豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

西谷「私たちはどんな世界に・・」②

2023-11-30 | traveling, town walking

戦前の日本の強権的な統治とか、創氏改名を強いられて塗炭の苦しみを舐めてきた人たちに対する負い目のようなものが、「日本人」から振り払われてしまって、日本が妙に自信を持つようになった。これが「日本修正主義」の勝利である。拉致問題は、解決を遠ざけたからこそ維持しうる「問題」になった。

 朝鮮半島の場合、停戦になっているが、基本的には対峙状態のままである。三十八度線をはさんで、同じ民族の敵と向き合いながら国を作ってゆくという状態に置かれるのである。

 北朝鮮が国家維持のためにどうするか。核武装することだ。市場開放したら、たちどころに吞み込まれてしまう。それはソ連や東ドイツが示したことだ。

 冷戦後、アメリカは核不拡散を重要な世界戦略にした。新たな核抑止力を持つ国をなくしてアメリカ自身がグローバルな軍事的優位を確保する道である。

 核武装は対アメリカであって、韓国も、ましてや日本も眼中にない。核があればアメリカと交渉でき、国が潰されないという確証を持てれば、それで韓国と対等以上にやれる。そうなったら核兵器は必要ない。

 日本にとって世界を規定していた西洋的な転換より、「明治の終わり」が大事件だった。そこから世界史の基本的な方向と、近代日本の進路にずれが始まり、その逸脱による破綻を脱したのが敗戦だった。

 国民国家の実質構造は崩れていく。そうなった時に統治層はアメリカに対して、「お役に立ちますぜ」ということで、自分たちの地位を確保してきたから、アメリカの言うとおりに

ついていき、言うとおりにかじを切り、軍事の肩代わりをするわ、国の資産をアメリカの市場に提供するわ、いったいどこの国の政府かわからなくなる。

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西谷「私たちはどんな世界に生きているのか」①

2023-11-28 | 気になる本

西谷修(2020)『私たちはどんな世界に生きているのか』講談社現代新書

この本を読む前に、「戦争とはなんだろうか」を読んだ。借りて一読したが、購入して精読している。著者のブログ「言論工房」も見つけた。今まさに人が殺されている、ガザの記事もじっくり読みたい。著者は豊田市出身と聞いている。機会があれば、お話を聞きたい人である。以下、この本の気になったメモ書きである。(  )内は私のコメント。

IOTとかAIを取り入れると高齢化社会や過疎地の問題も解決するのか?バーチャル・フユチャーは絵空事ではないか?ビル・ゲイツなどの富豪は、何を意味するのか。現代世界の変容を導き、文明の未来を先取りするとみなされる人たちが、私的に巨額の富を築く一方では、世界中に貧困や荒廃が広がっている。この大地や海や空が商品化を思いついた者の独占的所有物になるかのように。

 最初の核エネルギーを都合よく利用したつもりでも、処理できない残りの核燃料の滓が出る。最終的に安定状態になるのに何万年もかかる。それを手につけた人類は、人類史の時間を超える射程をもって、危険な残り滓を管理し続ける。テクノロジーは有益な道具を作り出すように見えて、予測しえない事態に人間をさらし、人間の制御しえない結果を引き起こす。それを世界は科学の進歩と言っている。

 戦後レジームの脱却は、「憲法改定」が掲げられてきた。

 それまで、日米足並みそろえて北朝鮮に核開発放棄を迫って圧力をかける(ならずもの国家だから交渉しない)、という路線でやってきた。が、トランプ大統領は金正恩との交渉に乗り出した。

 戦時中の徴用工に関して、韓国の裁判所は日本の企業に対して賠償金を払えという判決を出した。日本政府は、日韓請求権協定で賠償の問題は終わっているはずだ、韓国政府はけしからん、国際法無視だ、というわけだ。日本には三権分立はない。韓国政府に日本政府は注文をつけられない。韓国は三権分立だから。事実、日本には、日米安保条約がらみの問題で、政府の方針や意向に反する判決は事実上出せない。国家の請求権協定は、私的な請求権は消えていない。日本政府の規範でもあった。「過ちて改めざる、これを過ちという」孔子。韓国、北朝鮮にも、戦時中の日本はたいへん酷いことをした。今後日本は貴国の人々にそのようなことはしません、人道上許されないことでした、と謝罪する。それは最低限やらないと、両国関係の未来なんてごまかしになる。(著者は三菱鉛筆と三菱グループを勘違いし、謝罪している)

 世界的な共通了解として、日本はアジア諸国を侵略して蹂躙した。南京攻略をはじめとして、各地で残虐行為も繰り広げた。日本の戦争が中国はじめアジア諸国にとってはいかに酷いものであったか。五味川純平の「人間の条件」(映画を徹夜で見た。後半寝てしまった。)にある。塗炭の苦しみを国民が味わった。しかし、その記憶は、日本が高度成長し、経済大国と言われバブル経済も経験した社会で薄れてゆく。

 

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