原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

観葉植物 “アイビー” がニョキニョキ伸びます!

2021年02月24日 | 雑記
 (冒頭写真は、2019.12に購入した観葉植物“アイビー”。)



 これ、“アイビー”で間違いないですよね??
 
 誤っていましたらお詫びします。



         

 この“アイビー”ですが、元々はこの鉢に他の観葉植物と共に“クリスマスバージョン寄せ植え”の形で販売されていました。

 実は私はこの商品を、2019.12.26に8割引程の大バーゲン! で購入しました。😛 

 そして室内で水と太陽光を与えつつ育てたところ。

 2020.8頃まですくすく・青々と立派に育ちました。
 素晴らしい生命力!と驚いていたのですが。

 このアイビー以外のポインセチア等その他の植物は、9月頃から枯れ始め…


 それらを処分した後、元気に育っているアイビーのみを。

          
 当初、この小さめの容器に入れ替えて育て続けました。

 気が付くと、容器の下側が長く伸びたアイビーの根で満杯状態!


 そして2月に入ってから、冒頭写真の「雛人形模様の徳利」に移し替えました。

          
 これは、本日つい先程撮影した写真です。

 (参考ですが、右側は2018夏の米国西海岸旅行の際に、19歳時に短期留学した後々我が人生に於ける3度目の訪問だった “UCバークレー” 大学生協にて購入したマグカップです。)


 それにしても、アイビーはもの凄い生命力ですね!! 
          

恋の結実と別離の狭間 ー vo.l.3 ー

2021年02月23日 | 恋愛・男女関係
 冒頭表題の原版は、今から12,3年前の「原左都子エッセイ集」2008年10月バックナンバーに同題目にて公開している。


 その ー vo.l.2 ー版を、ちょうど今から1年前の2020.02.23に公開した。
 それが昨日のPopular entries にランクインしていて、少なからずの閲覧を頂戴している様子だ。

 今回は ー vo.l.3 ー版 として、三度(みたび)このテーマを取り上げよう。


 以下に、2008.10月公開の初版と ー vo.l.2 ー版の一部を引用させて頂こう。

  (2008年の)朝日新聞朝刊、沢木耕太郎氏によるコラム記事「銀の街から」の今回のエッセイ “ロミオたちの哀切な「その後」” に私はついつい惹き込まれた。
 早速、沢木氏によるこのエッセイの続きを、抜粋・要約して以下に紹介しよう。
 結ばれたか、別れてしまったか。 だが、それ以外の道は考えられないだろうか?
 中国映画「初恋の想い出」は、生き残ってしまったロミオとジュリエットの「その後」の物語だと言えるかもしれない。 この中国版のロミオとジュリエットが結果的に選択することになる「第三の道」は、そこに至る心の軌跡が十分に理解できる哀切な「その後」となっている。   (  中 略  )
  これによく似た同監督による映画「故郷の香り」では、その結果それぞれが別の家庭を持つ事になるのだが、この「初恋の想い出」ではそのような単純な展開になっていかない。 なぜなら、そこには「家」というより「肉親」が介在してくるからだ。 異性への「愛」と肉親への「情」がせめぎ合うことによりさらに複雑さを増していく。
 最後は二人が夢のような儚い行為をするところで終わっている。 これをある種のハッピーエンドと取るか、究極のアンハッピーエンドと取るか。 そこには、観客の側の「愛」と「情」というものへの考え方をあぶり出す、試験紙のようなものが含まれているようにも思われる。
 (以上、沢木氏のコラム記事より抜粋、要約)

 私(原左都子)は、フォ・ジェンチイ監督によるこの「初恋の想い出」も、同「故郷の香り」も観ていないのだが、この二人のその後が気にかかる。 二人が最後にした夢のような儚い行為とは一体何であったのか。 映画を観ずして私なりに二人の「その後」、ひいては一般的な人々の恋愛の行方を追ってみることにしよう。
 恋愛の結末とは多様であろうと私も考える。
 ロミオとジュリエットのように、宿命に翻弄された結果「死」に陥ってしまうような究極の悲恋もあろう。
 この世紀の大恋愛物語は別としても、沢木氏が述べられているように、恋愛の結末とは結ばれるか別れるかのみではなく、それ以外の選択肢があってもいい。 そして現実的に、恋する二人が無意識のうちにその二者以外の道を選択している事例は実は現世でも多いのではなかろうかと私は思うのである。

 あまりよい例ではないのだが、例えば「結婚」などというものは、“恋愛”としてはとうの昔に終焉している場合が多いのではなかろうか。 それでも形の上での二人の関係は続いている。 これなども一種、“結実と別離の狭間”に位置する関係と考えられる。
 もっと話にロマンを持たせて、ホウジアとチーランのような若い二人の純粋な恋愛関係における、結実でも別離でもない恋の結末に思いを馳せてみよう。
 結ばれもせず、別れもせず、恋愛感情を維持し続けたまま二人の関係を続ける事は可能だと私も思う。 例えば、友人として人間としての付き合いを続ける等…。 私自身、過去から現在に至るまでこういう経験は何度もありそうなのだが、これは恋愛感情が消え失せていないうちは相当の欲求不満を伴う業でもあろう。

 ホウジアとチーランの「その後」は“哀切”であるとのことらしいため、こういうよくあるような単純な話ではなさそうである。
 肉親の介在、「愛」と「情」とのせめぎあいの中でホウジアとチーランの二人が選んだ恋の結末とは…。 

 (以上、本エッセイ集2008.10バックナンバーを要約して引用したもの。)


 このエッセイには当時数多くのコメントを頂戴しているが。 その中から、最後に私自身が返信として書かせて頂いたコメントを以下に紹介しよう。

 〇〇さん、逃避行は今からでも遅くない!?? (原左都子) 2008-10-24 14:25:58
 すったもんだした挙句の果てに駄目になった恋ほど心に鮮烈に残っていますよね。
 ほのぼの幸せだった恋なんて私の場合皆無に等しかったのかもしれませんが、思い出しもしません。
 〇〇さん、逃避行はまだまだ遅くないですよ。
 燃えるような恋をして、地の果てまでも行かれてはいかが??



 このエッセイを綴った頃の私は、未だ50代初期だった。 (その時期の写真を最近見直す機会があったのだが、いやいやこれ程若かったのか! と自分自身が驚き羨望する始末だ…)
 正直言って、まだまだ“恋心”旺盛だったように振り返る。(参考ですが、“内心の自由”は法的にも保障されています。) かと言って、それにより家族に迷惑を掛けるなどとの不謹慎者でもなかったのだが…。

 とにかく独身時代が長かった私だが。
 上記コメント返答記載通り、私の場合“すったもんだした挙句の果てに駄目になった恋”しか経験しておらず、その思い出しかない。 ほのぼの幸せだった恋なんて、我が独身時代には実際皆無に等しかったのだろう。

 そんな私だからこそ、「恋の結実と別離の狭間」に関する私なりの結論が出せそうにも思う。

 上記の沢木氏による論評は無視させて頂くとして。

 「恋の結実と別離の狭間」を彷徨い続けるがごとくの恋愛時代を、長い独身時代に謳歌した私にもたらされたものは。 
 誤解を恐れず述べるならば。
 “豊かな想像力”と、 “我が人生に於いて係わりを持つ他者を受け入れるハート ” だったのではなかろうか??

 このエッセイを記して後、(昨年時点で)11年4ヶ月が経過している私だが。 
 そのような経験を通り過ぎて来たからこそ、現在そこそこ幸せに暮らしてるとの自負もある… 

 (以上、昨年2020.02.23公開の同題目ー vo.l.2 ー版より一部を再掲載したもの。)



 そして、上記 ー vo.l.2 ー版 を公開して更にちょうど1年が経過した2021.02.23の今。

 「介護保険証」が手元に届く程の高齢域に達している我が身ではあるものの。
 まだまだこの種のテーマの分析を続行したい!、と欲する私である事を嬉しく感じる日々でもある…


藤井聡太2冠の“高校自主退学”に思うこと

2021年02月21日 | 自己実現
 本日は、東京都立高校の入学試験日のようだ。

 我が家の娘に関しては、中高一貫私立を受験し入学したため都立高校受験は経験しておらず、親の立場でのその経験も自ずと無い。



 冒頭から、表題に関するネット情報を引用しよう。

 日本将棋連盟は16日、将棋の藤井聡太2冠(王位・棋聖=18)が今春、卒業を予定していた名古屋大教育学部付属高校(名古屋市)を1月末で自主退学したことを発表した。今後は将棋に専念するというが、なぜ、あとちょっとで卒業なのに退学したのか。天才高校生棋士として活躍した裏側で、対局スケジュールによって多忙を極めていたことも事実だ。プロ棋士も「それでもこの時期に退学とは…」と驚きをあらわにする。
 藤井2冠は、昨年秋には退学の意思を決めていたという。
 連盟を通して「タイトルを獲得できたことで将棋に専念したい気持ちが強くなりました。秋に意思を固め、数回学校と話し合いをした上、1月末日付で退学届けを提出いたしました。一層精進していく所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます」とコメントした。 
 藤井2冠は名古屋大教育学部付属中学に在学中の2016年10月、最年少の14歳2か月でプロ入り。17年に最多29連勝を達成し、社会現象を巻き起こした。18年4月に中高一貫校の高校に進学。高校在学中の昨年7月、棋聖戦5番勝負を制し、最も若い17歳11か月でタイトルを奪取。同8月には王位を獲得し、最年少の18歳1か月で2冠に輝いた。
 藤井2冠は昨年、王位戦7番勝負と棋聖戦5番勝負の対局のために地元の愛知から遠征を重ねるなど、多忙を極めた。そのために、一部では出席日数が足りていなかったのではとの推測もされている。それにしても、あと1か月ちょっとで卒業だったのに…。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 元高校教諭でもある原左都子の私事と私見に入ろう。

 高校とは義務教育の小中学校と異なり、卒業要件としての“出席日数”や“学業成績”が卒業認定の基準となる。
 これらが卒業認定基準に満たない場合、自動的に退学措置が執られる。

 我が高校教員時代に受け持っていた生徒の中で、「出席日数」不足にて退学措置となったケースはかなりの確率で発生した。
 この場合、本人や家族が既に出席不足である事実を承知していて、特段のトラブルは無かったものだ。

 これに対し成績が卒業認定を満たしていないケースに於いては、必ずや追試等々の救済措置が執られたものだ。
 ただし多科目において成績が認定を満たしていない生徒に関しては、そもそも「出席日数」も足りていない、要するに元々「卒業」に対する意欲の欠落がある場合がほとんどで自動的に退学扱いとなるケースが多かった。

 そんな中、私が「商業法規」の授業を受け持った生徒の中で、どうしても年間の成績が「1」評価しか付けられない女生徒が存在した。
 この女生徒だが今で言う(重度の)“発達障害”と私は見ていたが、本人の努力如何にかかわらず根本的に学習能力に欠落していた。 その認識は一部を除き教員達の間でも暗黙の了解があったはずだ。 

 学校へは毎日真面目に登校してくるのだが、そもそも学習能力に欠落しているため指導によりどうにかなるとの対象ではなかった。
 この女生徒の卒業認定に関して、教員間では評価が分かれた。
 「毎日真面目に登校してくるのだから、温情で卒業させてあげるべき」派と、「やはり高校卒業の条件として学業成績をある程度満たしているべき」派とが対立した。
 厳しいかもしれないが、私は教員の立場として後者だった。
 (実は私はこの女生徒に在学中ずっと懐かれつきまとわれた立場であるが故に、おそらく他の教員よりもこの女子に対する認識度が高かった。)
 そんな私が思うには、たとえ「高卒」の資格をゲットしたとして今後の自立が危ぶまれると想像した。 正直言って社会に於いて何らの分野にも使い物にならない存在となる危険性が大きいと判断した。 高卒の資格を与えてその後“知らんぷり”で卒業させるよりも、親御さんと面談して当該女子の今後の身の振り方(例えば専門相談機関を頼る、等々)を話し合うべきではないか、と考えた。
 ところが学校側が執った措置とは、「成績」をかさ上げして卒業させる事だった。
 これに逆らえるすべも無く、女生徒は「卒業」していった…
 今どうしているのか、まったく情報が無いまま年月が過ぎ去っている…



 さて、話題を藤井聡太2冠の高校自主退学に戻そう。

 この藤井聡太2冠の高校自主退学に関しては、「卒業まで後少しだったのにもったいないことをした…」等々のご意見も世間で見受けられる。
 
 この私も、そう考えた人種だ。
 高校の卒業認定とは確かに厳しいことを認識している立場にして。
 例えば、藤井2冠が「将棋活動」に費やす日々を“出席扱い”と出来ないものか?? なる元教師としての救済策を思いついたりもした。

 反面、藤井2冠の将棋に賭ける熱い思いの程を考察した場合。
 おそらく「高卒」資格など取るに足りないものなのであろう。

 藤井2冠に関しては、親御さんの育て方や将棋師匠の影響力の恩恵が絶大なのだろうが。
 ご自身の人生を将棋に賭ける覚悟(と言うよりも)そうしたいとのまさに熱い思いが伝わる人材だ。
 
 今後道を踏み外す事など、藤井聡太2冠にあるはずも無い! 
 と思わせてくれる程に、若くして素晴らしい人材だ。

 今後とも、藤井聡太2冠のご活躍を応援します!!
 

痛くない生き方

2021年02月20日 | 医学・医療・介護
(写真は、昨日の朝日新聞朝刊より転載したもの。)


 今回の我がエッセイ表題は、上記映画のタイトルをパクったものです。
 内容に関しては、さほど関連が無いかも知れません。


 一昨日の木曜日より、またもや高齢者施設に暮す義母の“大騒動”に巻き込まれてしまっている…
 
 木曜日の朝の事だったが、義母から電話があった。
 亭主が対応したものの、案の定「何が言いたいのか分からない程にまとまりがないのに加え、義母がこちらの声が全く聞き取れないため会話になりゃしない。」と嘆きつつ。
 亭主は現在足腰を痛めているのだが、「今日の午後、義母の病院付添いを〇子(私のこと)にお願いしたい。」と言ってくるではないか!

 「ちょっと待ってよ! そんな認知症状がある相手の話を鵜呑みにして安請け合いしちゃダメだよ! まずは義母の状況を施設に確認しなきゃ。 本当に病院受診せねばならない状態なのか分かったもんじゃ無いでしょ!」
 と反論しつつ、私から施設へ確認の電話を入れた。

 そうしたところ、やはり“急いで病院へ連れて行かねばならない状態”ではなさそうだ。
 どうやら昨夜自室で転び、右背中を打ったらしい。 直後に看護師氏に義母自らが相談に行き、看護師氏がシップを貼るとの対応をして下さったようだ。
 要するに、今すぐに病院へ駆けつける必要無しと看護師氏が判断したとのことだろう。
 私からの電話に対応して下さった施設のケアマネジャー氏も、その出来事を把握しており、「今朝もお義母さんは私の所へ一人で歩いて来られ、寝返りしたら背中が痛い旨を訴えられましたが。 “寝返り時に痛い”以外は普通に生活されていて、骨折している等の心配はなさそうです。 とりあえず週末施設で様子を見て、何か問題がありそうでしたら月曜日にこちらから電話致します。」とのご回答だった。


 その後も義母から立て続けに我が家に電話が掛かってくる。
 内容は決まりきっていて、「痛いから早く病院へ行きたい!」ばかりを訴えてくる。
 今朝も義母から電話があり、「今日整形外科へ行きたい!」の一本調子だ。

 さすがに亭主も苛々しつつ、「月曜日まで施設で様子を見るように」と指導したようだが、その返答が気に入らない義母が「施設で相談する!」と言って電話が切れたようだ。
 
 その後、施設より電話が無いと言うことは、おそらく義母の容体は大したことがないのであろう。


 以前より繰り返し記載しているが。

 我が義母とは、元々“医療依存派”だ。
 何処かに痛みや不快感が出ると、必ずや「お医者様に診てもらわねばならない」と信じて疑っておらず、それを実行に移している。
 一人で病院へ行ける能力があった頃には、私も(本人の好きにすればよい)と考え放っておいた。
 ただ私の診断だと義母には何らの致命的病状は無く、おそらく長生きする人だろうと読んでいたら、まさにその通りだ。 (今年90歳を迎えるが、認知症と難聴以外には未だ特段の致命的疾患が一切無い。)

 加えて、「私は早く死にたいの」とニコニコと言うのが相変わらずの義母の口癖だ。 
 これ、まさに聞かされる側にもなって欲しい。 義母としては、「何を言っているんですか。お義母さんには皆が長生きして欲しいと思っていますよ」との返答を期待しての発言なのだろうが…
 (またか… 不言実行でお願いしたいものだよ!)と思うのが、実際世話係を担当している人間の本音であろう。 それが分からないかなあ… )と返って嫌気がさすものだ。😩 


 確かに、人間何歳になろうが「痛み」とは痛いものだ。
 それは私とて日々実感しつつ暮している。

 要するに認知症状ある義母にとっては、「あすは回復しているだろうか」なる考察が既に失われているのであろう。
 “現在痛い、イコール、直ぐに病院へ行かなきゃ!” との方程式にがんじがらめにならざるを得ない脳内構造なのだろう。

 人間誰しも、「痛くない生き方」をしたいのが当然であり。

 義母に関しても、義母の意向(「尊厳死協会」に自ら入会している)に従って常に提言しているのは。
 「その意向はもちろん尊重しますが、痛みは辛いのでそれは取り除いてもらいましょうね。」
 この我が提言に十分に同意してくれている義母だが。

 義母が認知症故に、現在発生する“少しの痛み”に少しも耐えられなくなっているとすれば。

 来る“死に際”に際しても、大騒ぎをしでかす予感があるのだが…
 

NASA探査機が今朝方火星着陸に成功

2021年02月19日 | 時事論評
 (冒頭写真は、今朝方火星着陸に成功したNASA探査機パーサビアランスのイメージ写真。)



 早速、この件に関するネット情報を引用しよう。


 NASA火星探査機、着陸成功 生命の痕跡探して地球へ

 
         探査機パーサビアランスのイメージ=NASA提供

 米航空宇宙局(NASA)の探査機パーサビアランス(忍耐)が米東部時間18日午後3時55分(日本時間19日午前5時55分)ごろ、火星着陸に成功した。火星地表の写真も届き、管制室は大きな喜びに包まれた。パーサビアランスは今後、かつて湖があった場所の土壌を採取し、微生物など生命の痕跡を探す。火星のサンプルを地球に持ち帰る史上初の計画にも挑む。
 火星への着陸成功は2018年の米探査機インサイト以来。 着陸直後に交信を絶った旧ソ連の探査機を除くと9機目となった。
 パーサビアランスは昨年7月に打ち上げられ、半年かけて約4億7千万キロを飛行し、火星に到着した。この日午前5時50分ごろ(日本時間)、時速約2万キロで大気圏に突入。パラシュートやロケット噴射などを使って減速し、自ら安全な場所を見つけて着陸した。
 火星までの通信には片道10分以上かかり、着陸まではトラブルが起きても地球から支援できない「恐怖の7分間」と呼ばれる。NASAジェット推進研究所(JPL)の管制室では、マスク姿の職員が着陸を見守り、着陸のアナウンスが流れて地表からの画像が届くと、一斉に拳を突き合わせ、拍手をして喜んだ。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 私事になるが。

 米国西海岸に暮す我が甥(実姉の息子)が、現在NASAに勤務している。
 この夏大学院を修了し、秋に就業した様子だ。

 ところがこの通りの世界規模の“コロナ禍”。

 どうやら我が甥はカリフォルニア州のNASAに所属しているようだが、米国の厳しい“コロナ禍”状況で、未だ一度足りとてNASA現地へ勤務不能な様子だ。😵  
 実母情報によれば、自宅で日々テレワークに励んでいるとの事だが。
 実母(高齢のため発言内容の信憑性が不明なものの。😖 )が言うには、NASAは職員の優秀度ランキングを日々公開しているとのこと。
 そのランキングで、我が甥は新入職員中ダントツトップをキープし続けている程の優秀度らしい。 
 (まあ、分かるよ。 我が家系はどうやら生まれ持ってIQが高いようだ。 我が家の娘も出産時のトラブルさえ無ければ、今頃は米国甥と張り合えただろうに… )と、実母からの電話で思わせられたものだ…😥 

 いずれにせよ米国の姉とは絶縁中故に、今後甥とも会うことはないだろう。



 話題を米国NASA火星探査に戻すが。

 NASAの火星探査は、これ程までに進展していたのだと驚かされる。

 パーサビアランスは今後、かつて湖があった場所の土壌を採取し、微生物など生命の痕跡を探す。火星のサンプルを地球に持ち帰る史上初の計画にも挑む。 との記述があるが。


 まさに宇宙のロマンだなあ。

 NASA探査機パーサビアランスよ。 その名の通り“忍耐”強く今後とも頑張れ!