原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大学の授業内容を学生に決めさせる、などあり得ない!!

2019年10月03日 | 教育・学校

 先だって、朝日新聞「声」欄にアンビリーバボーな内容の投書を発見した。

 何でも、朝日新聞2019.09.16付記事内に“学生の視点で授業を改善する取り組み”に関する記述があったらしい。 (残念ながら、私は当該記事を読んでいなければ、その日の新聞は既に新聞回収に回したようだ。)

 その記事によると、例えば「学生が選ぶベストティーチャー賞」を設け、「いい授業をしている教員を学生が投票で選ぶ」だとか、「授業で扱うテーマなどに学生の希望を反映する」のだそうだ。

 

 早速私見だが。

 天下の朝日新聞が、よりにもよって何故こんな愚かな記事を公開したんだ!??

 大学を何と心得る?? 法律上も、「大学とは“学問の府”」との規定がなされているのを知らないのか!??

 私自身高校教諭経験があるが、その高校に於いてすら授業内容を生徒に決めさせるなど、絶対にあり得ない事実だ。 学校にもよるだろうが、年間の授業計画とは文科省によりその内容や範囲がある程度決められている。

 私が勤務した学校は底辺校(失礼な表現をお詫びするが)だったが故に、生徒の能力に合わせて教員の授業内容の自由度がある程度高かった。 それでも教員側としても、これだけは生徒に習得させたい!なる意思があるし、高校とは言えども生徒が授業内容を決められる程に学習内容は容易ではない。

 しかも、「いい授業をしている教員を学生が選ぶ」とは何事か!? そんなものを生徒(や学生)に選ばせたものならば、ラクな授業や点数・出席状況に甘い教官が選ばれるに決まっているではないか!

 (いや、もしも我が勤務高校現場でその投票がなされたならば、必ずや私は上位に選出されたであろう。 何故かと言えば、生徒の選抜基準とは授業内容には関係無く、その先生が“好きか嫌いか”の価値感のみであるに決まっているからだ。 自分で言うのも何だが、とにかく私、男女を問わず“生徒に大人気せんせー” だったのよ~~~~~。 一人で言ってよっ、っと。)

 

 私見及び私事が長引いたが。

 朝日新聞2019.09.27付「声」欄のこの件に関して反論をしている50歳大学教員氏のご意見を、以下に紹介しよう。

 (上記朝日新聞記事を受けて)、学生に「いい授業」を決めてもらう。 要するに、学生に頼って授業改善を目指すという狙いだが、私は反対だ。 教員は4年間の教育の全体像から自分と他の授業の位置付けを鑑み、自分の授業の目的と内容を具体的に考えていく。 そして、最適な方法で授業を行う。 学生のノートの取り方や理解度などの現状も知らねばならない。 それらすべてが教員の仕事だ。 学生は教員のこうした仕事の流れを知りようがない。 また自分が何を知らねばならないのか分からない学生も多い。 よって、授業や教員の評価を任せられない。 頼るなら同業者だ。 他の教員と授業を見せ合おう。 そして教員自身の力で改善しよう。

 (以上、朝日新聞「声」欄投稿から、一部を要約引用したもの。)

 

 最後に、私論でまとめよう。

 まさに、投稿大学教員先生のおっしゃる通りだ。

 私など、むしろ同業者との授業の見せ合いすら必要無いかと考える教員経験者だ。 と言うのも教員も千差万別、その思想や能力の開きが大きいものだ。 ただし、特に義務教育を含め高校までの学校教育とは、上述のごとく文科省による「学習指導要領」に依存せねばならないこともあり、ある程度「授業の見せ合い」は意味があるかもしれない。

 それに対し、繰り返すが、あくまでも大学とは“学問の府”であるべきだ! 

 大学教官には必ずや「学問」を学生に伝授せねばならない使命がある。 (聞くところによれば、高校までの学習能力が十分ではない学生を数多く入学させ、それらの学生達に対し高校までの復習をしている大学も多々存在するとの嘆かわしい現実のようだが…)

 そのような現状であるならば尚更、学習能力すら無き学生達に「いい授業をしている教員を選ぶ」資格など一切無いはずだ。

 ここはどうか、大学教官氏達よ。 

 自らの学問経験に自信と威厳を保ちつつ、今後共学生達に対し「学問」こそを伝授していただきたいものだ!