豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

中華彩菜 和華

2011-05-30 | 市民生活・企業都市
 先週土曜日大学の研究会で、台湾街歩きの報告が終わり、帰りに本地町の和華に初めて行きました。ランチを食べましたが、麺のスープの味があっさりでとてもおいしかったです。値段はちょっと高めですが、また行こうと思いました。カウンター席に段差があるのは設計ミスですね。
 台湾街歩きで特に目的意識を持って行ったわけでなく、個人の旅行は行き当たりばったりの発見が面白いのです。それでも、今回は言語と占領政策、日本びいきなどの理由が論点整理できました。都市計画では広い道路の経過、高層建築の無計画、新幹線の在来からの遠距離など疑問点が見つかりました。また、報告について質問で豊田市と高雄の比較は、工業都市と港湾の違いがあるのではという指摘でした。逆に、豊田市が自動車産業に特化した企業都市から、多様な産業・文化・環境都市へ転換するモデル都市をみつけるべきではないだろうかと考え付きました。
<特記>
菅総理はG8で2020年代の遅くない時期に、自然エネルギーを20%にすると公言しましたが、実現性はどうでしょうか。鳩山さんと同じように菅さんも短命でしょう。
 トヨタは7.8.9月を木金休みにし、土日出勤としました。どのような影響が出るのでしょうか。
 
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グローバル経済と地域経済のあり方

2011-05-29 | 市民生活・企業都市
5月22日東海自治体学校の分科会において、みだしの件で名城大学井内先生の話を聞きました。持続可能な地域経済とは何か、そのポイントだけをメモします。はじめに、「維持可能な社会」について宮本憲一の著作から、「原発問題は余り触れていない」ということでした。原発を制御できないのに「安全神話」がばらまかれた。「ブレーキの効かない車を買いますか?」、「現実は原発反対でも電気に頼り切った生活」である。「フライブルクはそうではなかった」。「地域資源をいかした循環型地域経済をどう構築するか」に関わります。例えば、「一戸建て住宅の禁止で集合住宅化」、「家の前に駐車場を作らず集約化する」などは、豊田市の「エコ体感モデル地区」(借地料年3500万円)に適用できそうだと、私は思いました。また、原発事故の「影響がでていない現代自動車をどうみるか?トヨタ自動車の工場は韓国にない」。「日本の重要性と日本抜きの可能性」があるとのことです。「台湾ではIpadのシリコンバレー」がどうなるか。大企業のない台湾の経済発展に着目です。講師は国際競争に打ち勝つコストダウンの「国際競争拠点型のものづくり」から、「国際共生型のものづくり」への転換を提起しています。先進自治体の産業政策として事業所調査、中小企業振興条例、民主党の「中小企業憲章」の積極面の活用などをあげています。また、宮本憲一の文献から、EUの地方自治宣言にもとづいた維持可能な都市を足元から創造する政策として、自然エネルギーの普及、リサイクル、自転車、歩行優先、職住近接の都市づくり、地産地消で都市と農村の共生、意志決定のプロセスにおける住民参加の保障など要約して紹介しています。このほかに、「だれのための企業誘致か●三重・シャープ亀山工場の実態」について萩原さんの報告と、名古屋市中小業者の実態調査の報告がありました。
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今こそ「軍・福」

2011-05-27 | 平和・人権・環境・自治制度
豊田9条の会6周年の記念講演で、森秀樹名大名誉教授の話がきけました。京都の学生が9条を、くじょう(九条)と言ったという、ジョークを交えながら核心をつく先生の話には聞きいってしまいました。原発事故の問題を最初にあげ、軍事費を削って復興予算をどうつくるか具体的な話もありました。ポイントだけを以下メモします。5月17現在、死者15069・行方不明者9104、避難者171508人、全半壊家屋40万、事後死亡524人です。原発は直ぐにメルトダウンしていたこと、レベル5から7への引き上げ、情報公開のまずさなどがあります。原発は安全といいつつ、大都市からは基地と同じく離して建設してきました。「原発安全神話」を生んだ「原発利権」、長期自民党政権の「ツケ?」でもあり、究明と責任明確化が求められます。復興予算に政党助成金320億円、アメリカへの「思いやり予算」2000億円の削減があげられています。「防衛力整備計画(2011~15」24兆円と3.11被害額がほぼ同じです。この財源をめぐる問題が争点となります。ドイツではいち早く脱原発社会を打ち出しました。菅首相は浜岡原発の一時停止(防波堤建設の2,3年)は言いましたが、永久停止、他の原発停止は言ってません。憲法と安保の矛盾による憲法改悪の動き、明文改憲から解釈改憲へ、中近東での地殻変動、中南米など根底で米一極支配構造の地殻変動、そして世界的な「脱米」の流れの中で、「日米同盟」重視・深化のミスマッチなど興味のつきない話の内容でした。
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韓国現代史の学習会

2011-05-26 | 平和・人権・環境・自治制度
来年東海自治体問題研究所の40周年を記念して、調査・交流旅行に出かけるためのプレ・学習会に24日参加しました。講師は名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会、愛知県平和委員会役員の高橋さんです。彼とは95年に愛労連主催でタイ・マレーシアへ、労働調査にご一緒しました。彼は韓国訪問が61回だそうで、私は6,7回というところです。最近では、昨年3月に愛知の反貧困ネットワークの弁護士さんたちと調査・交流、一人街歩きに参加しました。講師の豊富な情報と整理された課題別年表は貴重な資料で、飲み会までお付き合いしました。紹介いただいた文京洙「韓国現代史」岩波新書、木村幹「癌国現代史」中公新書から読むことにしました。
 現在の関心テーマは、日清・日露戦争と韓国、「韓国併合」で何が起きたか、在日と外国人参政権、安重根、米軍とキリスト教戦略、光州事件と民主化、北朝鮮との関係、大企業と非正規および労働組合、済州島の経済特区、地方自治制度など沢山あります。ひとつずつ調べて、絞り込みたいと思います。
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高雄まち歩き感想

2011-05-24 | traveling, town walking

 今回の旅は4泊5日ですが、帰りの便は早朝のため実質3日半です。もう2日ほどあれば良かったです。高雄と周辺の小さな町、それと阿里山、金門島、温泉、貯金など、台湾へはまだまだ行きたいところが沢山あります。今夜は来年訪問の韓国についての勉強会なので、台湾は一旦終了します。駆け足旅行でしたが天候もまずまずで、スケジュールどおりには行きませんでしたが、結果OKの満足できる旅行でした。特に、市民生活の様子、日本占領と建築・都市計画の歴史、言語と占領支配、国際化と市民交流、格差と貧困などで、都市とテーマを絞り込むヒントが見つかりました。言葉の壁をなくすために、英語をもっと勉強しようと思いました。フィリッピンにも来年行く予定なので、skypeで英会話やアジアの市民ネットワークに挑戦したいです。写真は台南の国家台湾文学館です。タクシーの中でとったので、上手く撮れていません。
 最後に、英語とアジアの占領について気づいていましたが、日本語もそうでした。古川、林、川口編「台湾、韓国、沖縄で日本語は何をしたのか」から、引用して終わります。「台湾における植民地体験を理解しようとする際、『国体論』は極めて重要な概念となる。植民地体験を有する国家としての台湾の特殊性をなす理由の一つは、この島を支配した帝国が非西洋国家である日本であったことにある。日本は台湾を統治する際、西欧国家が用いたキリスト教信仰ではなく、『国体論』とういう宗教に準ずる意味合いをもつ政治文化を、土着民を『同化』する手段として利用したのである。このような『国体論』をベースにした植民地統治における台湾の国語『同化』教育とは、基本的に日本が近代国家の統合モデルにしたものをさらに高度に模倣した産物であったといえよう。それはフランスが自らの植民地であるアルジェリアを支配した際に創出した“assimilation"と全く同様なものではなく、天皇制国家原理という政治磁場の運営から生じてきた統治策略の一つなのである」(陳)。
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台湾人は日本に好意的か

2011-05-23 | traveling, town walking

高雄から新幹線に乗るには左営までいかなくてはなりません。今度はMRTを使うことにしました。乗り方は簡単です。ラインは紅線と橙線の2系統で、行き先ボタンを押して、料金を入れればチップが出ます。チップを搭乗口に当てれば、後はプラットホームで方向を間違えないことです。ここでまごまごしていると、駅員がきて乗車ホームまで案内してくれました。バリアフリーは人が優しいことが大事ですね。写真は左営の駅舎です。三越百貨店と地元店を見学し、昼は冷麺を食べました。お茶が特においしかったです。
 台湾の人は日本に好意的な人が多いと思います。台湾の人といっても、本省人、外省人、客家、先住民など多様ですが、いくつか理由があると推察されます。①台湾の偉人である鄭成功の母親が日本人であった、②占領中に道路、鉄道、ダム、「教育」など台湾発展の基礎を築いた。日本の敗戦後、国民党政権の方がより悪政を行った、③日本企業のため、開発援助をしたので成長発展した等が考えられます。しかし、占領下での人権侵害は過去のこととはいえ、未来のアジアの平和・友好を考えるなら忘れてはならないことです。「韓国や台湾は日本の植民地でない」などという人もいますが、日本の侵略戦争という歴史の真実をみない考えだと思います。「植民地経営は人類愛にもとづく『慈善事業』ではない。軍事力と言う物理的な措置で領土を獲得すれば、当然に武力による抵抗を招く。その抵抗を抑えるために、またしても武力を行使することになり、抵抗が激しいほど弾圧も強化されていく、後藤新平の『土匪』対策は、徹底したアメとムチの併用であった」(伊藤潔、「台湾」)。「彼が最初にそれ(「文装的武備」)を実践したのは、台湾において、台湾総督府民政長官を務めたときであり、武力のみで台湾支配には無理のあることを感じ取った後藤は、都市における衛生改善、農村での農業改良、さらには電力事業とそれにともなう製糖業などの産業開発を通じて、台湾住民の生活向上を図りながら、反日感情を抑え込みに取り掛かった。満鉄総裁としての後藤が進めた満鉄経営は、この延長線上にあった」(西澤泰彦、「日本植民地建築論」)。とういう考えが真実だと思います。いつか台湾の人に聞いてみたいと思います。
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国際キャッシュカード

2011-05-23 | traveling, town walking

4日目は桃園から、「台湾ノスタルジア」の本を見ていたから、大渓老街へ行くことにしていましたが、疲れたのと高雄の街が気にいったので、変更して駅まで歩くことにしました。途中、彰化銀行を見つけ国際カードで1000元を降ろすことができました。さらに行くと第1銀行があり、貯金に挑戦しようとしましたが、英語、中国語電子辞書を持っていかなかったので失敗しました。誰か台湾で、貯金をしたことのある方教えて下さい。海外個人旅行は飛行機とホテルの予約は当然のこと、荷物は少なく、電圧を調べコンセントを用意、パスポートの控えと写真、ネットカフェか携帯での連絡方法、保険、地震国での安全ホテル、現地友人などいざという備えを、「自己責任」で用意しなくてはなりません。もう少し長期だと小型パソコンかipadが必要です。それに電子辞書か現地会話の準備でしょうか。ガイドブックと基本情報の予習もかかせません。基本を確保し、マナーを守り、安全に「好奇心探索」とコミュニケーションが楽しい旅行となります。また、忘れ物や盗難防止も大事なことです。台南のホテルで、シャツを忘れましたが、親切に電話がありました。それだけでは取りに行く旅費の方が高くなり、諦めました。台湾の人やカナダの人は外国人に優しいです。でもいたずらに観光地で親切に声をかけてくる人は、注意を払う必要があります。日本で困っている外国人を見たら、親切にしてあげようと思います。
 高雄は台南より綺麗で、元気があり、興味がさらに湧きました。高雄市の産業構造、都市計画、市民生活、行政機構など豊田市と比較してみたいと思います。直感的に豊田市よりも都市格は上で、学ぶべきところは多いと思います。「都市間競争」で企業誘致合戦や、行政の都合のよい数値目標より、アジアの具体的都市と市民生活、文化、社会資本整備などの「交流と競い合い」をすることが、「国際都市」や「すみよい豊田を創る」近道だと思いました。
 ネットで調べたところ、台湾にも原発が北に3つ、南に1つあります。同じ地震国として、原発0の維持可能な社会への転換が望まれます。
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サイクリングロード

2011-05-23 | traveling, town walking

夕方に涼しくなったので、港へ散歩しながら食事に出かけることにしました。旧英国領事館へタクシーで行くか、船でレストランに行くか、港で食堂を探すか考えましたが、港へ歩くことにしました。散歩道は整備され、途中サイクリングロードに出逢いました。家族やカップル、おひとり様それぞれ楽しんでいました。


さらに、港公園では夜景も綺麗で、多くの人がくつろいでいました。結局、港湾まで行きましたが、食堂は少なく、洒落たレストランは満員で、コンビニでサンドイッチを買ってホテルで食べました。朝食をしっかり食べるのが、経済的小旅行です。
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寿山公園

2011-05-23 | traveling, town walking

天気は薄曇りでも日中は30度近くあります。博物館から寿山へ向かいました。途中商店街を歩きましたが、日曜日のためかシャッターが多く下りていました。フルーツ点で本場台湾バナナを買い食べました。大きなマンゴが100元ですが、ナイフがないので買いませんでした。


流行っている食堂を見つけ、冬粉と菜と飯を伝票に記入し注文できました。135元で、クーラーが聞いた食堂で、熱い料理です。


その後、寿山を目指して歩きましたが、暑かったので頂上の神社を諦め、タクシーでホテルに帰り、昼寝です。台南、高雄は熱帯地域で昼間より、夜型の活動になるのは必然です。
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高雄愛河

2011-05-23 | traveling, town walking

アンバサダーホテルは愛河のほとりにある高層ホテルです。ネットでお値打ち予約のためか、高層マンションしか見えない部屋でした。ホテルの近くにはレンタル自転車もありましたが、カード式でその場では借りられません。愛河のほとりでは日曜日のためか市民がくつろいでいたり、散歩をしていました。河の水は綺麗になってきたそうで、魚も飛んでいましたがまだ汚いと思いました。


 暫く休んでから、川沿いに歩き、博物館へ行きました。これは旧高雄市役所でした。この時代から洋風建築から、「中国建築、朝鮮建築、そして、日本建築の意匠を積極的に用い」(西澤)て、変化しました。「棟屋に宝珠のついた宝形(方形)屋根が架けられ」ました。


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