この原左都子は、昔から“涙もろい”。
そんな我が“涙もろさ”は10代後半期の思春期頃に頂点に達していた。
昨日(2023.02.22)、甲子園にて21世紀枠で出場した「城東高校」は我が母校なのだが。
今では入試制度が総合選抜制に移行していて、生徒数における男女数がほぼ同数となっているようだ。
昨日の甲子園大会での城東高校の活躍を、この私も垣間見たが。 応援団も含め、一見して男女数の偏りが無くなっている事実を把握した。
以前、当エッセイ集内で公開した記憶があるが。
この城東高校は、元県内一の名家子女が集まる「女学校」だった。
その歴史的影響が未だ色濃く残る時代に、私はこの城東高校へ入学して卒業した。
私が入学した当時は、既に男女共学になっていたのだが。
どうしても「女学校の残影があった時代であり、何と言うのか、その“女学校時代の名残が強い校風”が全く私に合わず…
城東高校時代の3年間を、私は“死んだふりをして”過ごしたと言っても過言でないだろう。
そんな城東高校の卒業を迎える頃、正直言って私は内心“清々”していた。 これでやっと私は、“女子世界”から解放されて自由奔放に私らしく生きられる!! がごとく。
卒業式を間直に迎えた卒業式予行演習の時のことだ。
卒業生代表の「答辞」を女子生徒が読み始めたのだが。 これが城東高校の歴史(上記参照)も交えた実によくできた内容だったのに、ついついホロリとさせられてしまった。
予行演習であるにもかかわらず、私はおそらく会場内の誰よりも答辞を聞いた感動で“大泣き”した。 それにつられた周囲の女生徒も泣き始めて…
教室へ帰って後も未だ感動冷めやらずに泣いていた私に、友が言った。「〇ちゃんが大泣きするからつられたよ」
この時の我が心情を説明するに、そもそも在校中ずっと城東高校が嫌いだった私故に、卒業するのが辛いなどとの殊勝な心情は一切無かった。 ただただ答辞内容の素晴らしさに感動しただけの話だ。
さて、本番の卒業式に於いても、同じ答辞が繰り返された訳だが。
二度聞いても心に染み入る答辞で、またもや“大泣き”した私だ。
さすがに答辞も二度目ともなると、予行演習の時に比してこれを聞いて泣く生徒は激減していた。 そんなことは関係なく、とにかく泣けた私だった。
表題に戻そう。
かと言って、城東高校卒業に対して熱い思いがあった訳でないどころか。
あの(私には全く合わなかった)高校から無罪放免される事態に清々いていたものだ。
実際、私が生涯に於いて一番“違和感”が強かった所属組織は、かの城東高校だったと今でも言い切れる。
表題に戻すと、卒業式で泣いたからと言って、決してその学校に思い入れがあった訳ではないんだなあ。
最後に、無理やり昨日の春の甲子園大会に出場した現在の城東高校に話題を振ると。
部員13名にして、実に良くまとまった野球チームであったと感動させてもらえた。
相手チームに何らの遜色も無く初戦を正々堂々と闘った、と拍手させて頂きたい。
今後の城東高校野球部のご発展を、陰ながら応援申し上げます!!