豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

台北街歩き③朝粥無念

2019-10-30 | traveling, town walking

  ホテルで朝食が無いので(後でわかったが飲み物とサラダはfree。ちゃんと説明してよ。)、MRT善導寺駅近くの「豆乳スープ」を目指す。有名店に9時過ぎに着くと大行列、日曜日ということもあって2時間待ちだそうです。諦めて、近くの小さな行列の店で朝食。前の客は日本人の若い女性客二人連れでした。地下鉄の切符購入は日本語もあり、行先の料金と枚数を押しお金を入れれば、1回券がでるなど、意外と簡単。日本人の若い二人連れの女性が多いのも納得。来る途中、若者に席を譲られました。年寄りとみられたのか、日本では失われつつある場面に遭遇しました。

 お腹を満たして、次は目的地の一つ文房へ小さな地図を片手に、ウロウロさまよう。写真は歩道と別に「アーケード」?ヨーロッパの伝統的な街の影響であろうか。地方都市へ行くと、これが繋がっていない。台北では建築規制や都市計画でルール化されているのだろうか?日曜日で人通りは少ないけれど、オートバイと車は多いです。排気ガスが中国ほどではないが臭い、黒いマスクをしている人も多いです。隣の駅まで歩きすぎて戻る。日本の木造家屋を見つけたが、修繕中でした。案違いして入った家屋では、琴の練習をしていました。そこで位置図を確認し、目的の文房に辿り着きました。

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台北街歩き②士林夜市

2019-10-30 | traveling, town walking

 1日目18時頃に機内食は出だが、小腹が空いたのでお酒と朝食を買うため、ホテル周辺をぶらつきました。明るい看板を求めうろうろしていると人通りが、そうだ、ここご明日行く予定の士林夜市だ、と気づきました。土曜日ということもあって人ごみは身動き出来ないほどです。なんと活気のあることか!パチンコゲーム、金魚すくい、ダーツで風船割、飲み物、立ち食いと様々で、地元の人も夕飯をこれで済ませるのであろうか?行列のできる店、寂しい店と商売は厳しそうです。肝心のビールは規制のせいか、見当たりませんので、飲食店へ。名物「臭豆腐」の天ぷらとハンペン、缶ビールは40元とお値打ちです。人気の品はカキのお好み焼きのようなモノでした。明日来たら注文しようと、市場など一回りしてホテルに帰りました。(写真は士林夜市)

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台北街歩き①タクシー

2019-10-30 | traveling, town walking

 10月26日・土から29日・火まで、台北へ久しぶりに連れと行ってきました。予算は2人で10万円以内です。飛行機はHISでキャセイパシフィックを予約しました。1000円追加でやむを得ない事情があれば、キャンセル可能です。ホテルはタンゴ インを、いつもはbooking.comが多いですが、比較してExpediaに。場所は地下鉄での移動を考え、淡水線沿いにしました。台湾は数回行っているので、大都市の台北にはあまり興味がありませんでしたが、2日目は下町を、3日目はMRTで行ける郊外の淡水の街を歩くことにしました。ガイドブックはオガワナホ「わくわく台北さんぽ」と昭文社ことりっぷ「もっと台北」を、参考にしました。地下鉄の切符の買い方はネットで確認しました。パソコンでのネットは家で使いますが、スマホは持っていません。何かのためにiーpodと電訳機、指さし会話帳を持参です。主な目的は、文房など歴史建造物、市場、誠品生活と淡水でのサイクリングと老街です。

 天気にはなんとか恵まれ、出発は名鉄土橋駅までスーツケースをコロコロと、チェックインは事前にネットで済ませたので、待合室で無料のビールを一杯。桃園空港の入国は混雑し30分ほど並びました。荷物を取り出し3万円ほど両替です。MRTで台北駅まで一人150TWD。その後乗り換えですが、台北駅を長く歩くとネットにあったのと、夜8時過ぎだったのでタクシーにしました。地図をコピーしていなかったので、ホテル名では伝わらず近くの駅までにしました。15分で着きましたが、荷物をトランクから降ろそうとすると、後ろに車がついてクラクションを鳴らされたこともあり、タクシーが出てしまいました。スーツケースが乗ったままで焦りましたが、慌てて追いかけ信号が赤だったので無事に荷物が取れました。チップ返せ!行先のホテルの地図と地下鉄の現地読み(英語名)を告げることが大事だということ、タクシーの会社名と氏名を写メに撮ることを教訓にしました。さて、明日からのぶらぶら街歩きはどうなるでしょうか。

(写真は2日目「文房」を探す)

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都市計画学会中部研究発表会

2019-10-22 | 都市計画・まちづくり

 静岡文化芸術大学からアクトシティ

 日本都市計画学会中部支部の発表会とシンポに、10月11日浜松へ参加した。浜松市は楽器、オートバイ、うなぎ、園芸など豊田市と違った産業構造の多様性である。駅横にあるアクトシティの賑わいも気になる。会場の静岡文化芸術大学へ徒歩で行く。道路の幅は広く綺麗に区画整理で整備されていた。人通りは少ない。

①   発表で興味あるテーマ概要は、①「応急仮設住宅を木造で造り継続使用する研究」(栗田、浅野、三重大)で、木造仮設住宅は賛成である。温もりがある、地元材を使う、長期化対応、コストはそんなに変わらない。東日本大震災でも災害公営住宅への転用事例がある。私も19年度予算で豊田市に県への提案を要望したが、施行責任が県で「県の判断」、とつれない回答であった。あらかじめ設計、施工可能な業者、材料の確保など準備が必要でもある。市職員も研究・提案して欲しいものである。

②   「地方都市における移動手段と生活イメージの研究」(西谷他)である。人口減少を前提とし、国が示した立地適正化計画が自治体で策定されつつある。しかし、豊田市では私の参加した地域説明会に、市民は数名しか参加していなかった。都市計画マスタープランを改定し、翌年にまた改定であった。さらに、都市構造の抽象論がトップダウンで先行し、地域の具体策は示されなかった。西谷氏は、居住誘導区域の効果的な誘導方策を検討している。利便性、安全性、快適性、コミュニティ性などで地区を評価している。多くの計画で触れられていない重要な点である。豊田市も鉄道駅を拠点に住宅を「集約」(都市の縮小対応)し、交通ネットワークの確保である。都心を中心に機能の集中、投資である。例外的には高橋地区を鉄道駅のない「ハイブリッド型?」の拠点地域にしている。また、問題なのは人口が10年後から減少するのに、新市街地を拡大し区画整理事業をおこなうという拡張型である。この新市街地は、愛知県の区域マスタープランでは市街化区域として拡大されなかった。これまでの線引きを無視して市街地の拡散や、調整区域の地区計画の基準の検討もされていない。西谷氏の報告では「歩いて暮らせるまちづくり」が提案されているが、歩道の整備、エリアの範囲やマネジメントも欲しい。また、駅周辺に人口を集中させたいし、住みたいと思っても地価や家賃が高い点も問題である。豊田市では中学校単位で地区カルテが示されたが、データ資料だけでまちづくりの計画・方針づくりには至っていない。

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「日米戦争同盟」

2019-10-16 | 気になる本

吉田敏弘(2019)『日米戦争同盟』河出書房新社

 日米同盟はもはや戦争するための同盟に変質した。これまでの「日米合同委員会」や「横田空域」などの著作の延長から、アメリカのする戦争に組み込まれてしまった、という思いから「戦争」という2文字が入った危険な段階にきた。日本は「アメリカに守られ軍事費も安かった」、という神話は無くなっている。地位協定は国会にも図られず秘密裏に、横田空域は日本の空の安全を脅かし、オスプレイは日本の上空を飛び回る。武器の爆買い、護衛艦の空母化、安保法制による戦時体制、安倍内閣の極右化と9条改憲の動き、「戦争と平和」の分かれ道に今いると私は感じる。以下、ポイントを抜き書きする。アンダーラインだけでも見て欲しい。9条改憲を阻止し、アベ政治を早く終わらさせないと、日本の平和も危なくなる。

 戦争法制で、米軍の兵站支援ができ、活動制限に地理的制限はなく、世界中どこにでも出動できる。米軍のF35Bが「かが」や「いずも」に着艦できることになる。日米共同訓練は、本質的には武力による威嚇である。共同訓練中、偶発的事故にあえば、結果的に自衛隊も米軍と共に参戦することになり、日本も戦争の当事国になってしまう。日米同盟はもはや日米戦争同盟とも呼ぶべき実施を備えた軍事同盟と化している。それは2011年の9・11からであろう。自衛隊による米軍への兵站支援すなわち戦争支援が行われた。日本は間接的に戦争に加担したことを意味する。

 安保法制は、従来の専守防衛を離れ、アメリカの世界戦略に付き従って、地球上のどこであろうと。米軍やその主導下の多国籍軍による戦争に自衛隊が参加することを可能にしたものである。米軍爆撃機を自衛隊の戦闘機が護衛する訓練がされている。共同演習でも、自衛隊と米軍の連携強化が進んでいる。安倍政権の軍拡路線は進んでいる。「防衛計画の大綱」、「中期防衛整備計画」では軍備拡大(5年間で27兆円)。

 アメリカ政府が2000年代に入って、集団的自衛権行使の実現を迫った狙いは、米英同盟のようなともに「血を流す」同盟へと変えることだ。敵基地攻撃能力を有する武器の導入が盛り込まれた。F-35,F-15戦闘機には長距離巡行ミサイルが搭載できる。日米合同委員会の本会議は毎週木曜日開かれる。米軍と日本政府高官で密室の非公開である。米軍を特別扱いすることで、航空管制権や刑事裁判権といった主権の行使が秘密裏に侵害され、独立国にあるまじき事態が続いている。アベ政権は着々と「戦争のできる国」づくりを進めている。武器の国際共同開発と武器輸出政策もその一環である。背景には、防衛産業と呼ばれる実質的な軍需産業の携わる大企業が、世界の武器市場に進出し、海外でも利益を獲得できるようにしたいとの思惑があった。三菱重工、川崎重工、IHI,富士重工、三井造船、日本電機、三菱電機、東芝、日立製作所、日本製鋼所など、防衛産業が経団連を通じて、「三原則」の緩和、事実上の見直しによる撤廃を政界に求めてきたのである。武器輸出とは、常に世界のどこかで緊張、対立、紛争を引き起こすことに結びついている。アメリカでは軍隊と軍事産業が結びついた軍産共同体が政治を動かし、膨大な軍事予算を獲得して武器を生産している。こうしたシステムは日本企業も組み込まれていくであろう。

 沖縄の人々が辺野古新基地に反対する理由は、「ベトナム戦争でも、米軍は沖縄の基地で訓練を積んで、出撃していった。そしてもどってきて、また次の戦争に備えて訓練している。沖縄は米軍基地があることで、戦争の間接的な加害者の立場に立たされている。私たちはもうこれ以上、戦争につながる基地を造らせたくない」という思いがある。

 中国の脅威や北朝鮮の脅威が強調されて日米同盟の軍事的強化が叫ばれる裏には、日本全体がアメリカの盾、防波堤にされているという構図が潜んでいる。軍産複合体の利益を重視するアメリカにとって、武器輸出で儲けるためには、東アジアで緊張・対立が続く方が都合がいい、トランプ大統領が訪日の度に繰り返す、武器セールスのアピールは、その端的な表れである、

 厚木基地爆音防止期成同盟ができたのは1960年である。大和市の他、綾瀬市、座間市、・・町田市からの加盟者があり、2007年会員は2000世帯になった。

 193777日、中国の北京郊外で日中両軍が衝突した盧溝橋事件が起き、日中戦争がはじまった。日本は1931年に関東軍が仕掛けた満州事変から中国侵略を始めており、傀儡国家である「満州国」を樹立していた。日本国民は日本政府・軍の武断政策を熱烈に支持した。日本のマスメディアがいっせいに同じ方向に走り、一色に染まった報道に流れがちなのは、戦後も変わっていない。それは近年の「(小選挙区制推進の)政治改革」「小泉劇場」「アベノミクス」「令和改元」などの報道を見てもわかる。

 再び政治大国・軍事大国化を目指そうとするアベ政権の路線に、日本人の意識はからめとられそうになってはいないだろうか。「嫌韓本」や「嫌中本」が大量に売れ、ネットにはヘイト・スピーチの言葉があふれ、北朝鮮と中国を仮想敵国として強硬論を唱える風潮と、日本社会に根深く残る「アジアを低く見る風潮」は通底しているのではないか。また敗戦後、天皇の存在は日本占領の円滑な遂行に利用できると判断したアメリカの政策により、昭和天皇は東京裁判で訴追されず、戦争責任を免れた。責任をとって退位もしなかった。「現人神」から「人間天皇」に転身した。そのことが、新聞記者や新聞社幹部も含めて多くの日本国民が間に、戦争責任に関する自責の念を抱かせない風潮を生みだしたのではないか。それが新聞の戦争責任をうやむやにさせていくことにもつながったと考えられる。

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台風19号の被害と防災の感想

2019-10-13 | 都市計画・まちづくり

 死者24人、行方不明17人(NHK13日18時)。雨台風1000mmを超えた地区があった。河川氾濫で甚大な被害。堤防決壊21河川24か所、越水142か所(同21時)。被害は拡大の模様。

1 広範囲で長時間の大雨による堤防の決壊が多く浸水が多い。ダムの緊急放流、橋の倒壊、土砂災害と広範囲である。台風通過後も増水で避難勧告。車などで避難中や見回りなどの被災もあり、自己判断で生死が分かれる。福祉施設などで日頃の防災訓練で効果。

2 気象庁の的確な情報発信。鉄道機関の計画運休は良かった。平日の場合はどうか、会社は休みになるか?不要不急の外出制限、早めの防災準備。

3 防災・減殺、国土強靭化というが公共事業はリニア、武器爆買いなど問題は?

 土砂災害危険区域の防災工事の遅れ、放置山林、公共施設(橋、堤防など)の点検、人員の確保。

4 災害対策本部の遅れ、緊急事態で憲法を変える必要はない。

5 気候変動による被害の増大。日本の環境省は大丈夫か。グレタさん学ぼう。

 汚染水、PCB、アスベストなどは流出しなかったか?

以上の視点で、今回の災害を見ていきたい。今回の台風で豊田市の被害はほとんどなかったが、進路がそれて良かったでは済まされない。豊田市の農林業の衰退、土砂災害危険区域の多さ、洪水の心配、合併による山間地の職員不足などがある。(13日21時)

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「横田空域」

2019-10-06 | 気になる本

吉田敏弘(2019)『横田空域』角川新書

 日本はアメリカ軍に守られている?軍事費は安上がり?私の周りからそんな声が聞こえてくる。沖縄ではそんなことはないのが、明白になっている。他に米軍基地はどこに?日本の中心、それが東京近辺の横田空域である。米軍基地や安保、地位協定の闇を追っている。日本の自主・独立・平和の基本を考える本である。以下抜粋メモ。

 翁長元沖縄県知事は、「日本国憲法の上に日米地位協定があり、国会の上に日米合同委員会がある」。ドイツ、イタリアでは米軍を規制できるが日本はできない。

 東京のど真ん中にある六本木米軍ヘリ基地。近くにアメリカ大使館があるからだろう。東京近辺には上から横田基地、相模総合補給廠、キャンプ座間、厚木基地、横須賀基地とある。日本の航空法ではヘリは高度約300mと定めているが、六本木米軍基地から150mの低空飛行をしている。トランプ大統領が訪日した時、羽田空港でなく軍事施設である横田基地に降り立ったことは、日本におけるアメリカの軍事力を伴う特権的優位を見せつけたものといえる。

 日米合同委員会は、米軍と日本政府高官が密室協議し、密約で非公開である。密約は日本の主権を侵害し、憲法体系を無視して、米軍に事実上の違い法権を認めるものだ。日本の領空なのに日本側の航空管制が及ばず、管理できない。独立国としてあるまじき状態が、戦後70年以上も続いている。

 有事には米軍人・軍属の家族や大使関係者など在日アメリカ人が、米軍の輸送機やチャーター旅客機で本国へ避難するのに横田基地を使う。

 米軍は低空飛行を行うに、安全性を最大限確保し、地元住民の影響を最小限にするとしているが、合意は骨抜き状態である。

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平成時代

2019-10-01 | 気になる本

吉見俊哉(2019)『平成時代』岩波新書

 平成時代というタイトルであるが、歴史的な区切りの意味はない。むしろ、1990年からの失われた30年に起きた政治・経済のショックの総括であり、失敗の分析である。未来の方向性は示していないが、失敗の標本、失敗の教訓(責任)をしっかり学ぶことから、未来の課題を見つけよう、としている。以下、著書から失敗の事例をみてみよう。(  )内は私のコメント。

 平成の「失敗」のなかで最も顕著なものは、金融を中心とする大企業の失敗である。倒産した山一証券である。

 産業全体でも、平成を通じた電機産業の衰退は、目を覆いたくなる。斬新なアイデアがなく、リスクを取らないソニーは「サイロ化」で、80年代の勢いから90年代に失速した。ソニー以上に哀れなのは、シャープや東芝、さらに日立である。(坂本雅子の「空洞化と属国化」が参考になる。)

 政治の挫折と回復なき少子化の項で、民主党政権の大失敗が今日の安倍一強政権を生んだ直接の要因としている。小選挙区制度は政権交代可能な2大政党(財界の望む保守2大政党)を名目にしたがならなかった。

暗澹たる気持ちになるのは超少子化で、日本の少子化はもう取り返しがつかない。1.5を下回った国は取り返しがつかない。少子化を克服できなかったのは、バブルに浮かれその後も少子化対策を怠った。もう一つの理由は、新しい貧困発展途上国の貧困とは異なる社会的な繋がりの薄い孤独な貧困層の拡大だった。

2001年のGDPは約700兆円(現在500兆円程)。経済成長一本やりでやってきたきた日本は、その産業力を維持できるのか。国際化に成功した企業は、グローバルなネットワークで利益をあげることを追求し、生産拠点が海外に移転する。輸出型から内需型に転換しなければとされていた。

 大惨事の発生には、「自由市場の過激な「改革」を導入する環境を整えるために一般大衆を恐怖に陥れようとする巧妙な意図」が並走してきた。結果、後に生ずるのはいつも「膨大な公共資産の民間への移転、とてつもない富裕層と見捨てられた貧困層という二極格差の拡大、そして安全保障への際限ない出費を正当化する好戦的なナショナリズム」の高揚だった(ショックドクトリン)。東日本大震災と福島原発の事故の対応を、態勢が整わない民主党政権がしなければならなかったことは、その後の同党の壊滅的な影響を与えた。

 平成の30年間の日本経済の変容を示すものは、世界経済の存在感である。1989年世界企業の時価総額ランキングで、上位50社のうち32社が日本で、2018年35位のトヨタだけである。サムスンは16位。半面、国と地方の長期債務残高は平成末に、1077兆円であり、債務危機に陥ったギリシャ、イタリアより悪い(日本の債務危機がいつ来るか?財政再建の方策は?適切な文献を探している)。一人あたりGDPは現在、香港に抜かれ韓国と変わらない。日本はアジアで最も豊かな国ではとっくになくなっている

 1980年代の日本経済を顧みると、凄まじい円高であり、対米輸出に対し内需拡大を求められた。金融緩和は株や不動産に回った。対米輸出を減らすのに、アジアへの体制の転換がされるべきだった。

 民主党は小泉時代の経済財政諮問会議に代えて国家戦略局を創設して政治主導の柱とした。小泉時代より民主党は正攻法だが、選挙の結果は民主党の惨敗であった。小泉政権期には予算編成の要望に対し、経済財政諮問会議が「骨太の方針」で打ち出し閣議決定した。数度の政治主導の失敗を受けて安倍政権は、経済財政諮問会議と内閣人事局を掌握した。「アベノミクス」自体の構造改革に新機軸はない。政治主導の潮流に押され、官邸は「忖度」する態度が浸透し、政管の緊張関係に液状化現象が生じた。森友学園の公文書偽造は、犯罪行為である。財務省の権威は失墜した。(恥も外聞も関係なく、事件に関わった官僚が昇格する。いわんや大臣までが?)

 兵庫県南部地震の被害は神戸市が中心で、神戸は山を削って海を埋め立てる経営に問題があった。(現在、東京1局集中、駅前再開発が進んでいる。豊田市でも都心開発が進んでいる。さらに、立地適正化で鉄道駅集約を言いながら、一方で調整区域の市街地拡大の矛盾した成長計画である)

 ポスト平成時代を見通す最も重要な指標は人口である。ジニ係数は、1981年0.314から2002年0.381に上昇した。生活保護世帯は96年の61万世帯から04年100万世帯へと激増した。アンダークラスの人々は、「うつ病やその他の心の病気」になる比率が高い。合計出生数が連続して1.50を下回り続けるということは、その国民の人口が自力で回復不可能になる一線を越えること。90年代半ば以降、企業は生き残りを賭けて急速に正規雇用者を減らし、派遣や非正規雇用を増やした。経済的困難や未来への不安の継続が、この世代に未婚率の顕著な高さ、その結果としての出生率の低さをもたらすのである。第3次ベビーブームを完全に取り逃がした日本社会は、その後も少子化を止めるのに不可欠な若者全体に対する雇用の安定性確保できないまま社会を二極化してきた。

 様々な文化世界で平成時代に生じた変容の根底には、テレビを基盤とする文化からインターネットを基盤とした不可逆的な転換があった。残念ながら、平成の日本が選択し、ポスト平成時代に向かおうとしているのは、これ(「成功」の再演ではなく、「失敗」からの学習)とは正反対の道である。その象徴が、2020年の東京オリンピックである。中国の爆発的経済成長を背景に、若い資本家たちがが向かったのは、IT関連産業であった。中国の経済成長は日本(自動車や家電のモノづくり技術)とは対照的である。平成は終わりの始まりである。人口増加の終わり、経済成長の終わり、総中流化の終わり、社会が分裂の始まりである。政治は「改革」を試みたが、社会の基礎的変化に何度も足元をすくわれた。

 日清戦争以降、日本はアジアの中心性を中国から奪い、アジア太平洋線での敗北後もアメリカと一体となり維持した。冷戦後、中国に中心が戻った。平成の日本のアメリカへの従属はますます深まった。対外的にはすでにその覇権に陰りが見え始めているアメリカにすがり続け、アジアとの関係を根本から再構築しようとしない日本に未来はない

 (2019年9月安倍改造内閣は右翼的な顔ぶればかりであり、改憲を狙っている。10月1日より消費税が10%に引き上げられた。中国建国70周年、香港ではデモが繰り広げられた。日韓関係は徴用工を口実に、日本は輸出3品目を規制した。愛知のトリエンナーレで少女像の展示が中止されてた。大村知事は再開を表明した。萩生田文部大臣は補助金を出さないと「検閲」とも受け取られかねない。)

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