1975『昭和史探訪―もう一つの証言』5 番町書房
日本の債務残高1300兆円、日米金利差、賃金減少、円安で弱い経済。武器の爆買い、自民党の裏金疑惑、経済も政治も未来が展望できない。景気は悪いが物価は上がり、スタグレーションともいえる。異次元の金融緩和を続けているアベノミクスの失敗である。しかし、利上げできない日本で、ハイパーインフレの危険性もある。戦後インフレはどうであったか?預金封鎖にデノミは行われるのか?以下、著書の拾い読みである。( )内は私のコメント
p189 木村き八郎 平和日本の試練「戦後インフレ」
今まで辛抱していたものが、預金を引き出せるわけですから、食料の買い占めを非常に刺激した。(戦費調達の大量国債があり)悪性インフレに発展することは明白であった。戦後のインフレをひどくした一つの原因。それからもう一つの原因は臨時軍事費、昭和20年度で一年間850億円だったところが、終戦が8月だから七ヶ月残っている、それを全部使っちゃった。三番目は銀行の貸出が増えたんですね。軍需手形とか国債を日本銀行へ持って行って、新しいお札を受け取って貸すんだから、これはインフレになるんです。軍需生産はないんで、平和物資に転換するといったのですが、転換だってそううまくいってない、いわゆる横流し(利権)ですね。
新円封鎖して、凍結しておいて、最後には補償打ち切りによって、軍備会社から取れないものを、結局国民の預金を捨て切り捨てて救済した。
狭い国土に1億なんて人間は住めないんだと、何か4000万餓死するとかいうことを言ったことがあるんですよ。食料問題がものすごく重大化しちゃった。アメリカから食糧援助はなかったのです。その後ドッジになってから援助があったんです。結局戦後のインフレの悪化した要因の一つは、預金の引き出し。第二は臨時軍事費の850億の予算を、まだ七ヶ月も会計期間が残っているのに全部使っちゃった。それから三番目にはその銀行の貸出なんですよ。もう一つ原料がないということを忘れて、いくら金をだしたって生産が増えるはずもない、でも石橋さん大ミエ切ってインフレ政策を助長したのです。
なんでも税金でまかなえと、いうことで民商が反対運動を起こした。それを基礎にして共産党がずっと伸びていった。昭和24年に中国に共産主義政権ができました。ソ連に対抗するアメリカの軍事基地としては中国だったのです。中国をソ連に対する反共の危機としておったから、日本は問題にしていなかった。日本から軍事基地を撤去しちゃう。それから陸海軍を解体する。パージをやって戦犯を追放させる、農地解放する。日本は極東のスイスみたいにする、とマッカーサーは言っていた。もう一つは、日本の工業水準を高める、これがアメリカの軍事経済力を、共産主義に対して強化することになる。そういう意味でアメリカは日本に援助したのである。インフレが収束したのはドッジさんが決め手だったのか?そうですね。超均衡予算でピタッとなったんです。アメリカの援助があったからよかった。その反動がくるはずだったが、その時に朝鮮戦争が始まった。
経済産業の基本は重化学工業であるが、ネックは燃料だった。炭鉱は日本人よりも第三国人が多かった。それもものすごい悪条件でやっていた。それが終戦で朝鮮の人たちが引き上げちゃった。ドッジのやり方はドラスティックであった。ものすごい税金攻勢ですよ。所得税が増税された。困ったのは中小企業者です。商店の息子はものすごく共産党に行きました。
新円切り替えのとき金融緊急措置令は準備しないと大混乱するのでは?証紙で対応した。月に500円位しか下せない。最後は預金封鎖した。例外措置をコネのある人(利権、裏金)はすり抜け、まじめな人が損をした。いままた物価安定(日銀の本来の役割すら放棄)と言われますが?1953年に360円を280円に、さらに切り上げろとアメリカは言ってきた。最初の切り利上げ以降、それでも輸出が増えドルがたまるので、アメリカの圧力高まった。しかし、円の再切り上げは防げなかった。アメリカがドルを10%切り下げちゃった。だから円は切り上げに、残ったのがインフレです。その後石油ショックから悪性化しちゃったのですね日本は。
コメント
円安・インフレを止めるには利上げは避けられない。利上げできる環境づくりは、「最低賃議員全国一律1500円と中小企業支援」「消費税減税」「社会保障の充実」です。関野秀明「インフレ不況と出口戦略」赤旗5・28とある。岸田政権は武器爆買いの軍事費増大で社会保障削減である。自民党は金権腐敗政治である。出口戦略を国民的議論で、政権交代の政策にすべきではないだろうか。
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