的場昭弘(2022)『「19世紀」でわかる世界史講義』日本実業出版社その①
資本主義は行き詰っている。著者はマルクス経済の立場で、歴史的、世界史的視点で語っている。なぜ、戦争が続くのか、文化や宗教、技術、貿易、民族、国家など19世紀から読み解いていて、興味深い。以下、気になった箇所のメモ書きである。
(1部18世紀1~4章)
ピケティは「21世紀の資本」の中で、第1次大戦のあとで、貴族階級が没落し、産業ブルジョアと言う新しい階級が名実ともに実権を握ったと述べている。
啓蒙主義は正しかったのか。科学によって、19世紀西欧は世界のリーダーになった。しかし、科学的合理性と民主主義の世界を実現したが、大戦争を引き起こし、ナチによるユダヤ人の大虐殺を行った。自国の文化や文明を捨てて、西欧の文明を受け入れてきた、ロシアと日本であった。(夏目漱石)
中国は、19世紀のアヘン戦争以来、西洋に対する抵抗はすさまじかった。(竹内好『日本とアジア』)(福沢諭吉、脱亜入欧)資本主義社会が、世界史を形成していく。大航海時代が世界史をつくった。16世紀には、もう一つの大事件、ルターの宗教改革が起きた。領主を中心とした教区がローマ教会から独立し、領主は地域の境界を下に置き、トップに座る。
モンゴル帝国、オスマン・トルコ、オーストリアのハプスブルグ帝国、プロイセン帝国。
国民国家が外部を支配すると、帝国のような緩やかな支配ではなく、差別的な植民地支配にならざるを得ない。西欧国民国家が、アジア・アフリカに悲惨な世界をもたらした。
近代国民国家は、1848年のウエストファリア条約から始まる。30年戦争の帰結がこの条約である。神聖ローマと言われていたカトリック地域が分解し、それぞれプロテスタント地域が新しい宗教とともに国民国家として独立する。オランダはスペインと闘って独立する。
アジアの衰退について、良知力が「向こう岸からの世界史」(1978)という面白い本。
アジアの長期的な文化。シュペングラー『西洋の没落』第1巻、森安孝夫『興亡の世界史』「シルクロードと唐帝国」講談社。
十字軍は、中東に行って、さまざまな文献や技術を輸入し、多数の優れた学者を連れて帰った。ナポレオンに勝ったロシアが、フランスから学問を輸入したのと似ている。
スミス以前の重商主義では、基本的に国家が中心となって経済を引っ張り、独占貿易の担い手になっていた。そこには輸入の発展によりも国家の発展があった。そてに対して、自由貿易こそが重要であり、個々人の自由が重要だと考えたのがスミスであった。独占貿易を行っていたオランダ、イギリス、フランス各国の東インド会社がアジアでやっていたのは。国家的独占企業による収奪だった。
西欧の資本主義を決定的に変えたのが、18世紀半ばの産業革命である。なぜヨーロッパにしか産業革命は生まれなかったのか。アジアにも産業はあったし、火薬も銃も生産していた。西欧のような技術革新が起こらなかったのか?資本主義には2つある。儲けたら、儲けた分を使い豊かな生活を送る。も一つが本来の、儲けた分を投資する禁欲的な資本主義。
ロシア帝国は、ソビエトという「社会主義的帝国」に移った。
1789年フランス革命が起きると、オランダはフランスに併合される。オランダを支配したのはナポレオンの兄弟だった。オランダは今のインドネシアのバタビア地域を植民地とし、日本と貿易をしていたが、ここもフランス領となり、そこへイギリスが進入する。イギリスは武器をもって威力をしめした。ロシアも日本に出現。1853年ペリーの黒船がきて、オランダの地位は衰退し、米英仏に地位を奪われた。
十字軍は何を攻撃したのか。なぜ十字軍を派遣したのか。宗教改革でどうしてそんなに大きなゴシック建築の教会を建てたのか、疑問が残る。
リストはスミスの国富論を読み、ドイツにはこの理論は適用しないとして、保護主義をとった。ポルトガルは自由主義の論理に敗北し、イギリスの支配下にはいった。
ルネサンスは、基本的にはイスラム教の文明によって大きな影響を受けた。イスラム教の力の根源は、宗教などによる差別がなかった。
巨大なゴシック建築の教会が出来たのは、十字軍の時代からで、教会の権威を誇示するかのようであった。高く積み上げ倒壊し衰退する。微細な装飾にこだわる様式に、16世紀から素朴なバロック様式が出現する。宗教改革の発端は、カトリック教会がゴシック教会をたくさん建築したので、資金不足に陥り、資金集めに免罪符を売るようになった。協会が金儲けに走ったことを批判した。1648年ウエストファリア条約で、国民国家、近代主権国家ができた。主権がキリスト教の教皇でなく、国王に権力が移譲した。
オランダのアムステルダムに、プロテスタントは足を踏み入れない博物館がある。今や偏狭なお愛国主義は認められない。オランダも多民族、多宗教国家になった。いやEU全体がそうなっている。近代国民国家がもたらしたのは、戦争に次ぐ戦争だった。それを避けるために、帝国のようなEUを構想するしかなかった。
帝国とは、その支配下にさまざまな民族、多言語、あらゆる宗教を包摂していく仕組み。そのゆるやかな支配形態の中で、さまざまアイデンティティを人々が、相対的に自由に、違和感なく暮らせる。
オスマン・トルコの衰退と西欧地域の力の増大によって、東欧諸地域は帝国の中に潜んでいる必要がなくなった。その端緒を作ったのがナポレオンである。
ロシアを改革したのは、ピョートル大帝である。それまでのビザンチン文化を、カトリック的ヨーロッパ文化に転換させた。西洋にとっては英雄である。
最初に登場した国民国家はスペインかもしれない。スペインは、中南米に埋蔵する金や銀を、黒人奴隷を使って採掘し、ヨーロッパに持ち込み資本蓄積し、フランスやイギリスもスペインと貿易することによって、それを手に入れた。これを重商主義の時代と言う。フランスは農業を中心とする重商主義の国であった。だから、イギリスのような産業革命は出来なかった。オランダとは別の形であった。この3つの国は海洋を使って近代国家をつくったという点では同じであった。