Con Gas, Sin Hielo

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「母性」

2022年11月23日 19時03分15秒 | 映画(2022)
母性が先天性なら「親ガチャ」という言葉は成り立つ。


戸田恵梨香永野芽郁の首を締めようとしているポスターがショッキングな本作。

母は言う。「私は強く、娘を抱きしめました」。娘は言う。「母は強く、私の首を締めました」。

何故二人の間にこれほどの乖離が生まれたのか。物語は、母の証言、娘の証言、母と娘の証言という三部構成で真相に迫っていく。

なにしろ原作が湊かなえである。観る側としては、普段目を背けている人間のどす黒い部分を俎上に載せてくる覚悟で臨んでいた。

しかし、冒頭でいきなり社会人となった娘役の永野芽以が出てきて肩透かしを食らう。あ、この母娘は最悪の結末を迎えるわけではないんだ。

母・ルミ子は、上流家庭で母親の温かく大きな愛に包まれて育ってきた。その存在は大きく、母の強い想いに応えることがルミ子の行動規範の最優先事項となっていた。

結婚相手には、母が気に入った絵画を描いた男性を選んだ。はじめは彼の画風に魅力を感じていなかったが、母が最大の賛辞を述べるのを聴いて、自らの意識を寄せていった。

実家を出て夫婦で住むようになっても、ルミ子の母親第一主義は変わらなかった。ルミ子が生きていく中での正解は、必ず母親が示してくれた。やがて娘を授かり、母はたいそう喜んでくれた。自分はこのまま幸せな人生を歩めると、ルミ子は疑いなく思っていたはずだ。

しかし、突然その日はやって来た。あろうことか最期に母がルミ子に言ったのは、自分ではなく娘のために生きろということであった。

「母の愛が、私を壊した」という言葉がキャッチコピーに使われているが、ルミ子の母は決定的に誤っていたわけではなかった。娘から母になる過程を伝えるべきではあったが、不幸な事故でかなわなかったに過ぎない。

親の自覚を持てずに子供を不幸な目に遭わせる事件が絶えない。そうした親は子供を持つべきではなかったのか?

本作でルミ子の娘・さやかは、女性は二つのタイプに分けられると言う。母親タイプと娘タイプである。

しかしそれを認めるとして、娘タイプが子供を育てることができないとは思えない。そもそも子育ては親だけで成り立つわけではない。半分以上は子供自身の資質に依るものだと思う。親はなくとも子は育つと言うし。

つまりこの映画を観て思ったのは、母と娘の話として興味深くはあるものの、ルミ子のキャラクターが特異で心の奥深くまでは染みてこないということである。

もう一人言及が必要な母親が高畑淳子が演じる義母である。性格がキツく、ことあるごとにルミ子に強く当たるが、いわゆる毒親だとしても子供が必ず不幸になるわけでもない。

だから子育ては難しい。そして時々とてつもなく楽しい。

(70点)
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