年に愛知県が行うトリエンナーレの芸術監督に決まっています。最も印象に残ったのは、あとがきの「細かい場所の差異を読まず、記憶をないがしろにして 復興を急ぎすぎても、おそらく別の破壊が起きてしまう。」というところです。被害建築物を記念碑で残すことも想定されていると思いますが、雄勝の住民合意 が不十分な状態で高台移転ありきの、復興事業にもあてはまると思います。東北大学などの先生や学生もアーキエイドなど、復興支援に携わっていると聞きますが、雄勝の復興計画のあり方をどう思うか聞いてみたいものです。被災後直ぐに現地を歩いて書いた文や写真は、生々しく伝わってきます。人間、建築物、生活などが津波で 根こそぎに持っていかれた姿は、ポンペイの遺跡を連想するのは同感です。女川町の横倒しになった建築物は見落としましたが、津波の恐ろしさが伝わります。記念碑として残してもらいたいと思います。また、車の被害の壮絶さと、その避難について再検討すべきでしょう。原発の被害者は想像を絶する苦難であり、0にすることが望ましいです。東京に持っていく発想も面白いです。復興を考えるためにでは「人口減少を意識した計画が必要」ということと、「被災地は同一のシステ ムを応用すれば、すべての問題が解決するという単純な記号ではない。今後の街を考えるためには、まずマイクロレベルで地理を読み解くことから始めるのが重要だろう。」と延べていますが、現地では「スピード感を持って」画一的に、住民不在で復興計画が進んでいるところがいくつかあります。津波対策として、「30年から50年に一度忘れたころに襲う津波の場合、人間のリズムとあわせづらい」としています。ましてや1,000年に一度の津波を想定して、地形も 考えず画一的に高台へ集団移転するのはどうかと思います。「建築と土木ですべてを防御できない。地震は逃げ場がないが、津波の場合、逃げるのがもっとも安全だ。」と述べていることには、海と共生する減災の発想であり同感です。復興庁や宮城県・石巻市の防災部局の方は、噛み締めて欲しい文です。写真は津波で使えなくなった雄勝支所です。

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