吉見俊哉(2019)『平成時代』岩波新書
平成時代というタイトルであるが、歴史的な区切りの意味はない。むしろ、1990年からの失われた30年に起きた政治・経済のショックの総括であり、失敗の分析である。未来の方向性は示していないが、失敗の標本、失敗の教訓(責任)をしっかり学ぶことから、未来の課題を見つけよう、としている。以下、著書から失敗の事例をみてみよう。( )内は私のコメント。
平成の「失敗」のなかで最も顕著なものは、金融を中心とする大企業の失敗である。倒産した山一証券である。
産業全体でも、平成を通じた電機産業の衰退は、目を覆いたくなる。斬新なアイデアがなく、リスクを取らないソニーは「サイロ化」で、80年代の勢いから90年代に失速した。ソニー以上に哀れなのは、シャープや東芝、さらに日立である。(坂本雅子の「空洞化と属国化」が参考になる。)
政治の挫折と回復なき少子化の項で、民主党政権の大失敗が今日の安倍一強政権を生んだ直接の要因としている。小選挙区制度は政権交代可能な2大政党(財界の望む保守2大政党)を名目にしたがならなかった。
暗澹たる気持ちになるのは超少子化で、日本の少子化はもう取り返しがつかない。1.5を下回った国は取り返しがつかない。少子化を克服できなかったのは、バブルに浮かれその後も少子化対策を怠った。もう一つの理由は、新しい貧困、発展途上国の貧困とは異なる、社会的な繋がりの薄い孤独な貧困層の拡大だった。
2001年のGDPは約700兆円(現在500兆円程)。経済成長一本やりでやってきたきた日本は、その産業力を維持できるのか。国際化に成功した企業は、グローバルなネットワークで利益をあげることを追求し、生産拠点が海外に移転する。輸出型から内需型に転換しなければとされていた。
大惨事の発生には、「自由市場の過激な「改革」を導入する環境を整えるために一般大衆を恐怖に陥れようとする巧妙な意図」が並走してきた。結果、後に生ずるのはいつも「膨大な公共資産の民間への移転、とてつもない富裕層と見捨てられた貧困層という二極格差の拡大、そして安全保障への際限ない出費を正当化する好戦的なナショナリズム」の高揚だった(ショックドクトリン)。東日本大震災と福島原発の事故の対応を、態勢が整わない民主党政権がしなければならなかったことは、その後の同党の壊滅的な影響を与えた。
平成の30年間の日本経済の変容を示すものは、世界経済の存在感である。1989年世界企業の時価総額ランキングで、上位50社のうち32社が日本で、2018年35位のトヨタだけである。サムスンは16位。半面、国と地方の長期債務残高は平成末に、1077兆円であり、債務危機に陥ったギリシャ、イタリアより悪い(日本の債務危機がいつ来るか?財政再建の方策は?適切な文献を探している)。一人あたりGDPは現在、香港に抜かれ韓国と変わらない。日本はアジアで最も豊かな国ではとっくになくなっている。
1980年代の日本経済を顧みると、凄まじい円高であり、対米輸出に対し内需拡大を求められた。金融緩和は株や不動産に回った。対米輸出を減らすのに、アジアへの体制の転換がされるべきだった。
民主党は小泉時代の経済財政諮問会議に代えて国家戦略局を創設して政治主導の柱とした。小泉時代より民主党は正攻法だが、選挙の結果は民主党の惨敗であった。小泉政権期には予算編成の要望に対し、経済財政諮問会議が「骨太の方針」で打ち出し閣議決定した。数度の政治主導の失敗を受けて安倍政権は、経済財政諮問会議と内閣人事局を掌握した。「アベノミクス」自体の構造改革に新機軸はない。政治主導の潮流に押され、官邸は「忖度」する態度が浸透し、政管の緊張関係に液状化現象が生じた。森友学園の公文書偽造は、犯罪行為である。財務省の権威は失墜した。(恥も外聞も関係なく、事件に関わった官僚が昇格する。いわんや大臣までが?)
兵庫県南部地震の被害は神戸市が中心で、神戸は山を削って海を埋め立てる経営に問題があった。(現在、東京1局集中、駅前再開発が進んでいる。豊田市でも都心開発が進んでいる。さらに、立地適正化で鉄道駅集約を言いながら、一方で調整区域の市街地拡大の矛盾した成長計画である)
ポスト平成時代を見通す最も重要な指標は人口である。ジニ係数は、1981年0.314から2002年0.381に上昇した。生活保護世帯は96年の61万世帯から04年100万世帯へと激増した。アンダークラスの人々は、「うつ病やその他の心の病気」になる比率が高い。合計出生数が連続して1.50を下回り続けるということは、その国民の人口が自力で回復不可能になる一線を越えること。90年代半ば以降、企業は生き残りを賭けて急速に正規雇用者を減らし、派遣や非正規雇用を増やした。経済的困難や未来への不安の継続が、この世代に未婚率の顕著な高さ、その結果としての出生率の低さをもたらすのである。第3次ベビーブームを完全に取り逃がした日本社会は、その後も少子化を止めるのに不可欠な若者全体に対する雇用の安定性確保できないまま社会を二極化してきた。
様々な文化世界で平成時代に生じた変容の根底には、テレビを基盤とする文化からインターネットを基盤とした不可逆的な転換があった。残念ながら、平成の日本が選択し、ポスト平成時代に向かおうとしているのは、これ(「成功」の再演ではなく、「失敗」からの学習)とは正反対の道である。その象徴が、2020年の東京オリンピックである。中国の爆発的経済成長を背景に、若い資本家たちがが向かったのは、IT関連産業であった。中国の経済成長は日本(自動車や家電のモノづくり技術)とは対照的である。平成は終わりの始まりである。人口増加の終わり、経済成長の終わり、総中流化の終わり、社会が分裂の始まりである。政治は「改革」を試みたが、社会の基礎的変化に何度も足元をすくわれた。
日清戦争以降、日本はアジアの中心性を中国から奪い、アジア太平洋線での敗北後もアメリカと一体となり維持した。冷戦後、中国に中心が戻った。平成の日本のアメリカへの従属はますます深まった。対外的にはすでにその覇権に陰りが見え始めているアメリカにすがり続け、アジアとの関係を根本から再構築しようとしない日本に未来はない。
(2019年9月安倍改造内閣は右翼的な顔ぶればかりであり、改憲を狙っている。10月1日より消費税が10%に引き上げられた。中国建国70周年、香港ではデモが繰り広げられた。日韓関係は徴用工を口実に、日本は輸出3品目を規制した。愛知のトリエンナーレで少女像の展示が中止されてた。大村知事は再開を表明した。萩生田文部大臣は補助金を出さないと「検閲」とも受け取られかねない。)