豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

西尾の中心市街地

2011-06-27 | 都市計画・まちづくり

西尾だけでなく、中心市街地はどこも活気がありません。西尾ではミカが36年の歴史を閉じようとしています。さらに本町の大黒屋も閉店です。井桁屋撤去と中央通りの拡幅、駅西A地区の再開発と高層タワーマンションなどどう評価すべきかが問われています。さらに、幡豆3町の広域合併、市長、議員の政治腐敗、世界経済危機後の東北大震災と暗いニュースばかりです。小京都西尾の都心再生はどうあるべきか。市も総合計画、都市マスを見直す予定でしょうが、近代(明治)まで遡って都市構造の歴史的形成を考察する必要があると考えます。つまり、産業構造の転換とクルマ社会によって、都心への集中が渋滞・老朽を口実に拡散していった、過去の歴史から汲み取ることから出発すべきだと思います。
 西尾は矢作川と古川に囲まれ、市街地の洪積台地と農地の沖積層あるいは干拓地であります。近代から1960年代の高度成長が始まるまでは、米作を中心に「畑成田」で用悪水の開削、洪水対策と鉄道敷設と道路拡幅に務め、須田町、本町、肴町の中心地から鶴城耕地整理、花の木耕地整理と東と西へ開発が進みました。幡豆郡の近代は農村集落で、元々分散していました。市役所など官公庁の移転、郊外地への工場誘致に始まり都心機能の拡散が始まりました。そにら辺りを「拡散の1期」と仮定します。(写真は拡幅した中央通り、街路樹はヤマボウシで緑のボリュームが不足、あるいは松並木でも面白い)
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西尾市の市街地再生

2011-06-17 | 都市計画・まちづくり

 ミカが夏に閉店します。井桁屋は壊され、中央通りは広がり一方通行はなくなりましたが、商店は活性化されていません。駅西の再開発もA地区は基盤のみ整備され、道路は直線化されました。B地区は全くの白紙状態というのが現状です。中心市街地の再生はどうあるべきか、市民的合意形成による都市づくりはできるのでしょうか。2011年の「西尾市中心市街地活性化基本計画書」の概要について、評価が必要です。(写真はSHAOです)
 計画書では中心市街地の地域特性を、① 歴史性を有する戦前の町並みがあるが、狭い道路と一方通行規制が問題、②人口の集積が少なく高齢化が進行、③都市機能の集積で、公共施設(駅東)があるとしています。そして、「駅前と中心市街地西部に、大型店を中心とした2つの商業核が形成されているが、中心市街地では店舗が散在し、商業機能の連担が見られない」。その理由は人口の減少、交通規制、駐車場不足などとしています。対策では市民が語り創る、徒歩・自転車の利用、町並み散策、緑化、プロムナードを掲げていますが。これらがどう実現したか、何が残された課題か検証したいと思います。中心市街地の都市構造については、骨格を作った近代~現代の歴史と、現在(2000年頃~)の展開をとりあえず区切ってみたいと思います。
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下山の自然と共生

2011-06-15 | 都市計画・まちづくり

 先日、下山で「下山の自然を愛する会」(ブログ名も)の方たちと、下山テストコースの問題について、勉強会を行いました。
 現在、環境アセスの準備書ができ、公聴会が7月2日(土)午後1時半から4時半まで、下山基幹集落センター(支所隣)で予定されています。
 着工予定は計画見直し、経済危機などにより大幅に遅れています。企業のために県企業庁が造成を肩代わりし、自治体職員が用地買収を手伝うというのは、経済効果を期待してのことでしょうか。世界経済危機以降、豊田市の法人からの税収は大幅に落ち込んでいます。波及効果は中小企業や労働者にどの程度あるか不明です。環境モデル都市の豊田市はスマートグリッドだけでなく、サスティナブルシティも目指すべきでしょう。写真は開発周辺部です。
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ボランティアガイド研修会

2011-06-11 | 都市計画・まちづくり

 昨日申し込んで、早速研修会に参加しました。話の中心はお城と岩瀬文庫、それに小京都のゆかりでした。私の関心事である町屋、町並みのテーマはありませんでしたが、大正、昭和にかけての色んな話が聞けて勉強になりました。中学校時代、西尾に国鉄を走らせるのは、「反対があったから岡崎を通った」ということを聞いていましたが、どうも最初から西尾ルートはなかったそうです。そして、鉄道の重要性を考えて、岡崎、西尾に鉄道を敷いたそうです。母親に聞いたら、熊味から乗って羽根までパーマをかけに行ったそうです。三河三都の吉田、岡崎、西尾で、6万石でも実際は半分くらいの領地だそうです。また、市街地形成で鶴城の方へは住宅開発を、駅東へは官庁街、商店を考え、花ノ木耕地整理を始めたそうです。写真は大正末期から昭和初期まで行われた耕地整理の記念碑です。この後から須田、本町、肴町の中心地は衰退がはじまったのかもしれません。このへんの経過を調べてみたいです。帰りにシャオに寄ってきましたが、大型店、ドミー、エステ、英会話、マクドナルド、ドコモ、Kahmaなど多様な店舗が賑わっていて、土曜日のためか駐車場も一杯でした。犬山、高山、金沢が小京都会議を抜けたというのも初耳でした。「京都らしさ」は後付けもありますが、個人的には町屋と景観を重視して、文化の香る地方都市にして欲しいと思いました。歩いて楽しい中心市街地を、交通政策、市民参加でどう創るか提言したいです。
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小京都西尾調査2

2011-06-11 | 都市計画・まちづくり

 今回は市役所に無料駐車し、駅の観光案内で無料のレンタルサイクルで、城郭の北方面を回ることにしました。かって賑わった写真の「ミカ」も夏には閉店だそうです。駅前の1等地にあるのに、なぜでしょうか。良く行ったけれど余り買った記憶はありません。駐車場からのアクセスがちょっと不便、ロードサイドショップの発展、不景気などがあるかもしれません。これは大きなテーマの1つです。どなたかコメントをお願いします。
 さて、HP「西尾でドットコム」の「城下町西尾」の地図を片手に、大給町の武家屋敷と外堀を探しに回りました。しかし、堀らしきものは聞いても、地元の人も分からないそうでした。盛厳寺は歴史の重みを感じさせる寺でした。

 武家屋敷の塀は以前壊されたと書きましたが、写真のように「復元」されていました。

 画家のコー麻呂さんのブログ「スケッチ街並み」にある、聖運寺の門は気になっていましたが、重厚です。本堂の柱が曲がっていたのが気になりました。地震の前に補修をした方がいいのではないでしょうか。

 中町は道路が拡幅されていますが、「まちづくり協定案」があるらしく、洒落たデザインの建築物が並んでいます。ただし、妻入り、平入りは自由みたいです。

 次に、須田町の三河木綿の機織りを見学しました。説明も受けましたが、また訪ねたいと思いました。大黒屋は閉店するそうです。ミカの閉店で買い物に困るそうです。探していた「本ちゃん工房」は市役所近くに移転したとの話でした。最後に市役所の都市計画と商工観光課へ行って説明を求めました。デビューできるかわかりませんが、観光ボランティアに挑戦しようと加入しました。足助でも申し込みしましたが音沙汰なしでした。まあ、重伝建になったし、行政の財政支援が手厚いから何とかなるでしょう。
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小京都西尾のまちづくり

2011-06-07 | 都市計画・まちづくり
西尾市は05年に京都ゆかりの「小京都」となりました。非戦災の6万石の城下町で、「名所旧跡、古式ゆかしい伝統芸能、大名行列をはじめとする祭など文化や芸能が今も受け継がれ」ていることが評価されました。そんな西尾の都市計画・まちづくりの現状と課題を探りたいと思います。これまでの文献で、瀬口哲夫・中部都市計画学会(2006)『幻の都市計画』を手がかりに、資料収集と現地踏査、ヒアリングをすすめます。まずは資料収集のため、1回目の予備調査です。出身地のため何度か歩いていますが、図書館、本町通り、肴町、井桁屋、市役所と回りました。小京都に興味があり、電車で行く人のために参考コースを紹介します。また、関係者の情報がありましたら、コメントをお願いします。

①名鉄西尾駅1階観光案内所で、「にしお旅小町」と「城下町歴史小径」を貰う。自転車を借りる。

②西尾劇場

③緑川を北上し伊文神社へ

④唯法寺から肴町通り、(時間があれば岩瀬文庫)

⑤大手門から歴史公園(メイン、最低1時間)

⑥尚古荘(小学校前の細い道を)、伝荘茶屋で食事でも

⑦(須田町三河木綿)、本町通り

⑧井桁屋跡、康全寺

⑨中央通り、はとや、駅へ
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日清戦争から盧溝橋事件

2011-06-06 | 気になる本
韓国の現代史を早く理解するには、大きな転換点を理解することだと考えます。戦争までの過程と「日韓併合」、4.3事件、50年戦争、軍事政権と光州事件、経済成長、97年通貨危機、金大中位に絞り込みたいと思います。戦争の歴史をどうみるか、過去のことであり、日本びいきにもなり難しい問題があります。吉岡吉典(1998)「日清戦争から盧溝橋事件」新日本出版のポイントから、論旨は明快で日韓併合は侵略戦争であったということです。日清戦争は「朝鮮独立のための戦争どころか、朝鮮そのものを宣戦の対象国に想定していた戦争であった」ことでした。第1次大戦の後、戦争は違法である、民族の自決の流れが起きたが、国際連盟から脱退し、「中国への全面戦争へと拡大した日本」でした。「ポツダム宣言を受諾した日本で、戦後50年たった今日まで侵略戦争責任が明らかにされず、侵略戦争の美化、正当化が行われているのはなぜか」、「アメリカの対日政策上天皇制を利用するため」、そして「戦犯の復権と戦犯政治」が行われてきたことにあります。「日本政府の戦後一貫した立場は、植民地支配を正当化し、植民地支配下の朝鮮人民虐殺をはじめさまざまの犯罪的行為を否定、否認するものであった。従軍慰安婦問題や朝鮮人強制連行問題の清算どころではなかった。」ことでした。ドイツとの違いはワインゼッカー大統領の言った「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる」ことです。沖縄の普天間移設問題をみるならば、日本も未だにアメリカに間接支配されていることだと思います。
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非正規労働者の権利実現

2011-06-05 | 平和・人権・環境・自治制度
 6月4日名古屋で、非正規労働者の権利実現全国集会がありました。労働相談の事例で、震災による場合休業させても、休業手当が払われなくて「首も切って貰えない」と報告がありました。和田肇先生の講演では、リーマンショック後の非正規問題が起きていること、菅内閣で非正規の問題が棚上げされていること、公務員の人件費カットは憲法28条違反であること、国会議員の給与を先に下げるのが筋などの話でした。意見交流では車の部品がよりやすい単価を求め、東北の生産ストップが全てのメーカに影響していること、韓国の労働法改正や運動から学ぶ必要など報告されました。写真は会場のwincで、名駅のミッドランドスクエアの裏にある県の高層建築物です。
<特記>
 金土日で久しぶりに、DVDを「シュリ」、「光州5・18」、「なつかしの庭」の3本を見ました。古いのか300円と激安です。シュリは2度目です。後は光州事件のドラマ化で、韓国の民主化の原点となるもので、とても感動しました。それと文京洙「韓国現代史」岩波新書も読み始めました。
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国民平和行進in豊田

2011-06-04 | 平和・人権・環境・自治制度
6月2日今年も国民平和行進が豊田にきました。今年は梅雨が早く雨でしたが、夕方の行進にはあがりました。要請行動では秘書課の係長、議会事務局の主幹と例年より格下げでした。みよし市は非核自治体宣言都市を行い、久野市長が非核署名にサインしました。また、ペナントも購入しました。写真は集会の様子です。豊田市は平和市長会には参加しましたが、今回は市長の署名、ペナントの購入はありませんでした。
<特記>
 名古屋の減税日本の団長が、受け取らないと公約した政務調査費を受けとっていました。団長辞任でなく議員辞職をしたらどうですか。
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