原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

可愛い我が子への正しい「遺産」の残し方

2019年10月28日 | お金

 昨日の「原左都子エッセイ集」“popular entries top 10” に、2013.07.17公開の「子どもに財産を残す前に自立して生きる教育を」と題するバックナンバーがエントリーしていた。

 このエッセイの内容とは、63歳との若さにして膵臓癌にて壮絶死した義理姉の遺産をめぐり、それを受け継ぐ(私に取っては義理甥にあたる)一人息子の「相続関係の無知度」等に関して綴ったものである。 

 早いものであれから既に6年以上の年月が経過している。 あの時は、我が人生が63歳で突如と幕を閉じる事態に対する恐怖心に苛まれたものだ。 幸いな事にその年齢を既に過ぎ去り、比較的元気にこの世を渡っている我が身に安堵させられる。

 あの時真夏の猛暑の中、認知症のある義母を引き連れて公証役場へ出向き、義母の相続内容の書換え処理を依頼したものである。

 

 さて本日は、当該バックナンバーの後半部分を以下に紹介しよう。 

 折りしも朝日新聞6月29日付別刷「be」“between”のテーマが、「子どもに財産を残したいですか?」 だった。  早速読者の回答を紹介すると、「はい」が57%、 「いいえ」が43% と、やや「はい」が優勢といったところだ。  「はい」派の言い分を紹介すると、「子どもの幸せに役立つ」「親としての義務」「自分も受け継いだ」「他人には渡したくない」「家名や家業を守る」 と続く…   片や、「いいえ」派の言い分は、 「残す財産がない」「子や相続させたい者がいない」「子どものためにならない」「相続問題を起こしたくない」… 

 なるほど、なるほど。

 ここで原左都子の私事に入ろう。

 私自身は条件付で「はい」派である。
 何故「条件付」かについて説明すると、何分我が子は多少の事情を抱えてこの世に誕生している。 特に我が子幼少の頃は、私の死後にこの子がこの世で命を繋げるべく財産を残す事も親である自分の責任範囲と深刻に考えていた。  それにしても大した財産もない庶民の身で如何なる手段で我が子に財産を残すのか、途方に暮れた時期もある。 とにかく若い頃より「貯蓄」が趣味の私は、我が子のためにちまちまとお金を貯える手段しか思い浮かばなかった。 何分「お抱え家庭教師」の立場の私は、まとまった労働収入を得るべく時間すらない。(我が単独所有不動産物件の賃貸収入は子育て中もずっとあったが。)
 両方の親族より毎年賜る我が子への(少なからずの)「お年玉」や各種お祝い金等を陰で貯蓄しつつ、我が子に対する金銭経済感覚教育も日々欠かさない私だ。
 「人間が生活するためには『お金』が必要。 それは天から降って沸いてくるものではなく、自分で努力して稼ぐものだ。 あなたも将来大人になったら、自立して自分で生活するお金は自分で稼ぐ事になるんだよ。 そのために今から勉強を頑張っておこうね。」
 この言葉を言い聞かせてきた鬼母の私である。 
 「持って生まれた美人度を有効活用して“いい男”をゲットしろ!」などとは口が裂けても教育していないぞ! アホな男に騙されて、せっかく私が貯めた微々たる預貯金をせびられてどうする?!? 
 (母親として少しばかりその教育が過ぎたところがあることを反省材料としつつも)、我が子は「お抱え家庭教師」である私の指導通り、着実に自立への道を歩んでくれている。 大学2年生の現在、資格試験合格をターゲットしとして大学の学問に真面目に励む日々だ。 

 上記朝日新聞記事の最後に、「相続」に関する専門家氏よりのアドバイスが記されている。 それを紹介しよう。
 相続に関するトラブル回避の最善策は「遺言を残す」事だ。 その際に、何故そういう分け方をするのか、その理由や自分の気持ちをなるべく詳細に書き残す事に加え、親である自分が残りの人生を如何に生きたいのかに関する自分の「取り分」も含めて考えるべき、とアドバイスされている。  おそらくこの専門家氏とは、相続元の親自体がある程度若い世代である事を想定しておられると推測する。 ところが、その後一族の相続関係が変化する事も多いにあり得るのは冒頭で示した通りだ。 
 結局「相続」問題とは各家庭により様々であり、実に困難な課題である事には間違いない。
 今回義理姉の死去によりそれを実感させられている現状の私である。

 そうだとしても、私は今後も引き続き我が娘に「自立」こそが今後の生きる道である旨を教育し続ける意向である。
 先祖の残した財産を巡って親族間でくだらない争いバトルを繰り広げるよりも、自分がこの世で生き抜くべく財産は自らの能力と実力で培わねばならない事を学んで欲しいものだ。
 人の財産の“おこぼれ”を狭い親族間で争うより、自らが稼いだ少しばかりのカネで自由にこの世を生き延びる方がよほど面白い事間違いない。

 (以上、2013年7月バックナンバーより後半部分を引用したもの。)


 このエッセイを記して6年余りが経過した訳だが。

 我が娘はその後もずっと我が“教え”に従って、着実に自己資金を蓄積し続けている。

 決してサリバンの私が成人した娘をひっ掴まえて、しつこく“金銭教育”を継続している訳ではない。 娘が主体的に成している業だが、これがサリバンの私としても唸りそうな実績だ。

 今となっては、私に「ちゃっかり娘」の称号を授けられている娘だが、とにかくそのちゃっかりぶりが大迫力だ。  何せ海外旅行にせよ何れの娯楽にせよ、サリバンに可愛くちゃっかりくっついて来ては、それらを堪能している。 (参考だが、亭主には旅行や娯楽の趣味がまったくないため、夫婦間公的年金独立採算制を貫いている我が家の場合、その娘の費用は全額サリバン負担だ。)  「たまには外食して来たら?」と娘に勧めても、遅くなっても必ずや家に帰って来て、私が用意したまずい夕飯を食べてくれる。

 そうこうして娘が貯めた預貯金総額が(娘の誕生祝やお年玉、合格・卒入学祝い等々で親族から貰った祝い金等に私が決して手を出さず、娘名義で預金していたものも含まれてはいるが)、今や私が30歳独身時に単独でマンション購入した時の金額に匹敵する額になっているのは、娘の快挙と言えよう。

 我が娘の場合は、今後も末永く親と同居してくれることであろう。 この勢いで娘本人が預貯金増額に励んでくれれば、親としても安心して先にあの世へ旅立てそうだ。

 「遺産」資金管理に関しても、今現在親の私が義母の資金管理に励んでいるのを日々間近で観察しているが故に、何らの知識無く悪党どもに騙されるという事も無いだろう。

 義母所有の不動産賃貸物件管理も親亡き後は娘が全面的に引き継ぐ訳で、それに関しても今後の課題として早い時期からサリバンが教育する予定でいる。

 せっかくの「遺産」を活かすも殺すも、それを引き継ぐ子の親の生前教育力に左右される事であろう。 

 

 (このボロパソコンめ! 私としては正確に打ち込んでいるのに、途中で文字が抜けるのどうにかしてくれ! 何分超高速ブラインドタッチ入力のため、途中で文字が飛んだのが実に分かりにくい……  えっ?、お前こそボロだろう、って!?