NHK・100分De名著 資本論・講師斎藤幸平
今どきの若い人気学者に、白井聡と斎藤幸平がいる。白井は「永続敗戦論」や「国体論」(天皇かアメリカか)など鋭い指摘をする。彼の「武器としても資本論」は、手に取ってみたものの読んでいない。斎藤の「人新生の資本論」は予約しているが、まだ届いていない。NHKのテキストは論点が整理され、事例もあり分かり易い。見出しも鋭い。資本論は持っているがかじった程度で、もう一度読もうと言う気にはまだなっていない。
資本論はマルクスが資本主義の根本的な仕組みを分析し、労働者が資本家に安い賃金で長時間働かされる原因を明らかにした本である。その解決は資本主義の未来社会・社会主義でなければ解決しないという。北朝鮮は論外であるが、中国も市場経済を取り入れ、社会主義国家と言えるか疑わしい。何よりも国民の人権、自由が保障されるかである。テキストから気になった点を、以下メモ書きする。( )内は私のコメント。
ソ連が崩壊しマルクスを研究する人が減った。その結果、資本主義を批判する人がいなくなり、グローバル化が進行、「新自由主義」という市場原理主義が横行。資本主義の横暴で私たちの生活も環境もめちゃめちゃになっている。世界の富豪26人の総資産額は、地球上の人口の半分に匹敵する。日本でも庶民は長時間、不安定雇用、低賃金で貧しくなるばかり。年収200万円以下の人は1200万人いる社会で、若い世代が希望を持てない。(豊田市は住みよい街とPRしていて、「ミライのフツウ」を掲げるが、具体的に何を指すのか、どうしたら普通に暮らせるか不明である)。
アメリカでは若者が、社会主義を肯定的に捉え、サンダー旋風がおきた。グレタさんは「無限の経済成長というおとぎ話」と批判し、資本主義にかわる「新しいシステム」を求めている。これらはソ連や中国のような社会主義を標榜する独裁国家ではない。
1回 商品に振り回される私たち
商品に振り回される私たち。人間は積極的に自然に働きかけ、自然を変容し(壊し)、自らの要求を満たしている。自然と人間の循環的な過程を、「物質代謝」と呼んだ。
資本論の始まりは商品で始まるが、資本論そのものは富から始まる。誰もが憩える公園、地域の図書館、公民館は、社会にとって大事は富である。社会の富が資本主義社会では、次々と商品に姿を変えていく。
資本主義社会では資本を増やすこと自体が目的となる。
使用価値とは、人間にとって役に立つ有用性のこと、人間の様々な欲求を満たす力である。物が商品となって交換される価値は、その商品を生産するのにどれくらいの労働時間が必要であったかによって決まる。
価値のために物を作る資本主義のもとでは立場が逆転し、人間が者に振り回されるようになる。このことを物象化と呼ぶ。政府が立案した「gotoキャンペーン」は、人間のために経済を回すのではなく、経済を回すこと自体が自己目的となる。
使用価値を無視した効率化は、必要な物やサービスを削り、あるいは質を低下させて、社会の富を貧しくしていく。非常勤を増やす図書館運営(豊田市では民間に指定管理委託)、図書館で働きたいと言う人が減りサービスの質も低下する。(保育園の公設民営化も安い民間の保育士は長く続かない。保育のサービスの低下を招く。)
2回 なぜ過労死はなくならないのか?
資本とは、金儲けの運動であり、金儲けを延々と続けるのが資本主義である。
2015年電通で過労自殺があった。1日2時間、週10時間しか寝られないこともあった。鬱など精神疾患が増えている。(豊田市も精神の病が増えている)
賃上げより労働日の短縮 資本主義の生命線である新市場の開拓による価値の増殖が強化している今、企業が収益をあげるために採りうる方策は、さらに労働時間を長くすること、もしくは賃金をカットすることである。(「原価低減」に外国人労働者の利用がある。さらに、成績主義による競争で労働強化、不景気に解雇する非正規労働者の利用がある。)
賃上げされたとして、長時間労働が解消されなければ意味がない。賃金を少しばかり上げて、その代りに長時間労働もいとわず、自発的に頑張ってくれるなら、剰余価値・資本家の儲けは増えるだろう。
今後、車の運転が自動化されれば、さらにスマホを触る時間が増えて、IT界の巨人たちはますます資産を形成していく。便利な世の中になったら、私たちの生活全体が資本によって包摂される。
3回
資本主義は膨大な富をもたらしたようにみえるけど、私たちの欲求や感性はやせ細って、貧しいものになっている。マルクスはこれを疎外という。
資本主義のもとで求められたのは、労働者を重労働や複雑な仕事から解消する新技術ではなく、彼らがサボらず、文句を言わずに、指示通りに働いてくれるリノベーション、つまり労働者を効率的に支配し、管理するための技術なのです。
資本主義のもとで生産力が高まると、その過程で構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断される。構想と実行の分離は、生産工程を細分化して、労働者たちに分業させるという方法である。誰にでもできる単純作業は、自分の代わりになる人は、工場の外にたくさんいる。仕事を失いたくなければ、不平・不満はぐっと飲みこんで、ノルマを達成すべく、黙々と働くしかない。資本家との主従関係が強化される。これこそが、疎外の原因である。
機械化が進んで生産力が2倍になれば、労働力は半減し相対的労働力の過剰となり、不景気ならリストラする。(コロナ禍で非正規がまず解雇される。自営業者も廃業する。外国人労働者は減っているが、低賃金労働者として入管法緩和で移民が増える。)
構想と実行の分離を乗り越え、労働における自律性を取り戻す。各人が能力に応じて「全面的に発達した個人」である。労働力という富を生かしながら、社会全体の富を豊かにする。効率を優先した学校の給食センター方式は、各校の給食室から構想を奪い、調理をするという実行も剥奪して、作業、配膳という単純作業にした。郷土料理や地域食材利用による地域振興もない。
4回
資本による土地の略奪、労働力の消耗は同源で、どちらも際限のない増殖を目指す資本の盲目的な掠奪欲(強欲)である。こうした掠奪が人間と自然の物質代謝をかく乱し、都市と農村の対立を生む。自然からの略奪を放置している現役世代は、そのツケを将来世代に払わせ、また先進国は途上国に押し付ける。これを外部化という。
資本主義に代わる社会は、アソシエートした労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能に制御することだ。アソシエートするとは、共通の目的のために自発的に結びつき、協同するという意味である。資本論はエンゲルスが編集した未完の書である。マルクスが目指した豊かさは、個人資産やGDPで計れるものではない。
脱成長という第3の道、GDPだけを重視する経済から脱却して、人間と自然を重視し、人々の必要を満たす規模を定常するという意味で、「脱成長経済」という。
資本主義のもとでは様々な不平等が生じ、不平等が多様な階級を作って、そこに貧困や困難が固定化(白井は階級の固定化)されている。