豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

なくそう浜岡原発

2011-07-24 | 平和・人権・環境・自治制度

昨日、豊田からバス1台で、浜岡原発の廃止を求めた集会に参加しました。11時から駿府公園で集会をし、炎天下1時間のパレードを行いました。

その後、浜岡原発のPR館を見学しました。東海地震の震源域の真中にある原発は、防波堤の建設だけで安全かは疑問です。
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西尾祇園まつり

2011-07-17 | 都市計画・まちづくり

15日から三日間、今年から名前を祇園祭に変えて行われました。16日午後6時からの大名行列を、肴町へ見物に行きました。車を図書館に留めて、矢場町経由で日陰を歩きました。

既にしし舞が祝儀を貰いながら練り歩いていました。6時10分前から出発式がありました。肴町の通りはカメラマン以外少なかったです。

中央通りのマーチバンドは、歩行者天国や露店もあり大賑わいでした。本町の大黒屋の襖絵をちらっと覗き見し、アユ饅頭を食べ歩き、木綿問屋深谷屋敷跡、郡方役所跡、水野氏邸宅を見て、そば平で天盛そばを食べて帰りました。
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日本の近代「都市へ」

2011-07-15 | 気になる本

鈴木博之(1999)『都市へ』(中央公論新社)
 この本は日本の近代シリーズ10です。著者は建築学を修め、歴史や都市の文化を語っています。江戸時代から明治、大正、昭和の近代化で、何が残され壊されたのか。西尾の城下町、中心市街地の歴史を調べていて、参考となりました。付録の松山との対談で、現代は「都市の歴史を消しさる歴史」であり、中曽根内閣のアーバンルネッサンスの政策から壊されたのだろう。産業は「都市を創る」(文化・風格のストック)のかという疑問は、企業都市豊田を見ていると同感です。都市を動かすのは土地所有者であり個人の要望が、実情としています。建築自由の日本の都市制度は、それを守れていないというのも同感です。勝てないことが多いですが、私もそれに対抗してきたつもりです。また、江戸は田園都市であったという指摘について、西尾の城下町も「田園的な都市」で、コンパクト・シティであったと思います。田園的というのは城下町の周辺は農地であり、殿さまの権力による集中で、封建制度の侍は「安いサラリー」で暮らしていました。1871年(M4)の廃藩置県から、侍と町人の区別なくなり地租がかけられました。下級武士は生活のために土地を手放したのではないでしょうか。城下で栄えた富裕商人が岩瀬文庫、尚古荘、義倉など、貴重な文化遺産を残しました。西尾市の近代化は道路拡張、鉄道敷設、花の木耕地整理が大きな事業で、今の都市の骨格を造りました。
 本では「バブル都市へ」の理由の1つとして、1963年の建築基準法が絶対高さ制限から容積率制になったことを挙げています。西尾の中心市街地に高層マンションがいくつか建っています。特に商業地域では容積率400%で、タワーマンションが「適法」となります。総合計画に基づき、08年度に景観基本計画策定の予算化が行われても、執行されなかったのは不可解です。「文化財建造物は、『保存』、『安全』、『活用』の三要素の近郊のとれたかたちで実現することが要求」されています。近代化遺産の保存を、登録制度の活用で勧めています。しかし、他にも重伝建の可能性、デザインコード、路地の保全、景観計画、助成制度などあります。最後に「改めて都市へ」で著者の叫びとして、「ストックとして長持ちする都市建設」を、「都市は決して投資効果によって判断されるべき経済空間なのではなく、ゲニウス・ロキに満ちた場所の連なりなのだ」と、訴えています。
(写真は八ツ面焼きと思われる壺で、素朴ですが、何か味わいを感じました。)
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そば平

2011-07-15 | 都市計画・まちづくり
先日、中町においしいそば屋があると聞いて行ってきました。中町には建築自主ルールがあると本で読みましたが、中町でなく菅原町でした。それでも入口は門、塀、前庭の北山杉など京都風でした。建築は15年程前だそうです。盛そばが800円で、卵焼きは特別注文で400円でした。そばはやや淡白な感じで、その分つゆは辛めでした。卵焼きはとてもおいしかったです。
<特記>
昨日、梅雨があけてから初めて蝉が一匹鳴きました。
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「トヨタテストコース」のアセス公聴会

2011-07-11 | 都市計画・まちづくり

先日、下山で行われた公聴会に参加しました。参加者は4~50人で、公述人8人が坦々と意見を述べるだけで、マスコミも3社ほどでした。アセスの準備書の段階で、企業に代わって県企業庁が市の協力で、用地買収を終了させておいて公聴会で意見を言ってくださいでは、先に開発ありきで論議になりません。公聴会の案内も広報に小さく載っただけで、膨大な準備書を読む人はほとんどいません。「トヨタテストコース」の予定地は、301号線の下山の役場の反対側です。規模は652ha、改変面積は269haと野鳥など環境を配慮したとしています。
 一部非公開で交渉しているようですが、非公開のため評価ができません。なぜ企業のために県企業庁が肩代わりするのか、県条例にあるから適法としていますが疑問が残ります。愛知にとって経済発展のためとしていますが、第1に公共の利益になるか、第2に公平な審査ができるか、第3に地域の経済効果はあるのか不明です。審査する人では企業の環境アドバイザイーをしていたり、許認可の簡素化、迅速で便宜をはかります。経済効果も社員3850人の新規採用はなく、中小企業への効果も数値で示していません。里山の保全をいいますが、イノシシ被害、耕作地放棄の続く中、足助、旭など他地区へのビジネスモデルとならず、持続可能性がありません。西三河の産業空洞化が進みつつある中で、県民、市民の塾議が望まれます。写真の谷津田で水田も買収し、耕作地をため池にする計画です。
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スーパーマーケット

2011-07-08 | 都市計画・まちづくり
西尾市だけに限りませんが、中心市街地の空洞化はなぜ進むのでしょうか。都市形成の歴史から人口の増加があり、市街地の周辺へと展開しました。旧市街地には空地が少ないことから、外部へと開発が進みました。官庁街も駅西へ展開し、大規模な工場用地、学校、住宅団地も郊外へと、クルマ社会と共に展開しました。そして、中心市街地では一方通行のユニット規制、駐車場不足とスーパー、量販店、大型店の郊外展開があります。
今回はスーパーマーケットのやや郊外展開の状況をみます。10年間の大店法による届けを全てチェックしたわけではありませんが、中心地からドミーが3店SHAO、鶴城店、丁田町へと展開しています。おそらくマーケティングの結果でしょう。

鶴城店はコンパクトですが、周辺には量販店が併設しています。

丁田店では大きな駐車場を真ん中に飲食店、クリーニングなど併設しているのが特徴です。

「いつも」は分かりやすいネーミングで、Feelはじめ合同で出店しています。車ならミカや駅の店へ行くよりこちらに行くのではないでしょうか。
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六万石ギャラリー

2011-07-07 | 都市計画・まちづくり
本町にあった「本ちゃん工房」が移転したと話していたら、西尾市の職員から三間通りに町案内所があると聞いて訪ねました。火曜日に行ったらお休みで、水曜日に行きました。三間通りは子どもの頃、戸ケ崎からしょうげん用水沿いに道光寺を通り買い物に来た覚えがあります。今は一方通行で、郊外のスーパなどに客を取られているようです。はじめは福祉まちづくりの拠点だったようですが、4月からはギャラリーになっています。運営主体は吾妻町発展会で、貸出無料で売り上げの2割が手数料です。

内部はギャラリーと駄菓子コーナーもあり、子どもが喜びそうです。伝統ある建築物で空き店舗活用、三間通りの賑わい、身障者と社会の接点などを趣旨に頑張っています。抹茶、コーヒーなども飲めて、気軽に立ち寄れるところです。観光案内がちょっと弱いように思えました。現在は都築さんの油絵展で、次は「布世界」、ちぎり絵など予定されています。そのうち街並み写真展でもやってみたいなと思いました。

東の駅前にはタワーマンションが聳えています。通りと建物のことを聞くのを忘れました。
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伊文神社

2011-07-07 | 都市計画・まちづくり

神社そのものの成り立ちは別にして、入口には天王門があり、境内には義倉蔵があり、岩崎弥助が寄進した燈竜があります。さらには東側の林で、城下町の土塁の「小段」(写真)がみられます。

「義倉は幕末の安政元年(1854)、凶作による生活困窮者を救済する『義倉』(ぎそう)と呼ばれる組織が、西尾の商人(鳥山、吉見)らによって創設された。」(「西尾城下町ガイドブック)とあります。

燈竜の説明板では岩崎がなぜ岩瀬文庫を寄付したか理由が書いてあります。それによれば、「之を身にも人にも施し、且つ之を不朽に伝えんと欲す」とあり、資料を一般公開し保存する意図がうかがえます。「歴史と文化を生かしたまちづくり」を、私財で郷土のために進めるという、現在とは違った富裕商人の意思を感じます。
 この後、久しぶりに「かねぶん」で、うなぎを食べました。以前はなまずのかば焼きもありましたが。子どもの頃は北浜悪水で、最高9匹釣ったことがありました。
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北浜川

2011-07-06 | 都市計画・まちづくり
西尾市の市街地を通るのは、北浜川と二の沢川です。道光寺町辺りで道光寺川としょうげん用水、北浜悪水が「合流」しています。中心市街地では通称緑川と呼ばれています。道光寺川は暗きょのようです。いずれも取り入れ口は矢作川ですが、河川として管理されているのは緑町、寄住からです。県の管理系統図では、道光寺川としょうげん用水が間違っているようです。道光寺川が暗きょで、現地を知らないのでしょうか。写真は子どもの頃に遊んだしょうげん用水で、道光寺から北浜川と並走しています。下流の受益者がいないので、ここから水は流れていません。
 矢作川の沖積層と北浜川の北東30°位の傾き、それと鉄道の傾きは、そのまま市街地の傾斜角度となっています。この市街地の傾きは金沢市と同じですが、市街地形成の重要な要素となります。今回調査の「新発見」です。子どもの頃住んでいた西尾の家の向きが、真南でなかったのが納得です。
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味噌料理「伝」

2011-07-05 | 都市計画・まちづくり

暑いので日中は施設へ資料収集に回りました。最初に歴史公園の資料館に行って、西尾城の城郭、城下町マップを購入しました。西尾町の旧役場と足軽の長屋住宅の位置を教えて貰いました。その後、伝で食べ放題ランチ・飲み物1470円を味わいました。写真は1回目の取り皿分です。はとやの蔵も見学できます。お土産売り場は新築建物となりました。古い機械も展示してありますが、地震があると危ない建物が気になります。大駐車場はドミーの跡地だそうです。ドミーは分散して、SHAO,鶴城店などがあります。

「西尾でドットコム」情報によれば、西尾城の鯱鉾で廃藩置県の時に、二度と建てられぬように尻尾を折られたとのことです。瓦と同じ焼き方でしょうか、逆光で見にくいですが興味のある方はお出かけ下さい。
 この後、市役所と県事務所に行き河川系統図を聞きました。また明日ご覧ください。
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