豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

松本清張「徳川家康」の功罪は?

2023-10-28 | 気になる本

松本清張(1982)『徳川家康』講談社

 現在放映中の時代劇、家康の伝記である。初めは近くの知名や本多姓が出てきて見ていたが、時代考証に違和感を覚え最近は見ていない。偶然、松本清張のこの本を検索して、図書館で借りた。清張の時代背景は良く調べてある。40年前に書かれているが面白く、一気に読んだ。今の東京も家康が原点であった。信長、秀吉は個人の支配であったが、家康は長い人質時代から苦労を重ね、人生訓や学問から組織体制を整備し天下統一を維持した。以下、気になる箇所のメモ書きである。(  )書きは私のコメント。

 強い人間は苦労しても、じっと辛抱して耐える。どんなに苦しい時でも、歯を食いしばって勇気を失わない。

 百姓が困ることは、武士階級も困ってくる。なぜなら、刀や槍で威張っても、武士は何も作らない。米や野菜をつくるのは百姓である。(ものづくりは車だけでなく、米や野菜も含まれる。が、豊田市の「ものづくり」は、車だけに感じる。)

 秀吉が家康を関東に追いやったのは、褒美もあるが、庶民が家康を慕っていた。それを嫌って、未開拓の関東地方へ追いやった。後の江戸城や江戸にしたのは、家康の力である。

 連れ小便のはじまり・・・「関八州古戦禄」に書いてある。

 家康は正信に「第2に、自分の部下の者を使うのに、ひいきや不公平があってはならぬこと」。

 秀吉の生活は派手であった。大がかりな茶の湯の会をしたり、目を驚かすような花見の宴をしたり、日頃の暮らしも華美であった。家康の生活は質素であった。家康の処世の哲学は質素倹約だ。それと「いつも足ることを知っている」。

 1592年に、明と戦うために、朝鮮に兵を出した。誰一人として止めるものがいなかった。家康は、秀吉の時に闘った朝鮮とも仲直りをし、明とも交わりたいと望んだ。進んで外国と交易しようと望んだが、キリスト教の布教を恐れ、平戸と長崎を開港場として、鎖国した。

 家康の心の中では、信長の命令で殺した、我が子信康のことが思い出された。

 家康の功罪は議論がある。鎖国は残念であるが、戦国の世を鎮め300年太平の基を築いたのは功罪である。それと江戸のまちを切り開いた。

 偉人とは出世することばかりが偉人ではない、平凡ななんでもないことに気をつけて、りっぱにこの世に処していくのが、偉人であろう。

 このような視点を持って、「どうする家康」を又観ることにした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「平成都市計画史」その③

2023-10-26 | 気になる本

6章 規制緩和

5つの規制緩和 ①地下室の容積率算定の緩和、②共同住宅の共用部分の容積率参入の緩和、③指定確認検査機関の導入、④用途地域における容積率の選択肢の拡充、➄天空率の参入。バブル経済の崩壊後に、不動産市場へのカンフル剤として機能した。近隣住民との紛争になることもあった。自治体によっては調停など紛争予防の法など作る所もあったが、プロトコルは存在しなかった。(相互理解がなかったのか、意味不明である。規制緩和それ以前に、絶対高さから容積率に、用途地域の多様化など規制緩和がある。地方分権、都市計画の分権が叫ばれたが、市場の要望に押され政治的には規制緩和が止まらず、住民参加の都市計画は進んでいない。)

図の規制緩和に、特定街区、総合設計制度、高度利用地区、地区計画があり、バブル期では規制緩和が前面に出た。都市再生特別措置法が作られた。当初は10年間で時期と場所が限られていたが、特区として影響を広げていった。都市計画法とは別建ての都市計画と考えられる。タワーマンションだけでなく、平成期にはこれら収益をあげやすい商品で都市が成長し、市場の制度はそれを速くたくさんつくれるように発達した。(規制緩和で、)市町村に法を渡していく地方分権が行われていたので、市町村の法と市場の制度の間でプロトルコを介し、多様な制度が成長できなかった

7章 住宅の都市計画

住宅政策の3本柱に、公営住宅、公団住宅、住宅金融公庫(戸建て持ち家)があり、量の拡大と質の向上を目指した。シェアハウスは居住水準を満たしていないし、寝食分離もないが、個人の主観による。人口構成の変化で、サ高住、有料老人ホームの増加、タワーマンションか小さくても戸建てか、新しい住宅でギャップを調整した。

8章 景観の都市計画

国立のマンション建設で、「景観の利益」が争われた。この開発は法を守らなかったわけではなかった。制度が法よりも優位であることが明文化された。

景観法、景観条例に基づき、景観地区やルールが作られたが、リーダーが継続されていない。

9章 災害の都市計画

ストック再生という言葉が使われるようになったのは、平成12年頃である。平成期は環境という言葉が覆いかぶさった。再生と環境は相性がいい。阪神淡路大震災で行われたのは、土地区画整理事業と市街地再開発事業であった。災害前の神戸市はまちづくり協議会を中心にした地区まちづくりがあった。S50年代に始まった木造住宅密集市街地の都市計画は修復型まちづくりであった。東日本大震災は地震よりも津波の被害が大きかった。さらに原発の被害もある。大堤防をつくり、建築禁止区域を設定し、集団移転をした。

10章 土地利用の都市計画

土地利用は自然(山林、河川)、市街地(住宅、工場、店舗)、農地と区分けされる。市街地は用途地域で建築の用途がコントロールされる。まちづくり3法で、中心市街地のシャッター通り解消を目指し中心市街地活性化法ができ、大型店と小売店とのせめぎあいを調整する三法ができた。空想化に歯止めがかからず、2006年規制が強化された。

2000年都市計画法改正で、①線引きの選択制、②開発許可の弾力性、③準都市計画区域の設定、④特別用途制限地域の創設がされた。線引きを廃止した香川県、新たに指定した鶴岡市がある。

 まちづくり三法が効果を発揮できず、大店立地法は改正されず、都市計画法の改正がされた。①用途地域を改正し大型店の規制をした。②調整区域の例外的に開発許可不要の公共施設について、例外を廃止した。安価な土地を求めて調整区域に作られてきた。③都道府県が大型店を調整できる仕組み。

 総務省はH16年「中心市街地の活性化に関する関する行政評価・監視結果に基づく勧告」、国交省は新しい時代の都市計画、人口減少社会を諮問。中心市街地の活性化が、小規模店の保護や育成といった問題だけでなく、人口減少に向けた、都市構造の再編として捉え直した。「集約型都市構造」は都市機能の集約を促進する拠点として、公共交通ネットワークで連携させる。コンパクト+ネットワークが使われだした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

饗庭「平成都市計画史」その②

2023-10-22 | 気になる本

3章 民主化の4つの仕掛け 4章 都市計画の地方分権 5章 コミュニティ

 規制緩和は政府にとって、公共投資をすることなく市場の制度を復活することができる魔法の杖のようなものである。バブル期を通じて都市計画の規制緩和という切り札は温存されていた。タテ方向にもヨコ方向にも、規制緩和が温存されていく。

 いたずらに法が増えて規制緩和が行われず、バブル経済期の失敗で疲弊した市場の制度の復活を妨げるおそれがある。一方の手で規制緩和を、もう一方で地方分権の蛇口をひねり、両者を混ぜ合わせなくてはいけなかった。その時に使われるのが、「特区」と「コミュニティ」である。2002年、都市再生特別地区が創設された。特区の目的として「地域活性化」があげられている。特区とコミュニティは時間と場所を限った地方分権の実験である。

 ワークショップで有名なのが、世田谷区の猫じゃらし公園である。(ワークショップは住民参加の手法として広まったが、最終整備事業の決定は行政が行うことがあり、参加者と行政のずれが生ずる場合がある。)自治基本条例が進み、市民と行政の協働が市政運営の中心に位置づけられた。(まちづくりの目的、課題が様々である)2003年指定管理者制度が始まった。豪華な公園(広場)、使いやすい道路をつくったところで、一つひとつの商店が魅力的にならなければ、中心市街地は再生されていかない。TMOのほとんどが商工会議所であった。TMOは2006年法的位置づけを失った。かわってまちづくり会社や中心市街地整備推進機構と呼ばれる組織である。(豊田市の自治基本条例は理念的なもので、都市計画まちづくりは含まれていない。地域自治区の役員はほとんど自治区役員が占める。地域の道路、公園、交通など要望は自治区を通さないと市は受け付けない。)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

饗庭「平成都市計画史」その①

2023-10-21 | 都市計画・まちづくり

饗庭伸(あいば2021)『平成都市計画史』花伝社 その①

 「近代都市計画の百年」(石田頼房)の歴史はあったが、その後の流れ30年史である。労働者の賃金が上がらず、公的住宅は縮小し、高層建築が乱立して居住レベルの水準と住環境は良くなっていないと思う。私としては都市計画、建築、まちづくりに関わった時期と重なり、長いスパンでの視点は興味深い。規制緩和で都市市民の生活悪化には危惧している。参考文献には読んだ著者が多い。小林重敬、渡邊俊一、五十嵐慶喜、大谷幸夫、内海麻利、野口和雄、小泉秀樹、広原盛明、塩崎賢明、住田昌二、西山卯三、平山洋介、西村幸夫、卜部直也、野澤千絵、本間義人、宮本憲一、建築学会、都市計画学会などである。都市計画は総合計画であり分野が広く、総合性(社会学、経済学、財政学、政治学、地方自治)と専門性の両方が求められ、焦点が絞りにくい。私の関心テーマは、2000年頃の「都市計画の分権」、都市計画マスタープラン、都市・建築法、線引きと立地適正化、2項道路と地区まちづくり、高層マンションと空間地域計画である。今は、豊田市駅前開発の検証と既存ストックの活用で山之手公園改修に関心がある。以下、気になった箇所のメモ書きで、(   )内は私のコメントである。

 都市の大半を作り上げたのは、建築基準法の容積率、都市計画法の用途など、画一的で杓子定規な、しかし緩くて大雑把な規制であった。(建築確認が民間で出来るようになった。緩和より許可にすべき考えに賛成である。集団規定は別の法にすべきである。地区の計画なきところに開発なしの法制度が欲しい)。ヨーロッパと違い我が国には城壁がないが、線引き制度がある。縦方向への拡大の呪いが「容積率」という規制である。それ以前は、絶対高さがあった。

 「住宅双六」でゴールは庭付き郊外戸建て住宅であった。高層分譲マンション、広い床面積、間取りの多様化など変化がある。(郊外団地の老朽化、庭がほとんどなく家30坪ほど駐車2台である。公営住宅は縮小し民間住宅に家賃補助がない)中曽根内閣は容積率緩和を指示した。第一種住居地域の変更、市外化調整区域における宅地開発の規制緩和が進められた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市長選は市民目線で政策論争を

2023-10-15 | 市民生活・企業都市

 10月13日の新三河タイムスによれば、来年2月の市長選は現職太田市長と自民系市議の推す木本議長の保守「ガチンコ勝負」とある。慣例として歴代市長はこれまで3期が通例であった。現職市長は市長選を意識してか、18歳までの通院医療費を無料化することを決めた。一部施設を高齢者無料にした。また、トヨタを意識してかラリーを全面展開している。総合計画見直しに当たって、現職市長は区長が多い地域会議へ、諮問と言う形で懇談を進めてきた。

 衆議院11区は会社からの圧力か、現職古本氏が労組の推薦が無く立候補を断念した。惜敗率で当選していた自民党八木議員も小選挙区で当選し、今回環境副大臣になった。自民系市議会議員は合併により28人と多数であり、トヨタ系は市議選で1人減らし9人、公明4が与党で、以前自民とトヨタ系は同一会派であった。野党系「あたらしい風とよた」3(内令和1)、共産1である。野党と見るには、市長選の政策と候補者への態度、それと予算案への態度で決まる。

 ガチンコか第3者か、候補者もさることながら、市民目線で政策(少子化・子育て支援、保健・医療、環境と産業など)を公開して論争して欲しい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする