豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

林他編「交通・都市計画のQOL主流化」と豊田市

2024-07-09 | 気になる本

林、森田、竹下、加知、加藤編(2,021)『交通・都市計画のQOL主流化』明石書店

先日の豊田市の新総合計画の中間報告会のシンポは、市長は挨拶だけで帰り、報告書の説明はなく抽象的で何が問題点なのか、参加した私には理解できなかった。

現在の自治体の総合計画・都市計画マスタープランの都市構造は、立地適正化計画後はコンパクトシティ+ネットワークで主である。つまり人口が減少し、経済成長も望めない、従って市街地を縮小し、駅周辺に住宅や都市施設を集約しようという発想である。それは今までの線引きを見なおし、さらに誘導的に集約することと、核となる地域拠点(駅や支所など)を交通ネットワークで結ぼうというものである。本では触れていないが、中山間地を抱える自治体では、過疎化とどう向き合うかというテーマがある。中山間地の人口減少は激しく、一定の住める人口維持をどう支えるか?学校、交通、営農林、自然エネ、コミュニティなど限界にきている。能登半島地震での復興の遅れに、過疎問題が大きな要因に思う。

QOL(quality of life生活の質)については、以前の豊田市の総合計画ではテーマになっていた。大企業のある豊田市では、一応不正があってもトップ企業であり、影響力は大きい。林、加藤さんは中部の人で、加藤さんとは以前会い、話を聞いたこともある。

この本で気になるポイントはQOLの評価である。2部ではヨーロッパの事例が中心にある。都市の事業の評価は難しくわかり難い。例えば、豊田市ではラグビー大会やラリー選手権などイベント起爆剤に、都心開発に多大な予算を使っている。市民の6割以上が、魅力と賑わいに疑問を持っている。しかし、市は経済波及効果や都心の歩行者交通量、住戸の増加をあげ効果があったと一面的に評価している。以下本書のポイントとコメントである。

はじめにで林は、「経済成長から個人の幸福」への移行を掲げ、その評価法を提案しているがやや専門的で理解しにくい。豊田市の解析を市が委託して報告して頂きたい。感じとしては豊田市の都市思想とは対立するようにも思うが、異なった意見が対比されれば市民も理解されやすい。豊田市長は中核市の中で幸福度1位と選挙公報で書いていたが、財政力、投票率など評価基準は何か、が問題である。

コンパクト+ネットワークは対立するという見解はなるほどと思った。豊田市の場合はコンパクト(都心整備、幹線道路促進)が優先で、過疎対策は疎かでである。幹線道路は市に推進室を置くほど熱心であるが、生活道路は自治区を通さないと要望も受け付けない。ネットワークでは鉄道、バス以外にも多様な方法が模索されている。著者の指摘する通勤者だけでなく、高校生、高齢者の交通弱者の視点が重要である。

1-2 現行の費用便益分析による事業評価の矛盾 で、手法のミスマッチ、幸福要因の変化を指摘する。2章のQOLは本書の肝である。専門的であるが表2-3での評価指標、求人倍率、家賃、通勤・通学時間、買い物と病院と病院の所要時間、駅への所要時間、住宅の広さ、公園までの時間、騒音、自然災害の発生度、交通事故の遭遇頻度、大気汚染の度合い、交通手段のやさしさ、生物多様性、居住地区の清潔感など、具体的である。点数化してどう評価するかは不明である。交通具の質の評価指標では、所要時間、渋滞、乗り換え、自由度、安全性、料金などをあげている。また、別の表で運転しやすさ、歩きやすさの指標も示している。豊田市の都心整備の評価では、歩行者数が増加したとあるだけで、科学性もなく乱暴である。4章ではドイツのQOLの事例や、歩きやすさの指標がデータ整理されている。豊田市も参考にして数値で公表して欲しい。

名古屋圏の事例から、都市構造に関する課題として、拡散型都市構造が進展した理由を、①郊外地に手ごろな戸建て住宅が入手、②車を自由に使うライフスタイル、③自然の近くで子育て、④大規模集客施設や公共施設が郊外に立地、を指摘する。豊田市も労働力として流入した人が、郊外に住宅、団地、学校など作って、「低密度の分散型市街地」を形成してきた。そして、線引き都市計画でコントロールできたのか、立地適正化計画への連動などの評価・分析がされていない。国家高権の規制緩和(高さ、容積率、日照など)で建築自由が進み、デベロッパーの利益優先で都市の計画があるとは言い難い。表4-3-6では、QOLの評価要因が示されている。これを使って豊田市の都市を評価し、他市と比較すればわかりやすいのではないか?

都市構造のシナリオによる分析(4-3加藤、戸川)では、持続可能性評価システムを活用して定量的な評価を行う、としている。人口・世帯数の算定方法、将来人口の推計結果、人口の集約化シナリオをなど名古屋市でグラフの事例が分かりいやすい。シナリオ別CO2排出量とか住宅タイプ別割合、交通機関指標は分かりやすく、豊田市でも作成し学区別に説明して欲しい。わかりやすい資料で説明しないと行政の計画について、市民参加や意見が集まらない。表4-3-13事例として、住宅購入費等の助成と住宅整備支援で、富山市、金沢市、福井市、岐阜市がある。多治見市では公共住宅の補完として民間賃貸の補助制度が参考になる。

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諸富他「ゼロカーボンシティ」を読んで

2024-06-27 | 気になる本

諸富、藤野、稲垣編著(2023)『ゼロカーボンシティ』学芸出版社

 地球が温暖化し、気候変動、災害増加は誰もが感じる。SDGsも大事だとわかるが、生活に追われ身の回りでどうなっているか、効果が上がっているのか、自治体のHPでも見えにくい。CO2をどうやって計っているのか、原発、火力発電、再エネ、太陽光、EV化など問題は多岐にわたる。以下、本からのメモ書きと私のコメント。

この本のはじめにで、菅首相2020年に、2030年までに温室効果ガス排出削減目標を、2013年比で26から46%に引き上げ、対策予算を引き上げた。「脱炭素先行地域」は5年間で、3/4~1/2の補助がつくことで、関心が強まったとある。

1 岡崎市はこれに選定されたが、豊田市は?その計画内容はどうか?が、第1の関心である。この政策は生活の質を下げないことを前提としている。健康では、冬の部屋の温度を18℃より下げない。これには二重サッシに効果がある。

我が家も浴室改修と合わせ補助金がもらえた。1981年の古い家は無料診断で耐震改修補助がつくが、リフォームも合わせれば進み、町の建築業者も仕事になる、と思う。以前は豊田市も「生活の質」を問題にしたが、今はトヨタと同じように民営化、非正規などコスト削減を優先にしている。グループホームの「恵」の不正が2カ所発覚した。

2 奈良県の「自治体排出量カルテ」、環境省「地域経済循環分析」を、川崎市の廃棄物発電、真庭市のバイオマスがある。これら自治体のベテラン職員の提案が指摘されている。

 豊田市の様々な政策、環境モデル都市、CO2の現状と目標、補助制度など現状と課題はどうなっているのだろうか?特に、成果主義の導入から短期の成果とコスト削減が求められ、出来そうな目標しか掲げないこと、専門職員が育ちにくいことがあり、実現のプロセスが市民には見えない。また、迅速効率のトップダウンが増え、都心整備や中央公園など情報未開示も増えている。

3 再エネをどう進めるか、目標と計画は?再エネとビジネス、雇用につなげるかがポイントに思う。足助の三河の山里コミュニティパワーから学ぶべきであろう。

水素エンジンの効果と実現性は?下山ではテストコースが完成した。人口は増えたのか、スーパーが閉店したと聞く。中山間地の人口減少は止まるのか?足助、松平など3こども園が募集停止と聞く。ラリーで地域への経済効果はどこにあったのだろうか?諸富氏の「地域付加価値創造分析」でどうか

4 岡崎市の脱炭素先行地域の事例は?EVバッテリーの再利用、地域新電力「岡崎さくら電力、中央グリーンセンターのごみ発電?木質バイオマス発電?大規模太陽光発電1432Kw?ウオーカブルなまちづくり、など気になるところである。

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農地改革と「農業基本計画」改定

2024-05-30 | 気になる本

 戦後のGHQによる「民主化」政策で、小作農を廃止大地主を廃止した農地改革があった。また、先日食料・農業・農村基本計画が国会で改定された。農業者も減り食料自給率が低下する中、展望が持てる内容ではない。しかし、農協中央会山野会長は談話で、「将来にわたる食料の安全保障が確保図られるよう」計画策定に、期待しているが無理ではないだろうか!それに、農林中金は外債運用で巨額損失を報じられている。以下、本よりの抜き書きメモである。

 東畑四郎「農地改革この曲折したあぜ道」『昭和史探訪五』

マッカーサー自身がアジアにおいてやるべきことは、やはり農地改革だという考えを持っていることが出てきた。占領軍の日本民主化の方針と地主制を固めていくということは、矛盾しないじゃないか。実際の地主は猛反対、当時の国会は戦時中の翼賛議員が大多数だった。

 200万ヘクタール以上も農地を買って、さらに土地所有者の問題というのは極めて面倒なことであった。二次改革案は約一ヘクタールであった。データがあって占領下だからできた。ちょうど朝鮮、台湾から引き上げてきた役人も大勢いたからできた。国が特別会計を作って、農地証券を出して、全部買収した。

 日本の農業というのはやはり零細で、かつ兼業農家が非常に多くなり、都市所有者でありながら頭は脱農している。農業では飯が食えないという兼業農家が非常に多く、しかも農業規模を拡大しようと思っても地価が高くてなかなか流動しない。あの零細所有者にした農地改革に対する批判もあります。この一番難しい問題をどうするか、というところに日本は来ている。この問題を避けて牛を飼い、草を作れ、国内で自給しろ、何て言ったってこれは全く平面的な話しである。

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 食料自給率は国民の命や食の安全、物価の安定から極めて重要であるが、現在も結局アメリカの余剰農産物を買わされ、価格保障もなく生産がおぼつかず、生産者数は減り耕作地も減り、農山村を疲弊している。食料自給率は下がる一方で、輸入だよりでは飢饉や戦争で自国民の命は守れない。

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木村『平和日本の試練「戦後インフレ」』から学ぶ

2024-05-29 | 気になる本

1975『昭和史探訪―もう一つの証言』5 番町書房

日本の債務残高1300兆円、日米金利差、賃金減少、円安で弱い経済。武器の爆買い、自民党の裏金疑惑、経済も政治も未来が展望できない。景気は悪いが物価は上がり、スタグレーションともいえる。異次元の金融緩和を続けているアベノミクスの失敗である。しかし、利上げできない日本で、ハイパーインフレの危険性もある。戦後インフレはどうであったか?預金封鎖にデノミは行われるのか?以下、著書の拾い読みである。(  )内は私のコメント

p189 木村き八郎 平和日本の試練「戦後インフレ

 今まで辛抱していたものが、預金を引き出せるわけですから、食料の買い占めを非常に刺激した。(戦費調達の大量国債があり)悪性インフレに発展することは明白であった。戦後のインフレをひどくした一つの原因。それからもう一つの原因は臨時軍事費、昭和20年度で一年間850億円だったところが、終戦が8月だから七ヶ月残っている、それを全部使っちゃった。三番目は銀行の貸出が増えたんですね。軍需手形とか国債を日本銀行へ持って行って、新しいお札を受け取って貸すんだから、これはインフレになるんです。軍需生産はないんで、平和物資に転換するといったのですが、転換だってそううまくいってない、いわゆる横流し(利権)ですね。

 新円封鎖して、凍結しておいて、最後には補償打ち切りによって、軍備会社から取れないものを、結局国民の預金を捨て切り捨てて救済した。

 狭い国土に1億なんて人間は住めないんだと、何か4000万餓死するとかいうことを言ったことがあるんですよ。食料問題がものすごく重大化しちゃった。アメリカから食糧援助はなかったのです。その後ドッジになってから援助があったんです。結局戦後のインフレの悪化した要因の一つは、預金の引き出し。第二は臨時軍事費の850億の予算を、まだ七ヶ月も会計期間が残っているのに全部使っちゃった。それから三番目にはその銀行の貸出なんですよ。もう一つ原料がないということを忘れて、いくら金をだしたって生産が増えるはずもない、でも石橋さん大ミエ切ってインフレ政策を助長したのです。

 なんでも税金でまかなえと、いうことで民商が反対運動を起こした。それを基礎にして共産党がずっと伸びていった。昭和24年に中国に共産主義政権ができました。ソ連に対抗するアメリカの軍事基地としては中国だったのです。中国をソ連に対する反共の危機としておったから、日本は問題にしていなかった。日本から軍事基地を撤去しちゃう。それから陸海軍を解体する。パージをやって戦犯を追放させる、農地解放する。日本は極東のスイスみたいにする、とマッカーサーは言っていた。もう一つは、日本の工業水準を高める、これがアメリカの軍事経済力を、共産主義に対して強化することになる。そういう意味でアメリカは日本に援助したのである。インフレが収束したのはドッジさんが決め手だったのか?そうですね。超均衡予算でピタッとなったんです。アメリカの援助があったからよかった。その反動がくるはずだったが、その時に朝鮮戦争が始まった。

 経済産業の基本は重化学工業であるが、ネックは燃料だった。炭鉱は日本人よりも第三国人が多かった。それもものすごい悪条件でやっていた。それが終戦で朝鮮の人たちが引き上げちゃった。ドッジのやり方はドラスティックであった。ものすごい税金攻勢ですよ。所得税が増税された。困ったのは中小企業者です。商店の息子はものすごく共産党に行きました。

 新円切り替えのとき金融緊急措置令は準備しないと大混乱するのでは?証紙で対応した。月に500円位しか下せない。最後は預金封鎖した。例外措置をコネのある人(利権、裏金)はすり抜け、まじめな人が損をした。いままた物価安定(日銀の本来の役割すら放棄)と言われますが?1953年に360円を280円に、さらに切り上げろとアメリカは言ってきた。最初の切り利上げ以降、それでも輸出が増えドルがたまるので、アメリカの圧力高まった。しかし、円の再切り上げは防げなかった。アメリカがドルを10%切り下げちゃった。だから円は切り上げに、残ったのがインフレです。その後石油ショックから悪性化しちゃったのですね日本は。

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 円安・インフレを止めるには利上げは避けられない。利上げできる環境づくりは、「最低賃議員全国一律1500円と中小企業支援」「消費税減税」「社会保障の充実」です。関野秀明「インフレ不況と出口戦略」赤旗5・28とある。岸田政権は武器爆買いの軍事費増大で社会保障削減である。自民党は金権腐敗政治である。出口戦略を国民的議論で、政権交代の政策にすべきではないだろうか。

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神野「地域再生と経済学」②

2024-05-20 | 気になる本

共同体の共同作業は、共同体の生産活動の前提条件を形成することにある。農村で言えば、水路を共同で建設して共同で管理したりすること、都市で言えば、街路を共同で建設して共同で維持することなどが、共同体の共同作業として実施されてきたのである。共同体の相互扶助によって担われてきた機能には、教育、、医療福祉サービスがある。

グローバル化、ボーダレス化に伴い、中央政府が張る現金給付による社会的セーフティ・ネットは綻びはじめている。それを地方自治体が現物給付による社会的セーフティ・ネットで張り替えなければ、産業構造を転換させて地域社会を再生することはできない。

人間の新しい欲求は、人間の生活から生まれる以上、生活に密着して観察していれば容易に把握できる人間の生活から遠い政府である中央政府では、こうした新しい欲求は把握しがたい。スウェーデンでは雇用と福祉を重視する伝統生かしながら、新たなヨーロッパ社会経済モデルを追求している。

「行政改革」といえば、内部効率性のみを追求しがちである。しかし地方財政では外部効率性の方が内部効率性よりも重要である。外部効率性とは、地域社会のニーズに合っているかどうかと言う効率性であり、ニーズに合ってない公共サービスをいかに安い価格で生産しようとも、それは無駄であり非効率である。(豊田市の「行政改革」は民営化や市民サービスのカットで、何億円経費削減されたかを競う。一方で、駅前開発は大金を使い綺麗になっても賑わいがない。市民の6割は効果がない、としていても失敗を認めず、今後の整備計画も「隠ぺい」である。)

地域社会の再生には二つのシナリオがある。一つは、あくまでも工場誘致という従来の戦略の延長線上で持続可能性を求めるシナリオである。しかし、工業分野では地域社会は新興工業国の新しい追い上げに直面している。もう1つは、地域社会を人間の生活の場として再生させるシナリオと言ってもよい。

日本でも環境と文化をキーワードとする地域社会再生が始まっている。1990年代から施行されている湯布院町の「麗いのあるまちづくり条例」は、湯布院町のかけがえのない資産である。高知市も人間の生活空間として都市づくりを目指している。ショッピングセンターの機能を併せ持つシネマコンプレックスの建設を拒否している。高知市は京都市について古くから路面電車を敷設した。(90年代地方からまちづくり条例ができた。真鶴町の「美の条例、豊中市、世田谷区の自主的なまちづくり協議会などである。都市計画の分権や景観法もできたが、規制緩和で容積率は緩和され高層建築は止まらず、「建築自由」で都市法は改悪され日照、景観、空地など居住環境は悪化している。)  

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神野「財政と民主主義」③

2024-05-14 | 気になる本

5章 人間らしく生きられる社会へー地域の協働と民主主義の再生

「量」の経済が「質」の経済へ転換するということは、交換価値よりも人間の生命活動という根底から見た使用価値を重視することを意味する。人間を含めて地球上の生命体は緑色植物が太陽エネルギーを捉えて蓄積したエクセルギー(exergy)を分かち合って生命を維持している。

持続可能な都市の創造は、地域の生活機能の再生から。生活様式とは文化である、ヨーロッパでは「環境」と「文化」を合言葉にした、生活の場としての地域共同体の再創造運動が展開して行く。持続可能な都市の模範生としてフランスのストラスプールでは、自然環境の下で営まれてきた伝統的な生活様式としての文化を復興させていった。ポスト工業社会では生活機能が生産機能の磁場となることを教えてくれる。水の都ストラスプールでは、1989年市長に就任したカトリーヌは市街地への自動車の乗り入れを禁止し、LRTを市街地に導入することに踏み切った。市内はいる路面電車の駅にはパークアンドライドで自動車の駐車場が設けられている。市街地を自動車が走らないので、歩きたくなるような公園のような都市になる。商店街は自動車で走り抜けられるよりも、歩いて訪れてもらった方が活況を呈する。ストラスブールの人口は23万人程度だが大学の学生数は5万5千人である。

(豊田市もバスの一部乗り入れを禁止し、市駅前広場を作ろうとしている。これまで駅前開発は30年1000億円以上投資してきたが、賑わいはない。しかし、中心市街地の空き店舗は増えるばかりである。イベントの時にスタジアムまで、市外の観客が歩ける街にするのか、整備方針が不明である。今後の整備計画について、市長の経営戦略会議の議事録を公開請求しても、全て非公開である。)

公園のような都市づくりが、ドイツの工業地帯ルール地方にある。公園のようなランドスケープを作り出すとともに、住宅を整備し、生活環境を整えていく。生活の場として地域共同体を再生させると、そこに新しいタイプの知識集約産業が展開してくことになった。(各務ヶ原市では「公園都市」を掲げていたが、市長が代わったせいか現在はトーンダウンしたようだ。)

日本では2007年に荒川区長は豊かさを示すGDPに代わって、幸福度という新しい社会指標を追求する「幸福実現都市あらかわ」を掲げ、都市開発によって無機質な高層建築物が林立し地域共同体における人間の絆を失われていく。存在欲求の充足を意図した2009年に荒川区自治総合研究所を設置して、荒川区民の幸福度を開発する。「幸せリーグ」に加盟している自治体は2023年78である。

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ポスト工業社会から知識集約社会へとあるが、豊田市は高収益をあげるグローバル企業トヨタのある都市では、まだ次世代が見通せない。未だに幹線道路の推進、都心整備でハード重視の企業都市まちづくりである。大企業のトリクルダウンが無くなり、車輸出の反動で農林業が衰退し、非正規拡大で若者が転出超過であることは、人口減少にも顕在化している。ものづくりは車だけでなく、米や野菜も含めるべきである。食料自給率の自治体目標を持つべきである。中小企業支援、非正規改善で定住が緊急課題である。総合計画の見直しの時期であり、人口減少を踏まえコンパクトシティからサスティナブルシティに変えても良いのではないか?スタジアムの駐車場に利用するような中央公園新設より、既存の毘森公園整備を急ぐべきである。何よりも中央公園の計画、都心整備の方針など、経営戦略会議の議事録を公開すべきである。豊田市の食料自給率の算定と公表、議事録の公開は住民参加、民主的地方自治の前提である。

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川崎哲(2022)『僕の仕事は平和、・・』旬報社

2024-05-13 | 気になる本

川崎哲(2022)『僕の仕事は、世界を平和にすること。』旬報社

 21世紀になって、ロシアのウクライナ侵略、イスラエルのガザ攻撃など戦争が止まりません。ロシアは核兵器の使用もありうる、と威嚇しています。アメリカと日本は「台湾有事」、と中国を「敵」として煽り、沖縄などミサイル配置を進めています。被爆国日本で核兵器の廃絶を訴えるべきなのに、核の傘や憲法9条すら変えようとしています。どうやって戦争のない平和を築くのか、著者は理想を現実に一歩ずつ地道に楽しく活動しています。世界は核兵器禁止条約を批准する国が増えています。日本はせめて批准国会議にオブザーバー参加すべきです。この本は読みやすく、若い人にお勧めです。アメリカでは大学でイスラエルのジェノサイドに、抗議活動が続いています。豊田市に原水爆禁止の国民平和行進が6月2日16時に、豊田市駅前に参集します。以下、本の気になったメモ書きです。(  )内は私のコメントです。

 ピースボードが力を入れているのは、第一に持続可能なSDGsの普及、第二に武力紛争の予防、第三に核兵器の廃絶です。武力紛争の予防は、戦争が起きる前に戦争の根っこを断ち切ろう、という考え方です。多くの国では、よその国が戦争を仕掛けてくる可能性があるから、こちらも負けずに戦えるようにしておこう、と言って軍備や兵力を持ち日日これを強めています。(武力で平和は守れない)

 日本国憲法は平和主義です。日本が戦争を起こしたことを反省し、第九条で戦争放棄し、軍隊を持たないことを決めています。日本には自衛隊があって、それが事実上の軍隊です。自衛隊は自衛のためと言いながら、実際には戦争の準備をしているという、憲法の矛盾が長い間議論をされてきました。憲法の定めと現実がかなり異なっているので、憲法を変えてしまうべきだという意見があります。

 第三世界とは、いわゆる「開発途上国」のことです。冷戦時代世界は、アメリカ側とソ連側の二つに分かれていましたが、そのどちらでもない意味で使われた言葉です。今日では「グローバルサウス」と呼ばれることもあります。スーザン・ジョージの「なぜ世界の半分が飢えるのか」という本を、みんなで読みました。南北問題で貧しいのは、怠けているとかではなく、北の「先進国」や多国籍企業が自分たちの都合の良いように、世界のルールを作っているからだ、と言うことを学びました。

 戦後の教育現場で、先生たちは「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを掲げて、民主主義や人権、平和を教えるようになりました。今は戦争体験者が社会の第一線から退くにつれ、国家が怖いものであるという感覚が薄れてきているようです。国家は自分たちを守ってくれるものと思っている人が増えてきているようです。(ミャンマーは軍が国民に発砲している。ロシアは反政府勢力を弾圧している。戦前日本は、治安維持法で戦争反対者など弾圧した。沖縄戦の教訓(きょうくん)として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれている。戦後の満州では軍隊が引き揚げ、開拓団は「棄民」(満蒙平和祈念館「手記」)となった。今の日本は戦争法・安保法制で、アメリカの指揮下で戦争ができる国に準備が進む。いわゆる「新しい戦前」である。)

 50年以上生きてきて、国が言う「敵」というものがコロコロ変わります。冷戦時代にはソ連や中国など「共産主義」が敵だとされてきました。その後、「テロリスト」があるいは「イラクやイラン」などならず者国家が敵だとされました。最近では「北朝鮮だとか中国」だと言われています。変わらないのは、政府が莫大な予算を軍備につぎ込み、それで軍事産業が金儲けをし続けていることです。

 大量破壊、大量殺人というのは20世紀の発想です。核兵器はいずれなくなります。僕たちがもうちょっと運動を頑張ればの話です。今世界で加速しているのは、ドローンや人工知能など最新技術を駆使して、精密にターゲットを定める殺人ロボットの開発です。機械が人間を殺す世界になる、ということです。そして、その機械をつくりプログラミングをするのは人間です。ゲーム感覚で戦争が進められてしまいます。エラーを起こせば全く関係のない人たちが殺されます。今日の世界では戦争と平和をめぐる問題がこのように複雑化しています。暴力や戦争の動機になる問題は増えています。国内で人権が軽んじられ、民主主義が弱まる時、その国は戦争に近づきます。

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神野直彦「財政と民主主義」を読んで、その②

2024-05-13 | 気になる本

神野直彦(2024)『財政と民主主義』岩波新書 ②

第3章 人間主体の経済システム

 財政は、社会システム、政治システム、経済システムという3っつのサブ・システムを、トータルシステムとして社会に織り上げる結節点である。福祉分野は社会システムでの人間の生活を支える社会環境を改善する。福祉と共に雇用創出分野として位置づけられているのが、環境である。それは社会環境と自然環境の破壊による根源的危機に対処するため、だと言ってもよい。コロナのパンデミックの歴史的教訓に学べば、福祉サービスも環境サービスも量とともに質の確保が求められる。質の確保には当然労働条件の改善が要請される。

 市場万能主義が生み出した弊害の解決を、社会の構成員の共同意思決定つまり民主主義に委ねるという発想に結びついていないことをも意味する。政治システムを実質的に動かす「官」と、経済システムを実質に動かす「民」との連携に、国家の運営を委ねるというのであれば、それは重症主義政策である。

工業社会の社会的インフラストラクチャーは、機械設備の延長線上に位置づけられるエネルギー網や交通網(原発、幹線道路)であった。ところが知識社会の社会的インフラストラクチャーは人間の神経系統の能力の延長線上に位置づけられる知識資本の蓄積を支援することとなる。知識資本は、個人的な知的能力と社会的関係資本という二つの要素から構成されている。従って、この二つの要素から構成される知識資本の蓄積を支援することこそ、知識社会の社会的インフラストラクチャーということになる。

新しい資本主義」のビジョンでも新自由主義を批判しつつ、「人への投資」を打ち出している。しかし、人間を成長させる知識社会の社会的インフラストラクチャー整備する視点から、教育体系を整備するという発想は乏しい

(豊田市の予算編成方針では、普通建設事業のハードに300億円以上とし、幹線道路など産業基盤の交通や土建を重視している。恵まれた財政は福祉、教育のソフト重視に転換すべきである。人口減少で出生数の減、若者の市外流出の中、奨学金助成や住宅の補助、何よりも非正規の改善が必要である。トヨタは高収益をあげているが、トリクルダウンはほとんどない。農林業や中小企業振興の地域循環型経済への転換が求められる。)

自己責任には二つの方法がある。一つは家族や地域社会の相互扶助や共同作業を活性化させることによって、対人社会サービスを充足する方法である。それは地域住民が無償労働によって、対人社会サービスを担う方法である。もう一つの方法は対人社会サービスの分配を市場に委ねることである。そうすると対人社会サービスが所得に応じて分配されてしまうので、貧困者には分配されない事態に陥ってしまう。

4章 人間の未来に向けた税・社会保障の転換

日本の社会保障給付は欧米より低い。その中身は、老齢年金と医療の二つの分野に集中している。「全世代型社会保障とはすべての世代を支援の対象とし、またすべての世代がその能力に応じて支え合う全世代型の社会保障」と唱えられている。高齢者中心の給付として捉えられていて、現役世代に頼った負担となっている、という認識である。また、子ども・子育て支援として年少世代への社会保障を充実してくことが唱えられている。それは子ども達を扶養し、教育して、人間を人間として育てていくことが、社会の共同責任だからという理念に基づいていない。あくまで少子化対策として位置づけ人間を、労働力や兵力という手段だと見なしていると考えられる。

所得税の負担構造上の最大の問題点は、所得税はすべての所得を総合合算して累進税率を適用することになっているのに、租税特別措置法によって累進税率の対象から、利子、配当などの金融所得が外されてしまっている。「1億円の壁」として問題になっているように、日本の所得税の負担構造は所得1億円をピークとして、それまでは累進的負担になっているが、そのピークを越えると逆進的になっていく。社会保障負担の高まりとともに労働所得への負担は高まっていくのに対して、1980年代から始まる法人税の引き下げ競争に見られるように、資本所得への負担は低くなっていく。格差と貧困を国際的に拡散させている重要な要素になっている。

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政府の少子化対策では、2024年度から5年間に3.6兆円の財源を確保する方針だ。財源の内訳は、支援金制度の創設で1兆円程度、社会保障の歳出改革で1.1兆円程度、既定予算の活用で1.5兆円程度とされる。このうち、「支援金制度」では、政府は医療保険料に上乗せする形で財源を確保する。当初「月500円程度」が所得によって違い、1000円程度になっている。アメリカ言いなりの武器爆買いをする防衛費は、5年間で43兆円である。社会保障の枠内でなく、裏金や政党助成金、原発、リニア、万博、DXなど必要性、優先順位など、国民的議論や選挙での投票に足を運ぶべきであろう。

豊田市では2月の市長選挙をきっかけに、遅まきながら18歳通院医療費無料化、学校給食無料化、学校体育館に空調、(コミュニティバスの高齢者無料化、)補聴器補助が新年度から予算化された。本格的少子化・子育て対策には、非正規の改善、奨学金制度、住宅家賃補助、公的・2次救急医療、保健所移設など次の課題もある。

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神野直彦「財政と民主主義」その①

2024-05-12 | 気になる本

神野直彦(2023)『財政と民主主義ー人間が信頼し合える社会へ』岩波新書 その①

 この本は著者のおそらく体力的に最後の本であろう。これまでの多くの著作の集大成と言える。少し難解であるが、「最大公約数」的で、論理的には反論する点はなく同意できる。思想的には社会的共通資本の宇沢弘文の流れを汲む。終わりにあるように、人間を「人間として充実させるビジョン」を描く使命を背負って生きている、と学者哲学が見られる。政府は、新自由主義でとアベノミクスで失われた30年、今の日本に暮らしも平和も、若者の未来への希望も見えない。国は借金まみれで武器の爆買い、庶民は円安物価高に苦しみ、自民党の政治家は裏金の金権腐敗政治で、その人たちが平和憲法を変えようとしている。

「地域再生の経済学」の思想が現実にどう生かされたか、地方分権は仕事だけ地方に押し付け、財源と権限は国に集約されている。金子勝の「平成経済史」のように、アベノミクスをばっさり批判検証できるか?以下は本書の拾い読みである。(  )内は私のコメント。

 戦後、資源配分機能、所得再分配機能、経済安定機能という3つの機能を、有効にシステム統合を図る、福祉国家体制が先進諸国で定着していった。いわゆる「黄金の30年」であった。しかし、①1973年は福祉国家体制が崩壊してく象徴する年となった。 1973年9月11日、反市場主義を唱え、圧倒的な民衆の支持を集めてチリの大統領に就任したアジェンデが、軍のクーデターによって惨殺される。クーデターにはアメリカのCIAの関与がされており、民主主義を旗印に掲げた覇権国アメリカが、自ら野蛮な暴力でこれを破り捨てた。② 1973年には、経済システムの重化学工業化の行き詰まりを告げる石油ショックが起きた。

 第二章 イギリスの政治学者は「2008年のロシア・グルジア戦争は、最初のNATO拡大を阻止する為の戦争だった。2017年のウクライナ危機が二番目だ。三番目が起これば人類が生き延びられるかどうかはわからない。」との警告している。パレスチナにおいても始まってしまった。

 私たちは「根源的危機」の時代に生きている。「生」は偶然だが、「死」は必然である。社会環境の破壊によって、経済的危機・社会的政治的危機という内在的危機も爆発してしまっている。(地震など自然災害は防げないが、戦争、不況、食料・資源危機は政治の責任である)

 人間が生存するための生活は、家族や地域社会などという共同体を形成して社会システムで営まれるが、生存のための財・サービスは経済システムの生産物市場から購入することになる。従って労働市場で労働販売して賃金という所得を獲得し、それによって財・サービスを生産物市場から購入しなければならないのである。ポスト工業社会となり、知識集約産業やサービス産業が基軸産業になると、女性も労働市場へ進出するようになり、子どもたちや高齢者のケアに無償労働として従事する者が姿を消して行く。そうなると政府が財政を通じて育児や高齢者へのケア・サービスを公共サービスとして提供しないと、格差や貧困が溢れ出してしまう。というのも労働市場への参加形態が砂時計型に両極分離してしまうからである。コロナ・パンデミックによって日本では、エッセンシャル・ワーカーが低賃金と劣悪な労働条件の下で働いていることも再認識させられた。これは政府が対人社会サービスへのアクセスの保障責任を果たしていないことのメダルの表と裏の関係にある。1990年代日本では新自由主義に基づく労働市場改革が強行されるとともに、低賃金で劣悪な労働条件の雇用が溢れ出していたこの多くが「規制緩和」と「民営化」の掛け声とともに、本来は政府が責任を持って提供すべき公共サービスを、民間に丸投げすることによって生じたものである。(1995年「新時代の日本的経営」、正社員・終身雇用・年功序列の廃止、勤務評定など人間コスト削減。賃金低下でデフレに陥り、金融緩和で弱い日本経済に。)

 生活面よりも生産面を優先した日本の対応。社会的セーフティネットとしての社会保障には現金給付と現物サービス給付がある。現金給付には社会保険と公的扶助がある。日本の社会保険は網の目が粗く、パートや非正規という雇用形態や自営業者を充分に包摂できていない。こうした網の目の粗さによって、ポスト工業社会の社会的セーフティネットとしては、機能不全に陥ってしまう。情報メディアの発展か雇用がネットワークで組織されるため、フリーランスなどと呼ばれる雇用型自営業が大量に存在するようになる。

 バンデミック・コロナでアングロ・アメリカン諸国では、社会的危機を回復するために財政を膨張させて、多額の現金給付を実施せざるを得なくなる。福祉国家が社会的セーフティネット強化したために、それがモラルハザードとなって勤労意欲が失われ、経済停滞が生じているとする新自由主義の経済政策思想に基づいて財政を運営してきたアングロ・アメリカン諸国にとって、福祉国家なき福祉を気前よく拡大したことは財政運営方針の大転換ということである。(安倍政権のコロナ対策はどうであったか検証が必要である。医療の削減が背景にあった。現金給付は必ずしも悪いと言えない。ワクチンが日本で開発されなかった。突然の学校休校、ガーゼのマスク配布や大阪のうがい役は根拠がない。国債発行はやむを得ないとしても、補正予算、予備費の流用には問題があった。国や岡崎市長公約の現金給付はバラまきという側面もあるが、生活不安もありやむを得ない面もあった。豊田市では公的病院が少なかった。軽症感染者と家族を隔離するホテルが、市内に設けられなかった。)

 「人への投資を原動力とする成長と分配の好循環実現へ」と銘打った内閣府は、「経済あっての財政の考えのもと、経済をしっかり立て直すことが重要である」と訴えている。コロナ・パンデミックを克服するために財政は、債務残高はGDP比を大きく高まった(2.6倍)が、倒産や失業が急増する事態を回避させることができた。しかし、「ウクライナ情勢等を背景とした原材料価格の上昇や供給面での制約、金融資本市場の変動などの下振れリスクが存在している」。そのため、「感染症の影響がやわらぎ、持ち直しつつあるわが国経済を腰折れさせることがあってはならず」、「経済あっての財政」という考えのもとに、経済を成長させていく方針を主張している。歴史的教訓は、民主主義の経済である財政に委ねる「財政あっての経済」という考え方に転換することである。

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山田「債務大国日本の危機」最終、展望は?

2024-05-08 | 気になる本

6章 今後の展望

大企業の内部留保は毎年増え続け、22年度には511.4兆円に達した。投資家も稼ぎまくり、国内の株式配当金で毎年約30兆円、海外投資からも約20兆円の利子・配当金を受け取っている。純金融資産1億円以上持つ富裕層世帯は、364兆円の純金融資産を保有する。だが、全世帯の3割はそもそも金融資産をもっていない。実体経済を脆弱化させ、円安と株高を主導してきたアベノミクスと、それを継承する政権の経済運営の結末である。日本の最大の貿易相手国がアメリカから中国に交代したのに、対米従属外交に固執し、アジアの新時代に対応した展望を見失っている

アベノミクスが始まったのは2013年度であったが、アベノミクスの検証しておこう。

第一に、世界経済における日本経済の地位が低下した。

第二に、アベノミクスは株価や株式時価総額を倍増させ富裕層の資産を倍増させた。しかし3割の世帯が金融資産を保有していない。日本社会では資産格差を拡大した。消費税は5%から8%さらに10%へと2回も引き上げ、国民所得に対する税社会保障の負担率は39.8%から47.5%へ跳ね上げた

第三に、大資本の自由と利益を最優先する新自由主義のアベノミクスは、国内での設備投資や賃金の支払いを渋る企業経営のあり方を放置してきた。大企業は内部留保を1.5倍に増やし511兆円を溜め込んだ

第四に、累積した政府債務(国債発行残高)は日本を世界トップクラスの政府債務大国に転落させた。自国のGDPの2.5倍である。

物価高の背景は、第1に世界金融恐慌のリーマンショック、さらには新型コロナウイルスのパンデミックに直面した各国政府と中央銀行が採用した大規模な財政金融政策である。不況対策や生活支援のための大規模財政出動は必要な対策である。だが各国の中央銀行が世界経済の成長をはるかに上回る大規模の資金供給を生み出したため、実体経済に必要とされる通貨量を超えた過剰な通貨が流通し、通貨価値の下落と商品価格の全般的な上昇=インフレーションが発生したからである。第2の背景は、ロックダウンによるグローバルなサプライチェーンの切断で世界生産が低迷し供給源になったこと、ロシアウクライナ戦争が資源原材料の供給減をもたらしたことである。

円の暴落を加速したのはアベノミクスと現在に至る異次元金融緩和政策である。円暴落が直撃するのは自給率が低く、多くを輸入に依存する石油・天然ガスなどのエネルギー価格、鉱物資源や原材料価格、さまざまな食料価格である。

円安・物価高の連鎖を立切り、物価高から国民生活を守るには、異次元金融緩和政策から脱出し、異常な水準の金利格差と円高を回避しつつ、賃上げ、消費税減税、家計への補助などの政策展開が喫緊の課題になっている。

日本は輸出入ともドル建て決済の割合が異常に高い。公的な外貨準備となるとドルの割合はさらに高い。日本の外貨準備高は中国に次ぐ世界第2位の1.2兆ドルの約8割を閉めるのはアメリカ国債でありその他のドル焼きも含めると9割以上は米ドルで保有されている世界経済の中心はアジアの時代である日本の輸出入総額168兆円の53.1%はアジア経済圏に依存する中国韓国インドASEAN諸国をはじめとしたアジアの国々と平和的に共存共栄する道を選択する仕事でしか日本の経済成長と繁栄はできない時代が到来したといえる。

目先の利益でマネーを暴走させ、バブル経済の膨張と崩壊を繰り返すカジノ型金融独占資本主義は「1%の金融独占資本と株主と富裕層」のための経済である。1%のための経済から持続可能な「99%のための経済」に転換することである。第一に物の取引を伴わない投機的な金融取引には課税し、実体経済から乖離したマネーの暴走を抑え込むことである。第二に国や地域の経済活動の中で稼いだマネーの一定割合は、その国や地域の発展と安定のために再投資し循環させる仕組みを確立することである。第三に中央銀行の独立性を保証し時の政権や経済界の意向に屈服せず「物価安定」の大目標を実現することである。第四に21世紀の人類敵拠点に立ち国連総会で採択された持続可能な開発目標17の目標達成できる各種政策を充実させ実行させることである。

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アベノミクスの異次元金融緩和が日本財政の借金大国にし、利上げで円安を止められない。自給率の低い日本の物価はインフレに向かうであろう。裏金問題、武器爆買い問題、アメリカ従属で中国との対立強化、民主主義の崩壊など日本は危機的状態にある。新自由主義の日本経済、資本主義社会は限界で在り、大企業・富裕層だけが利益を得て、資産のないものと貧富の格差が拡大している。自民党政権は裏金、企業団体献金、政党助成金、官房機密費など金権腐敗政治である。武器の爆買いを止め、消費税減税、大企業など応分の課税、非正規の削減、日米安保廃棄、アジアの友好、9条による平和外交など進めなければ、日本の未来に希望が持てない。それには、市民と野党の共闘で政権交代しかないだろう。当面は円安・物価高を安定させられるか?食料自給率の向上、非正規の改善、少子化ストップを地域から要望を挙げることである。ふるさと納税、成果主義など競争社会から、ポスト資本主義は分かち合いの共生社会も望まれる。

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