9月20日朝8時半発で石垣から1時間、片道3000円かけて訪れました。サトウキビと南十字星の見える島です。自転車で日本の最南端の海岸に行きました。しかし、幻の泡盛は買い損ないました。写真は綺麗な海面の港です。
遅い夏休みに沖縄へ出かけました。目的の一つは沖縄の離島の文化に触れることです。第2は日本の平和と戦争の最前線、辺野古を自分の目で見て感じることでした。
普天間基地の縮小を名目に米軍基地の再編強化による新設です。辺野古の滑走路予定地には隣接して米軍のキャンプ・シュワブがあります。地元の「おじいとおばあ」を先頭にした反対運動がありますが、地元漁業関係者は懐柔工作もあり必ずしも反対していません。粘り強い地元の反対と防衛施設庁の建設強行に北部の漁業者の支援があり、ボーリング調査も中断していました。サンゴ礁の環境破壊、騒音、ヘリ墜落などの危険性と開発利権など地元調整で難航しています。現在、シュワブ沿岸の縮小案と嘉手納統合案がでていますが、地元はどの案にも反対で基地のたらい回しに怒っています。
現地で聞いた説明で印象に残ったことは、第1に地元の漁業者は反対できなかったが、「海は生命の源」だから海人は海を守れと北部の漁師が支援し、支援の輪が広がったことです。第2に沖縄の人は「本土復帰」したが憲法は守られず、沖縄戦後またもや裏切られた感じとのことでした。第3に沖縄がベトナム戦に続いてイラク戦でも出撃基地となり、戦争を止められずせめても基地建設は、体を張ってここでは認められないという思いのようでした。翌日沖縄県平和祈念資料館での証言記録を読むと、その思いが伝わってきました。現地へ行ったのは資料や新聞情報だけでなく、現場からの発想をしたかったからです。沖縄の平和の闘いは日本の問題であり、アジアと世界の平和につながります。引き続き沖縄に思いを寄せ、平和、環境、地域経済のあり方に関心を払わなくてはと考えました。
写真は左がキャンプ・シュワブで沖が飛行場建設予定地
経過
96年4月 普天間飛行場の返還で日米合意
11月 代替施設を海上施設とすることで日米合意
99年12月 辺野古移設を閣議決定
02年2月 辺野古沖2500mの基本計画決定
04年8月 ヘリ墜落 沖縄国際大学 警察、学長の権限なし
04年9月 ボーリング強行
2005年9月22日現地 見張りテント、カヌーでも監視
05年9月25日(毎日新聞など) 「シュワブ」沿岸縮小案1500m、嘉手納統合案
普天間基地の縮小を名目に米軍基地の再編強化による新設です。辺野古の滑走路予定地には隣接して米軍のキャンプ・シュワブがあります。地元の「おじいとおばあ」を先頭にした反対運動がありますが、地元漁業関係者は懐柔工作もあり必ずしも反対していません。粘り強い地元の反対と防衛施設庁の建設強行に北部の漁業者の支援があり、ボーリング調査も中断していました。サンゴ礁の環境破壊、騒音、ヘリ墜落などの危険性と開発利権など地元調整で難航しています。現在、シュワブ沿岸の縮小案と嘉手納統合案がでていますが、地元はどの案にも反対で基地のたらい回しに怒っています。
現地で聞いた説明で印象に残ったことは、第1に地元の漁業者は反対できなかったが、「海は生命の源」だから海人は海を守れと北部の漁師が支援し、支援の輪が広がったことです。第2に沖縄の人は「本土復帰」したが憲法は守られず、沖縄戦後またもや裏切られた感じとのことでした。第3に沖縄がベトナム戦に続いてイラク戦でも出撃基地となり、戦争を止められずせめても基地建設は、体を張ってここでは認められないという思いのようでした。翌日沖縄県平和祈念資料館での証言記録を読むと、その思いが伝わってきました。現地へ行ったのは資料や新聞情報だけでなく、現場からの発想をしたかったからです。沖縄の平和の闘いは日本の問題であり、アジアと世界の平和につながります。引き続き沖縄に思いを寄せ、平和、環境、地域経済のあり方に関心を払わなくてはと考えました。
写真は左がキャンプ・シュワブで沖が飛行場建設予定地
経過
96年4月 普天間飛行場の返還で日米合意
11月 代替施設を海上施設とすることで日米合意
99年12月 辺野古移設を閣議決定
02年2月 辺野古沖2500mの基本計画決定
04年8月 ヘリ墜落 沖縄国際大学 警察、学長の権限なし
04年9月 ボーリング強行
2005年9月22日現地 見張りテント、カヌーでも監視
05年9月25日(毎日新聞など) 「シュワブ」沿岸縮小案1500m、嘉手納統合案
西山卯三「まちづくりの構想」都市文化社、1990年
この本はバブル期の建築(開発)が街壊しをしていた頃に書かれた本です。土地問題、住宅論、環境・アセス、住民参加論、都市計画論など現在議論されている事柄が、多角的な切り口で論評されています。根底には生活空間を住民主体でどう創るか、住民のための空間計画論でもあります。筆者は京都駅の景観批判など、今話題になっている景観論を既に提起していました。その流れが京都の「まちづくり憲章」に受け継がれていると思われます。
都市計画分野での「まちづくり」について、「『まち』という住民の『生活の器』『生活手段』、物的『生活空間』をつくることである」と定義しています。そして、「人間の生活の場である『生活空間』は、ハチが本能的に巣をつくるのとはちがって、人間の未来を予見する能力にもとづいて計画的につくられている」。土地問題では「土地利用の計画化をめざす構想計画づくりが、現実に抵抗に出会う肥大化した土地私有権との関連をいかに克服するかという問題」を論じています。
この姉妹本として「歴史的景観とまちづくり」があります。私も数年前に訪問したことのある西山記念文庫は、木津町の積水ハウス総合住宅研究所内にあります。
写真の蝶は図鑑から多分ツマグロヒョウモン
この本はバブル期の建築(開発)が街壊しをしていた頃に書かれた本です。土地問題、住宅論、環境・アセス、住民参加論、都市計画論など現在議論されている事柄が、多角的な切り口で論評されています。根底には生活空間を住民主体でどう創るか、住民のための空間計画論でもあります。筆者は京都駅の景観批判など、今話題になっている景観論を既に提起していました。その流れが京都の「まちづくり憲章」に受け継がれていると思われます。
都市計画分野での「まちづくり」について、「『まち』という住民の『生活の器』『生活手段』、物的『生活空間』をつくることである」と定義しています。そして、「人間の生活の場である『生活空間』は、ハチが本能的に巣をつくるのとはちがって、人間の未来を予見する能力にもとづいて計画的につくられている」。土地問題では「土地利用の計画化をめざす構想計画づくりが、現実に抵抗に出会う肥大化した土地私有権との関連をいかに克服するかという問題」を論じています。
この姉妹本として「歴史的景観とまちづくり」があります。私も数年前に訪問したことのある西山記念文庫は、木津町の積水ハウス総合住宅研究所内にあります。
写真の蝶は図鑑から多分ツマグロヒョウモン