豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

ハバロフスクの歴史・文化

2016-09-24 | traveling, town walking

 

 

 アムール川近くの公園に4つの美術館、博物館が並んでいます。中世の宗教画には興味がなく、名前は確認出来ませんでしたが古代から現代の郷土博物館に入りました。古代人の自然との闘い、生活様式、信仰、文化など興味深いものでした。ソ連時代の宇宙開発、技術革新などの展示もありました。日本やアメリカもそうですが、技術革新や進歩が国民の暮らしの向上に繋がるとは限りません。国民の大衆運動、民主主義、地方自治、政治制度などが総合的に関係します。ロシアの政権はソ連・「共産党政権」が崩壊し、今はプーチン率いる政権与党が多数を占めています。(写真は博物館の展示品)今度はウラジオストクにも行ってみたいです。

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日本人墓地

2016-09-23 | traveling, town walking

 郊外の墓地に行きました。その規模は壮大なものでした。墓には故人の写真が貼ってありました。お供えの花は生花でなく、造花が風習のようです。宗教はクリスチャンが多いとのこと。後でわかりましたが、日本人墓地もあるようです。飛行機の往復で、元久間防衛大臣をみました。シベリア抑留の関係者の訪問団なのでしょうか。この問題も調べたい点です。(写真は教会の一つ)

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ハバロフスクの住宅

2016-09-22 | traveling, town walking

 交通と住宅立地は相互に連携すべきですが、この国の制度や政策の知識はありません。中高層の新築住宅はスケルトンの販売で、内装、設備は自分で行うようです。知人のアパートを見学しましたが、15階建ての14階(写真は周辺環境)で、1DKと狭く内、内装、設備も改修が必要です。学校は直ぐ近くにあり、小中高の一貫校で17歳卒業です。地震がないとはいえ、構造強度や保守管理が充分でないようです。エントランスは2重扉と鍵で関係者外の侵入を防いでいます。住宅は中高層建築が並び、日本と違って緑などオープンスペースは十分に確保されています。高さ規制や建蔽率、容積率などどうなっているのか、役所などでヒアリングしたいものです。政府の住宅政策、土地政策、所得、住民意識など文献も調べ、再訪したいと思います。

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ハバロフスクの交通

2016-09-21 | traveling, town walking

 ホテルからの移動は歩きが中心でした。市内交通はバスが中心です。どの区間も22RUBと安く、乗ると車掌さんが来て切符を買います。1ルーブルのレートは1.6円程ですが、日本の銀行で交換したため、手数料込みで2円程と高くなってしまいました。バス停の付近にはブースのキオスクがあります。日本のプラットホームにあるキオスクも、これが原点のようです。バスのほかは市電とトロリーバスが走っています。車は右側通行で、片側2~3車線でも交通量は多く混雑していました。

 

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ハバロフスクの食事

2016-09-21 | traveling, town walking

 レストランや店舗など通りからは看板も地味でわかりません。地元通の案内で大衆食堂という感じの所に入りました。昼休みは13時から14時で、13時に飛び込んだので空いていたが、人気の店らしく行列が出来ました。スープ、ピロシキ、野菜料理など一人400円程度で食べられました。また、別の店ではランチコースが550円程で食べられました。日本の感覚なら安いけれど、ロシアの所得から見てどうかはわかりません。夜は治安があまり良くないと聞いていたので、大通りでホテル近くの店で中華を食べました。英語が通じないので、メニューの写真を指差して注文できました。ビールも飲んで大皿2品で一人1000円程でした。店は流行っていて味は良く、特にわらび炒めが美味しかったです。アムール川近くのウズベキスタン料理は人気の店で、テークアウトしました。どれも美味しかったです。友人の家では家庭料理も味わいました。これまでのどの料理も口に会いました。最終日には記念パーティを、奮発してホテルのレストランでフランス料理を食べました。スパークリングワイン、鳥、魚料理をシェアし、デザートにコーヒも付け、値段はちょっと張りましたがとてもおいしかったです。どの店も我が家の御用達にしたい所ですが、ホテルでもらったロシア語の地図で行けるか不安です。(写真は市場、お値打ちでおいしそうな物が沢山)

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ハバロフスクの都市形成

2016-09-20 | traveling, town walking

 ハバロフスクは人口60万人弱です。冬は極寒で-30となり、夏は日中30にもなり、旅行者は夏中心です。9月滞在時は7℃~22℃で、小雨に降られた程度でした。ハバロフスクのガイドブックはほとんどなく、予備知識がまったくありません。今回は知り合いに会うため、のんびり滞在型です。帰国後調べた情報では、「Intour Khabarovsk」が歴史、文化など情報が詳しいです。

 ハバロフスクと言えばアムール川ですが、私的には都市の空間形成の成り立ちに興味があります。歴史的に現在の街区構成が、どのような経過でできたか文献など調査中です。革命後のシベリア出兵で、1918年から1920年日本軍がハバロフスクに派遣されています。2005年ロシア極東連邦管区の一つです。街区は碁盤の目のように綺麗に整備されています。街並みは広い街路と高い街路樹で構成されていて、建物の高さも5階、10階、15階と揃っていて、看板も無く美しい街です。大きな公園の配置と2本の緑地帯は散歩など快適です。歩道も広いですが、坂も多いし舗装も痛みが激しいです。ベビーカーは頑丈に作られています。公共交通はシベリア鉄道の駅がありますが、市内交通はバス、市電があり歩いて暮らせる街です。車も多いですが日本からの中古車が活躍しています。住宅政策の事情はわかりませんが、地震がなかったこともあり老朽化も著しいです。

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ハバロフスク滞在記

2016-09-20 | traveling, town walking

 9月13日より18日まで、ハバロフスクへ行きました。ロシアへは事前にビザが必要です。また、個人旅行のためロシアの旅行社に証明書を、有料で発行してもらう必要があります。飛行機は成田からで、9月の発着は日、火です。飛行時間は2時間半ほどで、時差は+1時間です。あっという間に着きましたが、入国審査と荷物受け取りに1時間ほどかかりました。ホテルはAMURで5泊3,000ルーブル、6万円弱です。部屋は綺麗でしたが風呂に湯を入れると、茶色でした。朝食はバイキングで美味しかったです。(写真はアムール川)

  *東北の復興セミナー②からは、このハバロフスク滞在記7回の後にします。

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東北復興セミナー①

2016-09-11 | traveling, town walking

 日本住宅会議(会長塩崎賢明)のサマーセミナーに参加した。セミナーの内容は盛りだくさんで、納得した点も多いが再検討すべき点も多かった。まずは石巻市長の話は、歓迎の挨拶だけでなく被害の状況と経過の報告を兼ねたものだった。東北大学の後藤光亀さんの話は、津波と土木の遺構についての内容で、地形、地質などの地勢を100年、1000年のスパンで読み解く重要性であった。これは地区防災でも防災カルテとして、住民に情報提供すべきである。ただ、資料の存在確認、公開、選択、分析など活かしきれるか問題である。豊田市役所でもGISを持ってるが、個人情報との関係で木造密集地域の図面をどこまで出せるかである。それをベースに街歩き、ワークショップで危険個所の点検をし、情報を書き加えるべきであろう。エリアの単位を自治区にするのか、中学校単位にするのか検討をようする。また、神戸市のように地区別防災計画が必要である。市単位の地域防災計画は市民にはなじめない。地区別の被害予測や仮設住宅の設置場所、戸数などの中学校単位のデータと具体的な危険個所の検討が必要である。今のハザードマップは大雑把すぎて危機感がない。防災訓練は炊き出し、非常食など救急訓練が多い。また防災講演会は関心が低く、町内役員などの割り当てによる動員もある。関心あるテーマで企画する工夫が必要である。企画提案を誰がするかが問題となる。専門性、継続性、地域精通などと連携ができる人材(NPO,NGO,公務員など)が必要である。

 熊本地震の現状について、NPOまち・コミの宮定章さんは兵庫県と石巻を拠点に活動され、熊本にも調査支援に入った現況報告である。擁壁と境界の問題、罹災証明の発行と相談会の同時開催支援など、住民に寄り添った話は興味深い。個人的には罹災証明と新潟で経験したことのある応急危険度判定士の判定を、統一できないものか検討すべきだと思う。「全壊及び大規模半壊」と半壊かの判定で、仮設入居や再建の助成が変わってくる。また、東南海地震へ向けてどのような準備をすべきか提起している。さらには「復興とは何か」を悩み、「事前復興」の考えを模索している。事前復興は減災にも通じるが、災害をイメージし災害予防をいかに普段から準備し、安全なまちづくり、コミュニティができるかである。地域会議委員の立場からも、公助のあり方を考える上で大変参考になった。(次は、東松島市長の話を報告する予定であるが未定である。午後には藤岡で産廃の公害相談を受けたので現場に行く。明日からハバロフスクへ行く予定。)

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亀戸、石巻へ

2016-09-08 | traveling, town walking

 

 93日(土)から6日までの日程で、東京と石巻へ行った。主な目的は石巻で行われる住宅会議の東北復興セミナーへの参加であった。仙台までは遠いので東京の息子の家に1泊させてもらった。運賃はジパングを使って豊橋から石巻までは、25千円程であった。例によって豊橋からはひかり10:47の指定を、近ツーで予約した。往復割引のため、東京駅で改札から途中下車した。ガラケーの携帯なので、地下鉄の路線図と新聞の切り抜きを片手に門前仲町駅を目指した。丸の内線の大手町駅で乗り換えであったが、ここは改札を出なければならなかった。通路を歩いていると、ビル街の中に「緑の森」(写真)に遭遇した。高層ビルに囲まれたオアシスである。深川めしを食べる予定であったが、地下の食堂街から人気の韓国料理でランチを食べた。

 門前仲町でコインロッカーを探したが見つからなかった。JR駅にはあるが地下鉄駅には無く、重い荷物を背負って歩くこととなった。鶴岡八幡宮のイチョウをみて、東京大空襲・戦災資料センターを目指したが、たどり着けなかった。迷いながら歩くのも悪くはないが、背中の荷が重く、しかも台風の影響で蒸し暑かった。橋には橋の名前はあっても川の名前がない。迷いながら親水公園(写真)に遭遇した。そこに居た管理人に道を尋ね、四ツ目通りから錦糸町駅を目指した。大都会ではオープンスペースの公園は、緑や交流の場であり、防災拠点でもある。

 迷いながらも錦糸町駅に着いた。この駅周辺は大変賑やかである。最後に、亀戸駅近くの亀戸事件犠牲者之碑を見ることにした。途中の公園(写真)ではスマホをいじっている人がやけに多かった。スカイツリースポットかポケモンGOなのか。迷いながらもやっとの思いで、目的地の碑にたどり着いた。

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