豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

旧藤岡町温泉計画

2005-10-31 | 都市計画・まちづくり
 05年4月に藤岡町は豊田市に合併吸収されました。藤岡町は全国一住民の平均年齢が若く、財政力指数も1を超え自立できる条件はありました。新人議員を中心に合併に慎重な方も多くいました。自立計画と合併の比較検討案を住民示すことなく、住民投票もせずに決定したことは将来に禍根を残すことこととなるでしょう。
 当時の町長、議長は合併するなら、①藤岡第2中学校の建設、②飯野の開発、③温泉開発の3つの条件をだしていました。藤岡中学校の建設用地は住宅地から遠い、フェロシルトの公害問題があるなどの理由で検討委員会は反対を決めました。10年来の懸案事項をなぜ今頃という感じです。
 温泉地も石畳地区で旧小学校跡地です。写真はボーリングが終わったところです。県の緑化センター近くなら豊田市民も近く、道の駅としても農産物が販売できる都市と農村の交流の場となります。それに現在民間の藤岡温泉もあることから、公共性や活用度は低いと思われます。
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原発とまちづくり

2005-10-30 | 都市計画・まちづくり
 福井県では住民に原発情報を発信しています。運転されている原発がどれだけ安全かは、真実が隠されずにどれだけ公表されたかによると思います。それでも本心では不安が拭い去れないと思います。「技術」の安全神話は崩れているからです。神戸では道路の高架橋が倒れました。新潟では地震で新幹線が脱線しました。原発そのものも文殊など事故を起こしました。中越地震では柏崎の原発は余震では止まりました。新規に原発が設置されるなら、迷惑施設はいらないと思うのが普通ではないでしょうか。新潟県巻町では住民投票で建設の反対が過半数を占めました。絶対に安全なら東京の近くにでも建設できるし、「振興費」を払う必要はないはずです。風力や太陽熱など代替エネルギーも考え、長い時間軸で負荷や後年度負担とならない発想が求められます。
 写真は朝倉遺跡庭園
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都市計画審議会の充実

2005-10-30 | 都市計画・まちづくり
 都市計画学会中部支部での発表に関心があったテーマは2つです。一つは都市計画審議会の充実です。先に行なわれた国中心の都市計画決定の分権は不十分でしたが、わずかに前進したのは2点で、まちづくり条例の可能性と都市計画決定への住民参加の部分でした。今回の発表では中部の市町村にアンケートを実施し、都市計画審議会に研究者や住民の参加の割合がどうなったのか、分散分析と主成分分析でよく整理されていました。しかし、希望としては公募委員が参加して議論がどのようにされ、決定に反映したのかという実質的な内容に変化があったかどうかです。また、都市計画審議会と同時に、情報公開やワークショップ、パブリックコメント、さらには市民提案ができたかなどの事例があったかどうかです。また、住民参加の段階も案が固まる段階で参加がされたかが問題です。議会との関係では審議会に議員を入れないで、最終案では議会でも議論して決定すべきです。今後に注目したいです。
 写真は福井市の養浩館の庭園です。
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一乗谷朝倉氏遺跡

2005-10-30 | traveling, town walking
 都市計画学会の後、福井県の朝倉氏館の庭園の見学に向かいました。バスに乗ること30分、料金は650円です。車内には一日フリー券500円とありました。それなら上限500円にして欲しいものです。到着後帰りのバスを確認すると、2時間弱しかありませんでした。武家屋敷の復元レプリカはパスして庭園の岩組みに向かいました。本命の朝倉氏庭園は中々見つかりませんでした。写真は諏訪館跡庭園で、山から流れる水を取り入れ、滝石組となっています。できれば1日位かけて、帰りのバスを気にせずのんびり、城跡、屋敷跡など散策したいものです。
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市電のある福井市

2005-10-30 | traveling, town walking
福井市へ都市計画学会の研究発表会で、生まれて初めて10月27日に行きました。福井市は人口25万人の県都であり、市電があります。福井駅は北陸新幹線の建設を目指し、その先鞭として駅部工事を始めています。国の財政は破綻寸前なのに、地域の活性化のために急ぐべき工事か疑問です。確かに駅周辺を歩いていても盛岡市(人口29万人)ほど活気はありません。それでも豊田市(人口40万人)より都市の風格は数段上だと感じまました。私の風格基準は、市電、人の賑わい、歴史・文化遺産、食文化、大木、市場、歩道、みやげ物などです。
 2001年にトランジットモール(「歩行者街路」(公共交通と散歩道))の実験をし、肯定的な訪問者と否定的な商店主の意見が二分したと、「定常型都市への模索」(日本経済評論社、市川嘉一)に書かれています。
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旧松尾鉱山の廃墟

2005-10-18 | traveling, town walking
 八幡平山麓の美しい紅葉に隣接して、異様な光景が気になりました。それが11棟のアパートと学校であり、「雲上の楽園」とも言われた旧松尾鉱山の廃墟です。足尾銅山のことは知っていましたが、松尾鉱山のことは全く知りませんでした。松尾鉱山は1914年に操業され硫黄を産出しました。最盛期には1万5千人にもなりましたが、石油から採れる硫黄に押され1970年に閉山しました。しかし、その後強い酸性の汚水が川に流れ公害問題となり、これを中和する施設の建設が100億円で、運営費に年6億円使っているそうです。現在では全国で産廃などの不正埋め立てにより、事後処理が膨大になる事件がおきています。自然に働きかけ利益を得ようとする場合、慎重なアセスメント実施・公開し、監視を行なわないと、後になって大きな負担を税金で払うことになることが教訓でしょうか。また、産業政策もサスティナブルな視点が必要でしょう。
 写真はアパートの廃墟です。ネットでもマニアのいい写真が見られます。
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紅葉の八幡平(岩手県)

2005-10-17 | traveling, town walking
 東北旅行は3泊4日、電車で片道6時間でした。新花巻駅からはレンターカーで、1日目は宮沢賢治、2日目は平泉の中尊寺、昼は稲庭うどんへ、そして角館、3日目は雨で、田沢湖の辰子像を見て、十和田湖・奥入瀬を変更して八幡平のコースを取りました。紅葉はちょっと早かったですが、写真は10月10日(雨が降らない日なのに)八幡平のアスピーライン沿いで、廃墟の旧「松尾鉱山」の隣接です。
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イーハートーブ

2005-10-16 | traveling, town walking
 イーハートーブはエスペラント語で岩手県だそうです。東北旅行の初日は花巻で、レンターカーを借りて宮沢賢治記念館へまず行きました。記念館は環境・信仰・科学・芸術・農村・生い立ちの資料が総合的に展示されています。地質学の教師を30歳で依願退職し、貧しい農民と独居自炊生活をしました。37歳の若さで亡くなりました。「宮沢賢治の生きた時代明治29年~昭和8年は戦争が多く、地震や津波、凶作や不景気などで不幸に悲しむ人が多かった」(パンフレット)です。この他に賢治童話村を見ました。まちづくりとしてはイーハートーブ館など旨く配置されています。
 写真は童話村入り口
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角館

2005-10-16 | traveling, town walking
 10月上旬に生まれて初めて角館に行きました。みちのくの小京都と言われていますが、武家屋敷もさることながら町割が保全され、両サイドの大木が独特のすばらしい景観です。30年前に訪ねたハノイ(フランス占領でできた)の雰囲気を思い出します。よくこれだけの樹木が風雪に耐え、人々に良く守られて来たものだと感動しました。桜の名所でもあり、その時期に観光客が集中し、日帰りというのも地元の悩みのようです。午前中に平泉へ行き、昼に稲庭うどんの本店を訪ねたが、カーナビのセットを失敗して、角館到着が送れ2時間ほどしかおれませんでした。もう一度予備知識を入れてから、訪ねたい所です。
 写真は庭の大木が緑のトンネルを作り、「公園都市」という感じです。
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沖縄-21世紀への挑戦

2005-10-02 | 気になる本
宮本憲一、佐々木雅幸「沖縄-21世紀への挑戦」岩波書店、2000年
 「沖縄が日本復帰から四半世紀余が経過し今も、米軍基地が集中する沖縄の現状を放置できない」として、沖縄の問題を日本の問題として基地撤去、経済自立、真のサスティナブル・エリアをめざしての調査、研究、提言の書です。以外にもこの調査・研究はトヨタ財団の支援を受けています。1975年にアメリカの軍事占領下から日本に復帰しました。沖縄は復帰によって、憲法で保障された基本的人権や健康で文化的な最低限の生活の保障を期待しました。しかし、その現実は裏切られたものとなっています。1995年9月に米兵の少女奉公事件があり、反基地運動は高まりました。大田知事は段階的基地撤去を掲げ、普天間基地移転は県内移転が決まりました。移転先の名護市は住民投票で基地移転反対を決めました。国は補助金のばら撒きで反対する地区に「めいわく料」を払い懐柔しました。2003年には米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落しました。日本の警察や大学の関係者は現場に入ることができませんでした。この本は3つの視点でまとめています。第1に復帰後の沖縄の振興策の決算はどうか。第2にフリートレードゾーンなどの構想は成功したか、基地依存、公共投資依存の産業は自立できたのか。第3に「沖縄のこころ」を生かした開発の思想で、サスティナブル・エリアは建設できたのだろうか。
 モノレールの建設は一定の前進と評価できますが、高速道路建設で那覇市の渋滞は解消していません。米軍基地は全体の75%で40施設20,519hhaと、基地が沖縄経済や土地利用を阻害しています。
 写真は那覇市の都ホテルの裏庭にある蝶の家で撮った蝶です。
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