豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

環境モデル都市の現状と課題

2011-12-30 | 平和・人権・環境・自治制度

 吉田 肇氏の(2011.10都市計画学会誌)環境モデル都市における民生部門の低炭素化の論文を読みました。環境モデル都市13に共通するテーマである民生部門を取り上げています。環境モデル都市に選ばれても補助金がある訳ではありません。京都議定書では温室効果ガスの削減目標を、2012年6%という計画をたてました。豊田市地球温暖化防止行動計画でも、当面12年の削減目標を6%としています。しかし、日本政府は今年のcop17で、アメリカ、中国がCO2削減目標に不参加だから、京都議定書の離脱を主張しました。また、クリーンと言われている電気も、原発で作られた電気は安全なエネルギーでなくなりました。地域特性と地域資源を生かした自然エネルギーを、地道にどう作っていくのか提案、実験されるべきです。豊田市などは北九州市と同じく、産業部門の排出が圧倒的に多いのだから、この部門の排出削減を基本にすべきだと思います。
吉田氏の論文の部門別CO2排出の推移の図では、産業別部門が2007年から2009年に大きく減りました。その理由は企業の技術革新による環境配慮よりも、世界経済危機による産業活動の停滞によるものです。各自治体でも低炭素の様々な施策が行われています。しかし、「排出量の算出方法」が曖昧で、その政策による削減効果が測れません。そのため、色々な実証実験が、大企業などの先端技術で、採算ベースを抜きにして行われています。豊田市ではトヨタを中心に、車と住宅のスマートグリッドを目指した実証実験が行われ、宮古島では沖電気の太陽光パネルと風力発電の最適化実験が行われています。分野横断的で統合的な政策の検討と市民参加、討議の仕組、施策の導入効果の算定の評価の制度設計が必要です。地道な菜種のバイオや木材のチップ、間伐の活用など地域特性を生かした事業の展開が望まれます。また、都市構造、産業構造、地域構造を分析して、サスティナブルな社会構築の戦略が必要に思われます。(写真は貞宝カントリー倶楽部北側の菜の花プロジェクトです)
<特記>
 沖縄の米軍基地移転のアセス評価書を防衛省が、28日未明に警備室に強行して置いていくという姑息な手段を使いました。知事は受理せざるを得ないという、出来レースの感じもします。
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いのちを守る地震防災学

2011-12-20 | 気になる本

林 春男(2003)『いのちを守る地震防災学』岩波書店
 主に阪神・淡路大震災を教訓に書かれたもので、やや古いです。応急対応期が地震時から1000時間としています。その後は復旧・復興です。復旧は、「原形復帰を基本とする災害対応活動」のことで、復興は「同じ施設、機能にもどすのではなく、地域が災害に見舞われる前以上の活力を備えるように、くらしと環境を再建していく活動」と規定しています。自然災害からは、「自助7割、互助2割、公助1割」と、自分の命は自分で守ることが前提でしょう。
 特に、生活と社会を再建する復興の理念について、①都市の再建、②経済の再建、③生活の再建をあげ、同時に果たすこととしています。復興事業のベース一段目は、社会基盤の復旧、ライフラインです。(神戸では高速道路、港湾、空港など産業基盤が優先されてしまいました。)2段目は、住まいの再建と仕事の確保です。図では、「住宅の再建、都市計画、中小企業対策、経済の活性化」をあげています。まさに東日本に必要な対策です。神戸では、「被災者と一緒になった都市計画事業がすすめられました」。まちづくり協議会を中心に、「住民参加型の都市計画事業がすすめられました。」という著者の評価には疑問があります。最後の生活の再建で、2000年に行った神戸の調査で、7つの調査結果を載せています。多い順から、住まい、人とのつながり、まち、そなえ、こころとからだ、くらしむき、行政とのかかわりで、参考になります。(写真は毛越寺の浄土庭園)
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これからの防災・減災がわかる本

2011-12-19 | 気になる本

河田惠昭(2008)『これからの防災・減災がわかる本』岩波ジュニア新書
 この本は東日本大震災の前に、若者向けにわかりやすく書かれた本です。広域的、複合的な大震災を予測する本だと思います。以下そのポイントを列記します。「わが国では、原子力施設と新幹線は事故が起きないという神話が長い間ありました」。2004年新潟中越地震で、新幹線が脱線で良く済んだものでした。95年阪神・淡路大震災の教訓として、「この震災まで我が国の防災対策は、災害が起こった直後までを主として対象」として、復旧・復興は余り重要視してきませんでした。インド洋大津波の経験から、途上国に被害が多いとされてきた被害が、「先進国であっても、結局避難しなければ途上国と条件は一緒ではないでしょうか。」と指摘され、それが証明される結果となりました。1896年の明治三陸津波地震について、「揺れが小さくても、1分以上揺れが続くような場合は、津波地震かもしれません。地震の揺れだけで、地震が大きいか小さいか判断することは危険です。」とあります。しかも、今回の東北の地震では、1報が3mとされたことにも問題がありそうです。避難勧告の空振りも、判断を迷わすことになります。避難勧告が出ても避難しない「平常性の偏見」をあげています。阪神・淡路大震災後に防災で、災害を0にすることは不可能となり、減災の考え方が大きくなりました。「自助と共助と公助の割合は、7対2対1だ」としています。自助-自分の命は自分で守るということです。東海・東南海・南海地震では最高5万人の死者も予想されます。広域であり、被災を受けない地域との連携協定が事前に必要であると指摘しています。また、地震は居住地だけでなく、旅行先などいつどこで遭遇するかわかりません。その心構えを持つためにも、災害からの生存率を高めるためにも、本書を読んで学ぶことは役立ちます。東北へ行き、現地を見て、防災・減災と復興支援を考えましょう。我が家の耐震改修と家具の取り付け、防災グッズの点検をしています。(写真は毛越寺の浄土庭園です)
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福州園

2011-12-16 | 都市計画・まちづくり
 5日月曜日に飛行機の便が取れなかったので、那覇でもう一泊し火曜の早朝に帰ることにしました。ホテルから目的地も決めず、ぶらぶら歩きました。市役所を探しましたが見当たりません。聞けば、改築中だそうです。国際通りは何度か来ましたが、昼間歩くのは初めてです。就学旅行生がグループで歩いていました。

 牧志の公設市場や商店街は、客も多く賑わっていました。2階の食堂は満員で食べるのに大分待たされました。地産地消というか、地域経済が循環している感じです。県庁のロビーで休憩し、向ったのが西の海岸です。ホームレスらしき人が釣りをしていました。辻若狭緑地周辺ではモーテルが立ち並んでいました。

写真は若狭公園で人口の海水浴場みたいです。海岸道路が景色をぶち壊していました。

 ホテルへ帰る途中写真の福州園を偶然見つけました。中国式の庭園で、蘇州の世界遺産である拙政園や留園の技法を連想しました。入場無料で、閑静でとても素晴らしい庭園でした。松山公園に隣接しています。
 文化施設や飲食店など都市の魅力も集中しています。交通渋滞と基地がなければもっと素晴らしい街になるでしょう。県庁所在地でもあり、周辺の島の中心でもある那覇はビルも建設中で、以前モノレールから見た風景よりも、とても綺麗で活気がありました。経済指標は豊田市よりも下かもしれませんが、残念ながら都市格は那覇の方が数段上のようです。
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宜野湾市役所

2011-12-14 | traveling, town walking

美術館から市役所へ行き、食堂を探したけれど、適当なところが見つかりませんでした。庁舎には反核・軍縮平和都市宣言の看板があり、市民の願いが地位協定見直し、基地返還、オスプレイ配備反対の垂れ幕がありました。翌日月曜日に沖縄県庁へ行った時は、知事も基地の県内移設反対は言うが、目に見える垂れ幕は何もなく、庁舎ロビーには県民も少なく静かでした。
 アメリカはグアムへの軍移転予算をカットしました。日本政府は沖縄の声を無視して、辺野古のアセス準備を進めています。社会保障削減と増税の一体改悪を進め、アメリカに都合のよいTPPの参加を進めるという、日本の国益を損なうものです。鳩山、オバマの平和への期待は外れ、安保体制そのものの再考が求められています。
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沖縄の心を

2011-12-10 | traveling, town walking
 
 タクシーで連れて行かれ美術館は佐喜眞美術館でした。バスが3台停まっていて、聞けば埼玉の高校生でした。ちょうど館長が丸木の大作「沖縄戦の図」の前で、説明をしていたのを一緒に聞くことができました。後で「沖縄の心」の冊子を買って読みました。この美術館は基地を一部返還させて、個人で造ったものです。館長から直接沖縄戦のむごたらしさを聞いて、反戦平和の気持ちを新たにしました。屋上から写真の基地の滑走路を眺め、ボランティアによる基地の説明を高校生の傍で聞きました。この美術館は初めてで、偶然訪問できとても感動的でした。5~6年前に都市計画学会で琉球大学には行きましたが、こんな素晴らしい美術館があるとは知りませんでした。沖縄国際大学はその中間にあります。当日は日曜日で飛行機の離着陸はありませんでした。ここは輸送機とヘリが中心で、海兵隊の「なぐりこみ部隊」だそうです。本土並み復帰が、逆に本土の基地を全て沖縄に、「財政措置」で押しつけた感じです。防衛大臣の問責決議が9日可決されました。米軍基地があるから沖縄の平和と経済の発展を、阻害していることが、今や県民の多数の声になっています。「中国が日本を攻めてくる」と怯えるのは、日本が中国、韓国などアジアの国を侵略した歴史があるからにほかなりません。米軍が日本を守るのではなく、米軍が日本を支配し国民(沖縄が犠牲に)を苦しめていることを、安保条約と地位協定を踏まえ、現地に立って考えるべきではないでしょうか。
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宜野湾市

2011-12-10 | 都市計画・まちづくり
 
 沖縄へ行けば基地の問題が気になります。日本国民の問題として、米軍基地の問題を実感するために、基地周辺を歩くことにしました。4日の日曜日に那覇市で市民マラソンがあり、土、日ホテルは取れません。止む無く宜野湾市のラグーナ・ガーデンが、高いけど取れました。朝食なしで12,000円は高いですが、プール付きでのんびり泳ぐことができました。日曜日は朝から重いリュックをしょって、基地へ突撃です。ホテルから区画整理地区を抜けて、旧集落を歩きました。高台には米軍の住居と、住人も見られました。正面ゲートの近くには、沖縄戦での慰霊碑(写真)がありました。幹線道路に出て、基地の見える公園を目指しバスに乗りましたが、行き先が違うということで只で降ろされました。タクシーを拾って、基地の公園を告げましたが、方向が違うということで、記憶に残っていた私立の美術館に連れて行って貰うことにしました。沖縄国際大学のヘリ事故の後は残っていないということで諦めました。持って行った前泊博盛『沖縄と米軍基地』は、半分しか読んでいませんが、歩き疲れた足の感覚で基地の大きさが実感できました。それに都市のど真ん中に大きな基地があることは、危険であることはもちろん、都市計画の障害になっています。
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あばぁの天ぷら

2011-12-09 | traveling, town walking

 オフィシャルな訪問は終わり、飛行機の離陸まで時間があったので、自転車で池間島へ行くことにしていました。雨模様の天気のためバスにしたっかたのですが、午前のバスは発車時刻を過ぎていました。やむなくタクシーで行き、橋を眺めました。島には何もなく、風車の方から橋を見た方が良かったかもしれません。それよりも、橋の必要性があったのか、疑問が残ります。ニューヨークでは橋をかけない代わりに、船が無料でした。名物のすんばり(たこ)そばを早めに食べ、帰りはバスにしました。写真は池間島の展望台からです。もう1階上へ上がれば良かったですか、風が強かったのであきらめました。

 平良の公設市場に戻って自転車を借りることにしましたが、鍵が開きません。止む無く歩いて宮古神社と、港の見える隠れスポットへ行きました。そこでおばあさんとあいさつを交わし、天ぷらをいただきました。聞けば90歳だそうです。一番いい思い出になりました。写真は港近くの風雪に耐えた木です。その向こうでは道路改良工事が行われていました。地盤はサンゴ花崗岩で、重機で掘削していました。海は綺麗でしたが、いずれも薄曇りでエメラルド・グリーンの色とはいきませんでした。シーズンオフでは島は静かです。格安の飛行機が運航して、低下傾向の観光客が1割アップしたそうです。やはり石垣島の方が賑やかな感じです。もう一度行こうか、別の島に行こうか、何を求めていこうか迷う所です。今度いったら、伊良部島に橋が架かっているかもしれません。
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環境共生住宅

2011-12-07 | 平和・人権・環境・自治制度

 環境共生住宅は屋根や壁面緑化など既に取り組まれ、特別新しいことではありません。ここでは島の自然である熱と風を生かして、低コストで住宅を造る工夫がされていました。材料は節の多い杉が大部分でした。設計者の説明では坪51~2万円だそうです。エコハウスは実験・PRのため、宿泊では平日のみ1,000円で泊まれます。
 次の日には公的住宅を視察しました。中層のRC造です。中層住宅には玄関進入に、建て階段方式と廊下方式があります。安いのは廊下方式ですが、プライバシーが保てません。見学した住宅は廊下を前に出して、各戸のプライバシーや独立性を確保しています。環境共生住宅とは直接関係ないようですが、公営住宅としての居住性は素晴らしいです。写真では分かりにくいですが、前面の廊下から各戸に入る場面です。また、別の住宅では配管設備が分離してあって、コンクリートの寿命とは別に、容易に補修できる設計のものも見学できました。さらに、発展して考えるなら、間取りもフレキシブルな設計で、誰にも公的住宅が保証されるのが望ましいでしょう。住宅保証は基本的人権であるべきです。高速道路、橋よりも優先されるべきです。
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環境モデル都市宮古島

2011-12-07 | 平和・人権・環境・自治制度

宮古島市は人口53,000人で、合併市域は205K㎡で旧豊田市と同じくらいです。産業は農業と観光で、サトウキビとマンゴー等です。島の地下にダムがあることに驚きました。CO2の2003年排出量は、32万トンで運輸と家庭が57%とと高く、この削減計画を中心にしているのは当然です。でも、豊田市とは違うところです。2030年の削減目標は30%です。サトウキビの搾りかすから、バイオエタノール燃料を製造するプロジェクトは見学できませんでした。メガソーラの実証研究設備は、東芝、碍子、京セラなど設備は壮大でメーカーも一流で、現在は風力とソーラの制御が主な実験目的です。最高出力の8%まで担っていますが、高い設備費で採算ベースには遠いようです。沢山の補助金で沖縄電気が実験していますが、地域経済との関連は見えません。その他に、自転車の活用とエコハウスの取組があります。写真は市役所から海を望んだところです。職員の説明では「沖縄県の11市の中で、唯一人口減少している」とのことでした。懇親会では「99%の若者が職を求め島から出ていく」との悩みが出されました。期待したほどではなかったです。次は個人的に、高知県ゆすはら町と飯田市に行こうと思います。
<特記>
 労働者派遣法改正で製造業の派遣禁止を骨抜きされました。民主党は公約をほとんど捨てて財界にすり寄っています。自公との違いがなくなりました。選挙で仇をとるしかありません。
コメント (2)
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