豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

大川小学校の避難場所

2012-09-03 | 都市計画・まちづくり
大川小学校は死者、不明者84人を出しました。正式な調査報告書もまだ出ていないようです。原因と責任は軽々しく言えませんが、大惨事からの教訓を学ばなくてはなりません。

学校は避難場所になっていました。北上川の河口から4Km上流にあり、3Kmしか津波は遡らないとされていました。学校の危機管理マニュアルは高いところへ避難とあって、どこへとは具体的に決めてありません。河北新報などの記事を読み、避難経過の概略を知ることができます。おののく生徒を全員安全に避難させるのに、校庭に集合させ点呼し、より安全な場所への避難を検討するのに時間がかかりました。市の広報や住民が危険を知らせても、教師は落ち着くようにと慎重で、危機意識に欠けていたように思われます。学校は堤防より低地にあり、津波の危険性が認識されません。

ようやく道路を通って、橋の高台へ移動しはじめたら津波が襲い、多くの犠牲者が出たわけです。今ならなぜ裏山へ逃げなかったのかと思われますが、解明が急がれなくてはなりません。
 9月1日のNHKで「釜石の奇跡」のアニメを放映しました。この学校では普段から防災学習が熱心で、下校していた生徒全員が助かっています。防災社会学者片田教授の3つの教訓は、①「想定にとらわれるな」、逃げない大人。②「最善をつくせ」、自らの判断で高台へ逃げよ。③「率先避難者たれ」、津波てんでんこの教訓を守れということです。一人ひとりが自分の命に責任を持ち、家庭内の信頼関係を築いて実行する、津波てんでんこの教えを説きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大川小学校

2012-09-03 | 都市計画・まちづくり

ここは沢山の生徒が亡くなった所です。父兄と思われる方が慰霊碑の(写真)花を代えていました。月曜日の午後でしたが、多くの人が視察に見えていました。生徒が74人、先生が10人亡くなっています。学校や教育委員会などの事故の説明会を6回やっているようです。校長は謝るけど責任は認めないとのことでした。石巻市長は「自然災害の宿命」発言で謝罪したと、26日の新聞に載っていました。

校庭の裏に山への登り口(写真)がありました。なぜ、橋の広場へ誘導したのか、そこがなぜ避難場所なのか、防災計画の問題と事故当日の事実経過が、第3者の手で早く解明されなくてはなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東松島市

2012-09-03 | 都市計画・まちづくり

東松島市に知り合いの豊田市職員が派遣されています。そこで様子を見にいくことになりました。市役所は海岸から離れ津波の被害はありません。少し時間があったので、海岸を探索しました。自衛隊の航空基地を越えて、海岸線にでました。そこにある矢本海浜緑地は壊滅状態で、廃材置き場にもなっていました。東北の海岸線はどこでも大きな被害を受けていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥松島

2012-09-03 | 都市計画・まちづくり

美しい松島を高台から眺め、食事の場所を探しましたが適当な所が見つかりません。乗船場も観光客で、車も渋滞気味でした。そこで奥松島まで向かいました。松島は島があって被害が少ないと聞いていました。しかし、奥松島は島がなく被害が大きかったです。海岸近くで見つけた仮設の海鮮堂「松ケ島」で、かきならずかきあげうどんを食べました。周辺はほとんどの住宅が壊滅で、基礎部分だけが残っていました。近くでは写真のかき小屋が建設されていました。食堂では10月からかきが食べられるそうです。後でわかったことですが、奥松島は東松島市でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする