かっては大企業が成長し、地域経済や都市に影響を与えてきた。しかし、製造業の海外移転による空洞化で、釜石、門真など「企業城下町」は豊田市を除いて全滅である。ただし、豊田市は1大企業のトヨタの名前を市に冠している。個人的には「企業都市」と言うべきと思う。それに、日立市はひたちという地名に、企業が名乗っている違いがある。そこで、日立市に興味があり途中下車することにした。
日立市は海(写真)と山に挟まれ、鉄道駅を中心に市街地がコンパクトに形成されている。バスで市役所に移動。
昨年完成した市庁舎は機能的であるが概観は単調的である。現在、市役所の前の敷地に交流広場を建設中であった。
H27年工業統計調査で、人口は181,089人、事業所数は367、従業者数は25,178人、製造品出荷額は12,373億円である。日立北部工業団地の分譲価格は坪57千円程と安い。豊田市と同じく空き家対策を行っている。H30年度予算は756億円で、歳入の内法人市民税は21億円で個人市民税99億円の1/5と、豊田市の割合よりかなり少ない。歳出は民生費が258億円(34%)、土木費が116億円(15%)と、豊田市の民生費の割合31%は同じであるが土木費は19%と高い。
バス路線はかなり充実している。写真は市役所から駅まで帰路のバス停で、メイン道路の景観は樹木で覆われている。漁港もあり市街地の都市機能は整備され、特定企業が突出している印象は感じられず、住みやすそうな街に思える。
猛暑が続きます。東京、福島の視察旅行も暑くてなかなかアップできませんでした。同じころにあった広島、岡山など集中豪雨の被災者にはお見舞い申し上げます。また、豊田市では梅坪小学校の1年生が、熱中症で亡くなるという痛ましい事故がありました。市駅前再開発に膨大な予算を使うより、子どもたちの教育環境(クーラー)に早くお金を使っていればと思うと残念です。福島を訪ねて原発被害の悲惨さ、復興・再生の困難さが感じられ、再稼働はあり得ないと感じました。あの小泉さんでさえも、遅ればせながら原発0を訴えています。
いわき市に戻り久乃浜町のコミュニティ商店街「浜風きらら」で、土産を買おうとしました。NAVIが古いので迷いました。やっと着いたと思ったら、午後4時は閉店中でした。近くの堤防まで行きました。海岸からの浜風が涼しく感じます。津波が堤防を乗り越えたのが想像できました。途中道の駅で土産を買って、レンタカー返却をしました。走行距離160Kmでした。夜はホテル近くの「スタンッア」でローマの休日の映像をバックに、イタリアンを美味しく食べました。
南相馬市の小高地区は、先回訪れた時には帰還困難区域であったが、今年一部が解除された。ここに来たかったのは、小高駅と作家の柳さんが本屋フルハウスを、外から見たかったからだ。フルハウスは月曜日休みと知っていた。以前見た死んだような小高の町はどうなったか?新聞屋さんが止まったままになっていたが、体力やスケジュールからゆっくりいわきに帰ることにした。
帰りがけ請戸港(浪江町)の看板が目に入ったので、寄り道をすることにした。仮設の足場から見学でき、写真を撮った。港の復興はまだ続いている。漁師としての生業はどうだろうか。堤防をかさ上げし、高台移転して旨く行くのだろうか。外観だけではわからない。宮定さんのFBを注視してみよう。岩手、宮城と違って、特に放射能の「アンダーコントロール」は、経産省資源エネルギー庁発行パンフ「廃炉の大切な話2018」を見ても、信頼性が見通せない。
さらに請戸で被災した小学校の名前を思い出した。naviを頼りに辿り着き、写真に収めた。以前来た時は許可を取り内部を見学できた。この学校では全員高台に避難し、生徒は無事だった。こここは震災メモリーで残す、とどこかで聞いた。霧で見えないが、第1原発はここから近い。
富岡町にある東電のエネルギー館のパネルを観た。凍土壁の様子や汚染水タンクの状況を案内者に聞いてもわからないという、応えられないからそういうしか無いのかもしれない。汚染水の海への流出はどうか、安倍総理はアンダーコントロールされていると言ってオリンピックを誘致したが、本当に大丈夫だろうか。
浪江町の途中、第1原発が双葉町にある。富岡から浪江までは電車が開通していないので車しか通れない。先回仙台から来た時は通れなかった。霧が出ていたので車から原発は見えないし、進入禁止なので接近もできない。帰ってから原発視察は山田レポートでも読み直そう。
浪江町の役場に着いたのは昼前である。まずは駐車して食堂を探そうと思っていると、敷地内に仮設店舗があった。海鮮丼1300円はおいしかった。役場の玄関ロビーには先日亡くなられた町長の記帳場があった。時間もあり、次は小高駅を目指す。
役場へ資料を貰おうと立ち寄った。まずロビーの置いてあったのが、写真の「第2原発全基廃炉へ」6月14日付け新聞である。うろうろしていると職員が声をかけてくれた。帰還困難区域の資料を探しているというと、担当課から集めて説明してくれた。H29.12の富岡町「帰還困難区域再生構想」によれば、帰還意向で全体の57%戻らないと決めている、判断つかないが25%、帰りたいが16%である。年齢別では20代の帰りたいは0%である。区域別では避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域と悪くなる。帰還困難区域は8.5K㎡/68.5で約12%、世帯・人口の割合は約30%である。帰還補助に世帯10万円程度の補助があり、労基署やハローワーク再開のチラシもあるが、仕事の外に学校、買い物、病院、コミュニティなど生活ができるだろうか。東電の被害の補償や自治体への財政支援もどうなるか、帰還困難区域の再生も容易ではなさそうだ。
玄関には現在の放射線量が示してあった。
役場の近くには、写真の廃炉国際共同センターがあった。
翌日ホテル近くのレンタカーへは、予約より早めに行った。ところが予約が入ってないと言われた。運よく平日のためコンパクトカーが空いていた。幸い直前に山田先生が回ったレポートを参考に出発。以前は仙台から南下し、相馬市小高地区まで来て、通行禁止であったが、今回はいわきからの北上である。まずは広野町の火力発電所とその近くの「J-ヴィレッジ」、ここが原発事故対応の前線基地になったそうだ。
次に楢葉町を通過し、第2原発近くの富岡駅に行く。ここは最近100m程北に新築されていた。いわきからはここまでの運行で、北へはバスの代行運転(写真)である。
駅にある線量計は0.068SV(写真)。売店の人に聞くと北への開通は2年後の予定とか。
駅より海側にある町の仮設焼却場を見ると、黒い「トン袋」(写真)が山のように積み上げられていた。「除染」されたものは「中間」も「最終」も行き場が決まっていない。
次に、駅からの津波避難先が30分の富岡役場とあったので役場に向かう。その前に、双葉町の夜ノ森の桜並木に行く。ここをテレビで見た時は、「原子力明るい未来のエネルギー」標語アーチは見当たらなかった。
周辺は帰還困難区域で住宅地も雑草が生えていた。そして富岡町役場に向かう。