Con Gas, Sin Hielo

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「オッペンハイマー」

2024年04月07日 09時04分38秒 | 映画(2024)
天才が背負う責任。


来年は昭和100年だという。最近の昭和ブームは高度経済成長からバブルに至るまでの、いわば昭和後半を対象としているが、何よりも昭和を象徴するできごとであり、わが国全体の大きな転換点となったのが昭和20年の敗戦であったことは言うまでもない。

日独伊の三国同盟で連合軍に立ち向かい、他国が陥落する中で最後まで戦いを諦めずにいた結果として、広島と長崎に原子爆弾を投下され、わが国は今でも続く世界唯一の被爆国となった。

その歴史から、世界のどの国よりも原爆に対して強い思いを持つわが国において、本作の扱いに様々な意見が出たことは当然である。

作品の中身を見ずに公開に反対するなんて、という声も聞かれた(私も同感である)が、そのような思いを抱く人がいるということは理解できる。

本作は、わが国を除く世界では昨年の夏に公開され空前のヒットを記録した。先ごろ発表になったアカデミー賞でも主要部門を多数獲得し、そうした実績を引っ提げて、ようやくわが国でも公開されることになった。

結果的には良かったのかもしれない。公開の是非を巡る議論が沸騰していたころから作品の存在は広く認知され、今回の公開はIMAX等のフォーマットを網羅する大規模なものとなった。我々は巨匠C.ノーラン監督がこの問題をどう捉えたのかを鑑賞し、冷静に向き合うチャンスを与えられたのである。

上映時間が長いという話は聞いていた。オッペンハイマー博士の人生について、原子爆弾を開発し広島・長崎で使用するまでの上り坂と、その後思想の変化を伴いながら没落していく下り坂の両方を描くということも、前情報として知っていた。

実際に観てみると、前半と後半は想像以上にすべてが異なっていた。まるで2つの違う映画を観るようであった。

後半でメインとなるオッペンハイマー博士の聴聞会、ストローズ議員の公聴会の場面は前半にも登場するが、前半は基本的にその聴聞会で博士が語る過去の経緯が主となる出世物語である。

前半はとにかく勢いがある。天才故というのだろうか、道徳からかけ離れた行為を数多くやらかしながらも、それを力ずくでねじ伏せるべく成果を上げていく。理論の内容などはこちらの頭には入ってこなくて何を言っているのか分からない場面が多いが、あれやこれやしながら、彼の名はやがて世界政治の舞台に届くこととなる。

米国軍の将校から、原爆製造の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」への参画を持ちかけられた博士。もともと研究の傍らに取り組む組合活動にも熱心だった彼は、自分の研究が国の役に立つなら、もっと言えば、自分こそがドイツに打ち勝つための最重要人物であるというほどの気概で原爆開発に身を捧げることを決断する。

科学と政治の付き合い方は難しい。学問は政治から切り離されるべきだという正論は述べつつも、政府からの交付金がなければ研究は続けられないし、政府としても限りある予算の使い道として公のためになることを説明できなければ資金を与えることができない。

軍事利用を禁止すべきだと言っても、どこで線引きをするのか、違う目的で進めていた研究を他者が軍事に転用する可能性はないのか、簡単には整理できない。

その中でひとつ分かることがある。それは餅は餅屋だということ。

博士が少なからず政治的な意図をもって原爆の開発に当たったことが、世界の歴史と、博士自身の人生を変えてしまったような気がした。

特にドイツが降伏した後、何故開発を続けたのか、そして広島・長崎に原爆を投下したのか。今も一部のアメリカ人は、原爆投下こそが戦争を早く終わらせて多くの人の命を救ったのだと主張するが、それは絶対に間違いである。

原爆投下の予行演習であった核実験の成功をもって前半は終わる。広島・長崎への実際の投下はニュースの音声として流れ、映画は後半の聴聞会と公聴会へと移る。

世の中は、原子爆弾から更に強い水素爆弾への移行を目指していた。その中心となっていたのがストローズであり、彼はこの功績をもって重要閣僚に成り上がろうとする野心的な政治家であった。

ストローズは天才・オッペンハイマー博士を新たな研究所の所長に招へいしたが、博士はそのころ既に宗旨替えをしており、ストローズと博士はことごとく対立することとなる。

立身出世の物語が一転して法廷モノのような空気に変わる(裁判ではないと口酸っぱく言われるが)。大音量と激しい動きがあった前半と正反対の「静」の空間へと変わる。

劇中では、アインシュタイン博士に「人はどこかで業績に向き合うときが来る」というようなことを言わせている。原子爆弾の開発と投下は、ひとりの人間が引き受けるにはあまりにも大きい事象であった。事実かどうかはともかく、劇中のオッペンハイマー博士は良心の呵責に苛まれ、一時的にその地位を失う憂き目に遭う。

時とともに人心が移ろう様子も克明に描かれる。原爆投下直後には地鳴りのような大きな歓声で博士を称賛した人たちが一転してオッペンハイマーに懐疑的な目を向ける。一時の勢いに乗って物事を決めることがなんて恐ろしいことか。情報が瞬時に世界を行き来する現代だからこそ肝に銘じたい。

聴聞会はストローズの謀略のためか非公開で進められた。そのため事実かどうかは分からないのだが、オッペンハイマー博士を追求する弁護人が広島・長崎の原爆でどの程度被害が出ると予想していたのかについて強く詰め寄る場面があった。博士はあまりにも大きな被害が出たから宗旨替えをしたと言ったのだが、では何人ならば良いとなるのかということである。

当然博士は返答に詰まる。ブレているのである。あれだけのことをやっておいて、今更きれいごとの世界に逃げようとしたってそれは許されないでしょう?

この映画はオッペンハイマー博士を否定はしない。多くの間違いを犯すひとりの人間として描いている。ただ彼は天才だったため、その間違いが世界や多くの人の人生を変えてしまったという事実を語っている。

最後は博士だけでなく、ストローズも痛手を被る。しかし、この一連の原爆開発で最大の被害を受けたのは世界中のすべての人である。80年経った現代においても、どこかで狂人が現れて核のボタンを押すことがないようにと願うことしかできなくなってしまったのだから。

(80点)
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