豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

階級都市

2012-04-25 | 気になる本

橋本健二(2011)『階級都市』ちくま新書
 都市における格差は風景にまで現れてきたとして、佃の木造住宅と高層マンションを対比させています。同感でここは私も数年前に訪ね、ブログにもアップしました。米国政府や財界が要求した規制緩和と富裕層の優遇策で、98年以降のジニ係数は拡大したとしています。自殺者数の増大時期と一致しています。09年の貧困率は16.0%で、「中流」はなくなりつつあります。都会と地方、東京と東北地方の出身地による格差も説明しています。「ホワイトカラー労働力がホワイトカラー住区で再生産されたり、ブルーカラー労働力がブルーカラー住区で再生産されたり、というような機会の構造化がなされる」((ハーヴェイ)。サッセンとカステルの主張は、新しい産業の勃興とともに、同じような変化が大都市にも起きたとしています。カステルを引用して、公営住宅や学校などを「国や自治体が集合的消費手段を供給すると、利潤率の低下を食い止めることができる。」としています。「都市とは、集合的消費手段の上で、労働力が大規模に再生産される空間的な単位であり、これによって都市は、資本主義社会の存続に不可欠な労働力の再生産の必要に応えるとともに、利潤率の低下を食い止める。」と述べています。都市と経済、社会資本論を展開する人は最近少なく、環境経済学の宮本憲一などを除いて都市社会学には馴染めませんでした。「グローバリゼーションの進行とともに、大都市では中所得者層が減少し、高度な技能や判断力を必要とする職業に就く高所得者層と、これらの人々の仕事と生活を支える単純労働に従事する低所得者層が増加するため、全体として格差が拡大する」、この仮設をジニ係数で証明しています。豊田市でも市民所得、給与所得の中間層は減少し、低所得者数は増加しています。5章からの「階級都市を歩く」は、東京の格差の風景の描写ですが、個人的には歩いた所であり新鮮味はありませんでした。写真はトヨタ本社工場での増築工事です。用途、面積、資金は不明です。
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南京夜の繁華街

2012-04-23 | traveling, town walking

 最終日前日に南京での宿泊ホテルへ帰ったのは、午後9時頃でした。Mandarin Garden Hotel Nanjing の近くがネオンで明るく、夫子廟街とあり街歩きに一人で出かけました。夜の照明も綺麗で、遅い時間でも大変な賑わいでした。科挙の試験の歴史館もありました。なぜ廃止になったのか、説明では公正に行われなくなったからとありました。翌日は南京から上海へ高速鉄道で、約4時間です。昼食をとり空港へ向かいましたが、なんと天候のせいで機材が届かず飛行機が飛びません。急遽航空会社のホテルに足止めされました。携帯からすぐに国際電話ができるのも便利な時代となりました。旅行中は天候に恵まれ食事もおいしく、歴史を学ぶ貴重な旅も最後に「ケチ」がつきました。 翌日の空港で出国手続きに並んでいると、私の前に日本人が同じツアーのメンバーを割り込ませようとしていました。そこで中国の警備の人が、“hello”と一言、後ろへ回れと指示してくれました。上海オリンピックの効果か、マナーが悪いのは日本人でした。
 今回の旅行は、自由な時間がなかったのは不満ですが、ツアーだから食事、交通の心配もなく楽しめました。現地を見て、文献を読み、論点を整理し、自分の考えをまとめるには時間がかかります。連休中にはなんとかまとめる予定です。写真は夫子廟街の明かりの様子です。
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南京虐殺はなかったか

2012-04-22 | 都市計画・まちづくり

 河村市長は①南京市に30万人も人口がいなかった、②父親が中国で戦後親切にされた、③通常の「戦闘行為」であったことが、南京大虐殺はなかったという理由でした。人口問題は先に書きました。中国人に親切にされたことで、「日中歴史共同研究」でも、「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣隊、および一部の市民に対して、集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と認めていることも、否定しています。中国のガイドによれば、いじめられた日本兵を中国人が攻撃しなかったのは、①日本は敗戦しハーグ陸戦条約がある、②日中戦争にアメリカ、ソ連が参戦した、③戦後の蒋介石の敵は中国共産党でした。やさしくされたからといって、日本が中国に侵略した歴史的事実を否定するのは、恩を仇で返すようなものです。私も引き続き南京事件の文献を読みたいと思います。写真は南京市にある個人の展示館です。
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南京虐殺記念館

2012-04-20 | traveling, town walking
 
 河村市長の「南京虐殺はなかった」という発言を聞いて、再度南京を訪ねることにしました。記念館は5年前に来た時は、改修工事で見学できませんでした。記念館が作られたのは、1982年日本の文部省が中国への戦争を侵略から進出に教科書を書き換えようとした問題が発端で、記録と記憶を残すためでした。他の都市でも作られたようです。戦争を知らない年齢層も増え、「まぼろし」、「でっちあげ」などという人もいますが、自国に都合の悪い過去の歴史を見ない、右翼的な考えの人が持ち出す発想だと思います。
 30万人も殺せる訳がないから、やっていないなど数の問題にすり替えようとする人もいます。説明によれば、①死体処理の人工帳があり、これが18万5千、②家族などの自己埋葬3万5千、③日本軍の処理(焼却・埋葬、川への投棄)と、併せて30万人です。日本軍が南京侵攻の前に、国民党政権の軍は南京を放棄し逃げてしまった。城壁の面積は東京の山手線の内側程ある。人口は100万人程いたが、半分は避難したが上海などから逃げていた人、取り残された軍人で60万人を超える。(アイリス・チャン「ザ・レイプ・オブ・南京」)東京裁判の判決書では26万人以上と結論づけられています。1937年12月13日に南京が陥落し、それから6週間で多くの殺害、焼き討ち、盗難、暴行が行われた訳です。引き続き文献、資料を精査したいと思います。
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永保寺

2012-04-19 | traveling, town walking

 多治見へは東海環状自動車道で1時間弱です。薄墨桜を午後にしたので、前から行ってみたかった寺に寄りました。永保寺は禅寺で、夢窓疎石の策庭があるからです。夢想国師は西芳寺、天龍寺などを作っています。近くには中央線が走っていますが、緑豊かで閑静な所です。寺の下には土岐川が曲がりくねって、鳥のさえずりも聞こえ風情を漂わせています。心字池の中央は尾形のついた無際橋が、全体をまとめています。国宝観音堂は修復中でした。周辺をのんびり散策でき、心やすらぐ一時でした。
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薄墨桜

2012-04-17 | traveling, town walking

 今日は念願の薄墨桜を、妹の案内で見に行きました。武漢・南京の旅行記は中断して書きます。午前は夢窓疎石策定の永保寺を見ました。薄墨桜の前に根尾谷断層と記念館を見学しました。到着したのは3時頃で、事前情報では6部咲きと聞いていました。写真のようにほぼ満開に近い状態です。幹は大分痛んでいますが、根っこの若返りと樹医さんの手当で、生き返っています。1500年の古木でエドヒガンです。風雪に耐えた貫禄があります。後ろには2世が出番を待っていました。この後、千本桜も見に行きました。
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武漢の交通事情

2012-04-11 | traveling, town walking
 
 武漢では地下鉄も建設中ですが、急速に発展した大都市は他の大都市と同じく、交通渋滞と交通事故が多いようです。ガイドのTさんは1989年に車を購入し、2005年に止めたそうです。大気も排ガスなどでどんよりしています。4月11日の毎日新聞では、ホンダが武漢へ7月に工場を操業の予定とありました。中国での日系自動車の販売台数は、11年では日産が124万台、トヨタ88万台、ホンダが61万台と出遅れています。ソニー、シャープをはじめ電機大手は、韓国、台湾に押され陰りが見え始めています。自動車も小型化、低価格化が進んでいますが、まだまだ中国での「成長」を期待しているのでしょう。写真は黄鶴楼から長江大橋を望んだところです。写真が撮れませんでしたが、夜9時頃に街かどで年配の女性が、ダンスをあちらこちらでしていたのも印象的でした。
<特記>
 萩原智子は残念ながらオリンピックに選出されませんでした。彼女のブログと本を読み、水泳の練習量を2.0Kmまでアップしようと試みましたが、疲れでダウンです。年内に1.5Km位まで徐々に上げるように、無理しないメニューにします。クロール400mで9分20秒でしたが、9分を切りたいです。それと25mを15ストロークで泳げること、50m1分で泳ぎインタバル1分を8本できるようにします。昨日は7Kgでダウンベルをやったため、肩に痛みが少しありました。最近は腹筋を強化したため、ウエストが補足なりましたが、体重も2Kg減りました。
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古い街並の保存

2012-04-09 | traveling, town walking

 文化大革命で古いものを大破壊した反省を踏まえたかどうかわかりませんが、遅まきながら保全の動きも盛んです。ストリートは比較的整備され、居住者にも一定の補償がありました。でも一歩路地を入ると住居も狭く、安い保障で生活もぎりぎりという状況です。団員の交渉で、急遽住宅内を見学することができました。政府も現実の貧富の差を認め、ここまで情報公開をしています。通りではお年寄りが集まって世間話をしていました。蘇州や紹興の街に比べるとB級です。写真は旅行団と気軽に談笑しているところです。
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黄鶴楼

2012-04-09 | traveling, town walking

 武漢は武昌、漢口、漢陽の3つで構成され、長江や湖と蛇山、亀山の大公園がある風光明媚な所です。大きな中国の現代を少しでも理解するには、辛亥革命、戦争と不平等条約、文化大革命、改革開放、天安門事件など近代史のポイントを押さえなくてはなりません。同行者の方はみんな歴史も語学もそれなりに勉強されていましたが、私は観光気分が強く上面しか見てきませんでした。黄鶴楼は有名な観光スポットのようで、以前の場所より移動し蛇山に再建されたものです。長江と大橋が望める絶景ですが、入場料が80元であまり感動しませんでした。写真は黄鶴楼近くの釣鐘の下で、子どもがコインを真ん中の穴に投げ入れ楽しんでいるところです。
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孫文と辛亥革命

2012-04-08 | traveling, town walking

 辛亥革命の発端となった武漢に「辛亥革命博物館」(写真)が、百年を記念して約40億円で建設されています。以下2011年9月29日付け朝日新聞の記事を参考に、孫文と辛亥革命についておさらします。干支で辛亥の年1911年に武昌での蜂起をきっかけに、革命が起き清朝が倒されました。亡命中の孫文が帰国し、臨時大総統になりました。日本にも亡命したことがあり、日本名を中山と名乗ったそうです。孫文死後は蒋介石らが統一政権を作りましたが、国共内戦の末49年に共産党が中華人民共和国を建国し、国民党は政権は台湾に逃れました。台湾では民国を引き継ぎ、1911年を建国元年としています。
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