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これからの日本、これからの教育

2018-04-10 | 気になる本

前川喜平・寺脇研(2017)『これからの日本、これからの教育』ちくま新書

 前川さんは渦中の人である。加計学園問題で「あったものを、なかったことにはできない」と国会で証言した、勇気ある人である。だからこそ、名古屋の中学校で講師と招かれたものを、自民党議員が文科省に不当介入した事件も起きた。教育関係者として嘘をつかない、誠実な態度は当然かもしれないが、大きな組織ではなかなかそれもできない。二人の対談形式でわかり易く書かれているが、教育以外の公務員にとっても含蓄のある公務員像が、意識の在る者には読み取れる。総理や財務大臣も、逆に学んで欲しいができなければ、退陣してもらうしかない。以下、本からの抜き書きである。

 加計学園につて、「総理のご意向」、「行政がゆがめられた」となぜ証言したか。それは組織を離れ自由になったからである。加計学園の問題では、国家権力の私物化が起きていた。一昔前まで、ここまでひどくはなかった。権力の集中によって、驕りが生じているのだろう。教育は営利事業でない。市場競争(民営化すれば)に任せればうまくいくという「規制緩和」論者は、一人ひとりの学ぶ権利を保障し、教育の質が劣化しないようにするという視点がない。(豊田市でも保育園の民間移管、図書館の指定管理者の民間化も同様に思う)。公教育を侵食する儲け主義。定員を160人にするのは儲かるからでしょう。京産大も新設を提案していた。農業高校のカリキュラムを変えて、農業高校は復活した。

 小渕総理は、教育改革について幅広く議論を深めるために、教育改革国民会議という私的諮問会議を作った。今の総理みたいに、自分のやりたい改革のために「お友達」を集めて教育再生会議だの作るのとは違う。三位一体改革の時、義務教育費国庫負担制度の存続が議論され、前川さんは廃止に反対する論陣を張っていた。片山鳥取知事が、少人数学級を実現するために、給料を減らした分を国交負担金から減らすのはおかしいと言って来て、2004年から「総額裁量制」を実現した。

 文科省の天下り問題で引責辞任した。文部科学省のOBで、加計学園理事と千葉科学大学学長になった木曽は、受け入れ側の利益をなるよう働きかけた。官民人材交流センターを活用すればすっきりする。土地も建物も自前でないといけない規制が多くの都道府県にある。資金も自己資金でなければいけない。資産家でないと学校は作れない。株式会社立学校特区は廃止し、学校法人設立のハードルを下げたらいい。GDPを高めないといけない、経済成長しないといけない、などの考えを変えて、「新しい公共」が模索されるべきだ。高校を地域の核にすべきだ。

 組織の中の公務員は匿名性を持っているが、匿名性は無責任を正当化するものではない。公務員は、実態を把握し、課題を発見し、その解決策を検討して、正義を実現するために適切な判断を下し、全体の奉仕者として、国民のために最善と考える方策をとらなければならない。

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