原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

実に腹立たしいのですが!

2019年09月26日 | その他オピニオン

 この我がブログの不具合は、gooに起因がある様子だ!

 今回公表した「発達障害」関連のエッセイは、最後の我が私見にこそ命があるのに!!

 

 明日以降、それを再度公開する所存でおりますので、既に「いいね!」等の反応を頂戴しております皆様、恐れ入りますが明日までお待ち下さいますように。 

 

 まったくもって、自分でもどーてもいいエッセイの時にはすぐさま公開できるのに…

 真剣に綴って公開したい記事が、何でこんな目に遭わねばならないのか!!

 悔し過ぎて、涙しか出ない…・・・ 


「発達障害」に関する正しい理解をお願いしたい!!

2019年09月26日 | その他オピニオン

 本日、ブログ関係のとある場で「発達障害」に関する記述に触れた。

 元医学関係者、そして元教育者の私より、是非とも「発達障害」に関する正しい理解をお願いしたく思い、本日の我がエッセイ集に於いては、過去に公開した「発達障害関連エッセイ」を2本再掲載させて頂く事とした。

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 まずは、2018.09.25公開の「発達障害の多様性」より再掲載しよう。

 本日いつものように昼の時間帯にNHKテレビを付けていたら。
 午後12時45分から始まる“連ドラ”再放送の3分程前から、「普通ってなんだろう?」と題する発達障害を取り上げた番組の予告編のような、短時間ショット番組を偶然見ることとなった。
 その番組に登場したのは、現在15歳との男子だったのだが。
 この少年が長身スリムで何と言うのか、カッコイイ雰囲気の男の子で、その外見を一見するからに既に“自己を創り上げている感覚”を私は抱いた。 
 この少年こそが「発達障害児」であるようなのだが、彼の「発達障害ぶり」が実に特異的だったのだ。
 娘のサリバン業を幼少の頃より主体的に担当している我が身にして、今までの人生に於いて数々の「発達障害児」と接する機会があった。
 故に、発達障害児(者)達と一言でいえどもその実態には大いなる“多様性”があることは熟知している。

 (本日のエッセイでは、既に20代半ばに達し曲がりなりにも社会人として⦅活躍?⦆している我が娘の事例を取り上げる事に関し本人の名誉を尊重し敢えて“小出し”にするが、我が娘もかなり“個性的”な部類ではあろう。)

 「発達障害児」の中で何と言っても一番問題なのは、他者に迷惑を及ぼす特質を持つ人材だろう。
 例えば、ADHD などは多動性があり落ち着きがない事で著名だが。 この児童が教室に一人存在するだけで教室内の風紀が乱れ周囲に迷惑を及ぼすため、教育現場ではその対応に困惑することであろう。
 あるいは、暴力気質がある発達障害者も困りものだ。
 当然ながら女子にもこの部類の子が存在するが、我が娘も某発達障害研究所内で人目が無い時に、この気質を抱える少女に殴る蹴るの被害を受けている。

 そうではなく他者に全く迷惑が掛からない「発達障害児」は、その存在が放置されてしまう危険性がある。 
 (まさに我が娘がこの部類だ。 世には、他者に迷惑が掛からないのならばそれは「障害」ではないとの見方もあるようだが…。 ところが「発達障害」と一旦名が付けば、それを放置しておけば脳が“退化の一途”を辿るのみであり、早期発見、そして幼少期からの支援は絶対に欠かせない。 脳医学分野の話をここで少し披露するならば、ヒトの脳とは生来的な要因に左右されるのはもちろんだが、発達期に於ける外部からの刺激(働きかけ)により目覚ましいまでの発展を遂げる可能性も秘めていて、既にそれが証明されてもいる。 要するに、人間の脳とは育つ環境により更なる「発展」を遂げ得るのだ! だからこそ、「発達障害児」の支援は今後も必須である!)

 冒頭に紹介した、15歳の少年に話を戻そう。
 この少年の「発達障害」の特徴とは、とにかく“手書きの文字が書けない”との事実に尽きるようだ。
 NHKの取材には少年一人で応じていたのだが、我が印象では「頭脳明晰」「自己表現力豊か」そして何と言ってもその「会話力」の程が素晴らしい!
 この少年が「字が書けない」!!?? 
 にわかには信じ難かったものの、実際にこの少年が文字を書く場面が映し出されて私は愕然とした。
 本当に書けない!!  のだ。 
 (娘のサリバン業を20数年務めている私にして、この種の「発達障害児」とは初対面だった。) 
 ただ、この少年が持って生まれた能力と、生後培って来た能力の両者の程が素晴らしい。 おそらく生育家庭環境に恵まれつつ、少年は発達を遂げたのであろう。
 それでも、やはり途中不登校に苛まれる歴史も経験してきた様子だ。
 少年曰く、「来年高校進学が待っているが、自分としては既に自分自身がある程度紡いできた“美術方面”への進出を目指したい」 
 ここで、残念ながら両親からの「No!」が噴出してしまった。
 少年は抵抗したものの……
 結果としては、ご両親の意向に従って通信制高校への進学を決定したようだ。

 我が娘の話題は控えると冒頭で宣言したものの……
 我が娘に関しては、我がサリバン指導に従い何のコネも無くして大学進学まで従順に歩んでくれた。 それが現在の娘自身の就職にも繋がった事は絶大なる事実だが。
 それもサリバンの私が娘の“真面目かつ勤勉”なる特質を幼少の頃より見抜きつつ方向性を指南し、二人三脚で共に歩んで来たからに他ならないと自負している。

 このNHK番組の少年の場合、未だ15歳にして我が娘よりもずっと高度な脳内思考力に恵まれていると私は推測する。
 どうして、そんな類まれな息子氏の脳内思考力に親どもが気が付かないのか!! 下手に「高校は出ておくべきだ」なる陳腐な一般論を持ち出すよりも、息子氏の潜在能力を見抜く事が先決問題だろうに…
 ただまあ、少年が進んだ道筋が「通信制高校」である事をラッキーとしよう。 (まかり間違って普通高校などへ行ったものなら、その貴重な能力が必ずや潰されるであろう嫌な予感がある… )
 おそらくこの「発達障害少年」は自由度が高い通信制高校を難なく通過して、更なる美術系大学進学を果たすことだろう。

 ただ、一般の方々からの「発達障害」とは障害でなく単に個性だ! との怒りの程も少し理解出来る気もする。
 発達障害児を取り上げたメディア番組で登場するのは、比較的豊かな家庭の子どもばかりではなかろうか??
 (我が家は決してそうではないが、娘の発達障害に母親であるサリバン自らが気付き、自宅内で支援可能な学際力ある家庭である事が幸いしているかもしれない…)

 その印象が庶民間で根強いが故に、我が国に於いては今の時代に至って尚、「発達障害」など障害ではない! なる反発が勃発するのだろうかと、少し悲しく考察したりもするのだが……

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバー「発達障害の特異性」よりほぼ全文を再掲載したもの。)

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 引き続き、時代を遡って 2009.03.29公開の「存在自体が迷惑??」を再掲載させていただこう。 

 今回の記事は、前回の「We can graduate!」の続編のような形になるのだが、事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育においてのみではない。
 事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育においてのみではない。
 子どもが持つ“事情”に対する周囲からの誤解や無理解に苦しめられる日々なのである。
 一般人からの誤解、無理解に関してはある程度やむを得ないものと、元より諦め半分である。これに対し、子どもをその道のプロとしての立場からケアし自立へと導くべく専門職である教育関係者や医学関係者等からの誤解、無理解は保護者にとって耐え難いものがある。

 今回の記事においては、その種の専門家からの度重なる誤解、無理解を耐え忍んだ我が子育ての歴史の一部について振り返ることにする。
 子どもの小学校入学前に我が家が「就学相談」に臨んだことについては前記事でも公開したが、この「就学相談」における教育委員会の担当者の発言内容を取り上げてみよう。

 前回の記事において既述した通り、我が子の場合、6歳時点までの家庭におけるケアが功を奏したのか、表向き(あくまでも表向きであるが)は事情を抱えていることに気付かれない程度にまで成長を遂げてくれていた。
 だが残念なことに、生まれ持っての“事情”とは本人がどれ程努力をしても完全に克服できるという性質のものではない。その辺の事情を、親としてはあらかじめできるだけ正確に教育委員会を通して今後お世話になる学校へ伝えておくべきだと考えたことが主たる理由で、入学前に「就学相談」に臨んだとも言える。
 医学関係の職業経験があり元教育者でもある私は、生後6年間の子どもの生育状況に関する医学的教育学的な科学的データと共に、6年間で私自身が培ってきた子どもの持つ事情に関しての専門的、学術的なバックグラウンドについて担当者に分かり易く説明しつつ、我が子の生育暦に関する私見を伝えようとした。
 ところが、定年を目前にしている教員経験もある女性の担当者は、私の話にはまったく耳をかさず、持参した子どもに関するデータ等の資料を見ようともしない。
 そしてその担当者は持論を述べ始めた。
 「障害児は障害児なんですよ。これは誰が見てもわかります。あなたの子どもさんは“普通の子”です。お母さんが勘違いしているだけで、この子には障害なんてありませよ。むしろ今時こんな“いい子”は珍しいくらいで、この子は十分に普通学級でやっていけます。」
 (親の私だって我が子は“いい子”だと思っている。出産時のトラブルさえなければ、もしかしたらこの子は非の打ち所がない程の“お利口さん”だったかもしれないとも思う。だた、それを思うと無念さが募るだけだ。現実を見つめて生きなければ親の役割は果たせないのに…)

 そして、担当者はこう続ける。
 「あなたの子どもさんは障害児ではないから言いますけど、今時の母親はなまじっか“学”があるばかりに、その“学”をひけらかして屁理屈を並べる事に一生懸命になっている。障害児とは『存在自体が迷惑』なんですよ。そんな障害児を自分が産んでおきながら偉そうにしていないで、社会に対して頭を下げるべきだ。障害のある我が子の人権を学校に尊重して欲しいのであれば、母親としてまずやるべきことは、入学する学校に頭を下げることだ。PTAの親御さん達に対して、“我が子が入学することで皆さんの子どもさんの足を引っ張って申し訳ない”と頭を下げるべきだ。」
 あなたに言われなくとも、そうしてきている。 特に幼少の頃程周囲に迷惑がかかるので、母の私はどこへ行っても頭を下げる毎日だった。幼稚園でも公共の場のどこでも「申し訳ございません。」の連続だった。家では人の何倍もの手間暇かけて育て、外では頭を下げてばかりの過酷なほどにストレスフルな日々だった。

 そんな過酷さの中にあっても、親とは子どもの成長を願いたい生き物なのだ。それ故に、愛情はもちろんのこと、今の時代は科学的専門的な理解は欠かせない。めくら滅法ケアをするよりも、専門的バックグラウンドに基づいてケアを行っていく方が高い効果が早く得られ、子どもの早期の自立に繋がるのだ。
 だからそこ、公開したくもないプライバシーをあえて公開して「就学相談」に臨んでいるのに、教育委員会がこれ程の野蛮とも言える低レベル状態では話にならないどころか、傷を深められただけの面談に終わった。

 「障害児は存在自体が迷惑だ。」
 そう言い切った担当者を擁する教育委員会が管轄する小学校に入学させる事は、我が子を谷に突き落とすよりも残酷なことのように思えた。4月の入学までの短期間で、小学校入学を取り止める手段を本気で模索したものである。
 こうやって打ちひしがれた思いで、義務教育であるためやむを得ず公立小学校へ入学させた我が子であるが、スタート時点の1、2年生時の担任の先生に恵まれ正しい理解が得られたこともあり、我が子はさらに成長を遂げていくことになる。

 そして何よりも我が子の場合、生来の素直さ忍耐強さと共に、サリバン先生(私のことであるが)の厳しい教育の成果もあるのか、公共心や年齢相応の倫理観を備えた礼儀正しい子どもに育ってくれている。
 そういった子ども本人のプラスの持ち味が幸いして、我が子は今後も将来の自立に向けてさらなる成長を遂げ続けてくれることであろう。
 
 
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 最後に、現在の原左都子の私見を述べよう。
 
 「発達障害児」に関して、今現在は一昔前に比し、学校現場に於いてその理解が急激に進んでいる様子である。
 そのためまかり間違っても学校現場の教育担当者間では、「発達障害」に関する“誤解”や“無理解”は無いものと信じたい。
 一方、一般市民間に於いてはその理解が進んでいないような感覚を機会ある毎に抱く。
 
 「発達障害」の種類にもよるが。 
 上記1本目のエッセイにても記したが、例えば「ADHD」等のようにその行動様式が特異的で目立つ場合は、その理解が得やすいようだ。 我が娘の小学校のクラスにもそれに該当する子供が在籍していたが、例えば参観日でその子を一見したのみで、(ああ、発達障害児だ…)との感想を抱いたものだ。
 それに比し、我が娘の特質のごとく「極度寡黙性・無反応性」(弛まぬサリバン指導により現在までに大改善しているが、やはりその特質のすべてを消し去る事は残念ながら不能だ。)の場合、目立ちにくい故に命拾いか?と思いきや。  決してそうではなく、子供達間では容赦がなかった。 特に幼稚園時代から小学校低学年頃まで、その弱点を突かれてどれ程のいじめに遭ったことか。 やむ無く転居により転校し、いじめから“逃げる”との強硬手段をとる等の苦労を味わっている。
 今現在、我が娘は一応正社員として中小企業に勤務し、娘なりに精一杯頑張っている。 ただ、本音を言えば今の時代においては、既に娘の「発達障害」は職場内でバレているであろうとサリバンの私は推測している。 おそらく本人の仕事に対する人一倍の努力と真面目さ故に、周囲の暖かい陰なる応援に支えられて娘の就業が成り立っているだけの話であろう。 それでも親としては(いつ首になるのか??) と常にビクビクものであり、それに備え娘が将来的に“食っていける”財産の蓄積に余念がないのが実態だ。
 
 我が娘の実態を語り過ぎてしまったようだが。
 
 実際問題、「障害」と名の付く子供を授かったしまった家庭は、一生涯に渡りその支援に躍起にならざるを得ないのが実情だ。
 
 それでも、我が子とは何にも増して可愛いのも親の本音だ。
 何処の「発達障害児」を持つご家庭も、その思いは我が家同様だろう。
 
 どうか皆様、そんな家庭が抱える苦労の程を少しは推し計って頂き、少なくとも「発達障害なんて大嘘で、単に家庭での育て方が悪いんだよ、育つ環境すら整えれば解決する問題だよ」なる無責任発言をくれぐれも慎んでいただけますように……
 
 
 実に腹立たしいのですが、この不具合はどうやらgooの都合によるようです。
 
 明日以降に、このエッセイに関する我が最終の私論を述べさせていただきたく思います。
 
 もう、いい加減にしてよ!とgoo相手に怒りをぶちまけたい!!

何故か我がブログ画面に不具合が発生しております。

2019年09月26日 | その他オピニオン

 先程公開した「発達障害に関する正しい理解をお願いしたい」と題する我がエッセイに、現在不具合が発生している様子です。

 少し回復を試みましたが不能状態ですので、一旦削除させて頂きます。

 これから復旧作業を実施いたしまして、記事の完全復旧が叶いましたら再度公開致します。

 既に「いいね!」を頂戴している立場として誠に恐縮ですが、再度の公開をお待ち頂けましたら幸いです。

 

 その後少し理解出来た気もします。

 要するに、私が公開した「発達障害エッセイ」に何らかの言論統制が機能しているのでは…

 と感じたりもするのですが。 

 まあそれは私の被害妄想として。

 私が最後に述べた私見のみを、ここでコピーさせて頂きましょう。

 

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 最後に、現在の原左都子の私見を述べよう。
 
 「発達障害児」に関して、今現在は一昔前に比し、学校現場に於いてその理解が急激に進んでいる様子である。
 そのためまかり間違っても学校現場の教育担当者間では、「発達障害」に関する“誤解”や“無理解”は無いものと信じたい。
 一方、一般市民間に於いてはその理解が進んでいないような感覚を機会ある毎に抱く。
 
 「発達障害」の種類にもよるが。 
 上記1本目のエッセイにても記したが、例えば「ADHD」等のようにその行動様式が特異的で目立つ場合は、その理解が得やすいようだ。 我が娘の小学校のクラスにもそれに該当する子供が在籍していたが、例えば参観日でその子を一見したのみで、(ああ、発達障害児だ…)との感想を抱いたものだ。
 それに比し、我が娘の特質のごとく「極度寡黙性・無反応性」(弛まぬサリバン指導により現在までに大改善しているが、やはりその特質のすべてを消し去る事は残念ながら不能だ。)の場合、目立ちにくい故に命拾いか?と思いきや。  決してそうではなく、子供達間では容赦がなかった。 特に幼稚園時代から小学校低学年頃まで、その弱点を突かれてどれ程のいじめに遭ったことか。 やむ無く転居により転校し、いじめから“逃げる”との強硬手段をとる等の苦労を味わっている。
 今現在、我が娘は一応正社員として中小企業に勤務し、娘なりに精一杯頑張っている。 ただ、本音を言えば今の時代においては、既に娘の「発達障害」は職場内でバレているであろうとサリバンの私は推測している。 おそらく本人の仕事に対する人一倍の努力と真面目さ故に、周囲の暖かい陰なる応援に支えられて娘の就業が成り立っているだけの話であろう。 それでも親としては(いつ首になるのか??) と常にビクビクものであり、それに備え娘が将来的に“食っていける”財産の蓄積に余念がないのが実態だ。
 
 我が娘の実態を語り過ぎてしまったようだが。
 
 実際問題、「障害」と名の付く子供を授かったしまった家庭は、一生涯に渡りその支援に躍起にならざるを得ないのが実情だ。
 
 それでも、我が子とは何にも増して可愛いのも親の本音だ。
 何処の「発達障害児」を持つご家庭も、その思いは我が家同様だろう。
 
 どうか皆様、そんな家庭が抱える苦労の程を少しは推し計って頂き、少なくとも「発達障害なんて大嘘で、単に家庭での育て方が悪いんだよ、育つ環境すら整えれば解決する問題だよ」なる無責任発言をくれぐれも慎んでいただけますように…… 

人を「暗い」と蔑みつつ後指をささなくなった時代だが…

2019年09月25日 | 人間関係

 一時前の、我が国の社会風潮として。

 身近な他者に対して平然と「暗い」と後指を刺す時代が、我が国に於いて確かに存在していた事実を私は今尚記憶している…

 そんな侘しさを悲しく思った私は。

 過去に我がエッセイ集にて「人間は明るくあるべきか?」と題するエッセイを公開してしている。

 当該文章を我が娘の大学時代にレポートして提出させているため、以下にそれを反復させて頂こう。

 

  本レポートの趣旨は、○○先生が「社会心理学」において講義された多種の心理学理論の中から、第6回「ステレオタイプ」~第11回「対人魅力」の内容に関連すると私が判断する具体例を記した題材を取り上げ、講義との関連について述べることにある。

 私が今回取り上げる題材は、原左都子著「原左都子エッセイ集」である。 これは、私の母である著者 原左都子(ペンネーム)が2007年9月よりネット上に公開しているエッセイ集であり、その内容は時事等の社会問題など題材を幅広く取り上げてそれに対するオピニオン論評をエッセイとして綴ったものである。

 上記エッセイ集「人間関係カテゴリー」バックナンバーから、2008年8月公開の「人間は『明るく』あるべきか?」と題するエッセイの一部を取り上げ、○○先生の講義内容との関連について述べたいと思う。 参考のため、これは著者である母が当時中学生だった娘の私の事を綴ったエッセイでもあるのだが、早速その内容を以下に要約して引用する。

 <自宅での昼食時間帯に放送されているテレビドラマに“涼子”という役名の中1少女が登場するのだが、これが我が家の中学生の娘に瓜二つであり、とても他人とは思えず私は涼子の母になった気分だ。 涼子は素直で真面目な女の子である反面、寡黙で自己表出が下手なところがあるため、周囲から“暗い”イメージを持たれている。この“暗い”涼子を何とか明るくしようと(私に言わせてもらうと余計な)お節介を周囲が焼くとのドラマ設定だ。その後涼子は級友とダンスに親しむ等により少しずつ明るくなるとの、よくある陳腐なストーリー展開だ…。 ここで私はどうしても「待った!」をかけたい。涼子は「明るく」なければならないのか? そもそも涼子は「暗い」のか? 私の目には涼子が登場した当初「興味があるものは?」との質問に、消え入りそうな声で「ドストエフスキー…」と答えたそのままで、涼子は十分魅力的な存在なのだが…。 涼子風の娘を持つ親としては、軽はずみなドラマ作りこそ勘弁願いたいものだ。 まず「明るい」「暗い」とは如何なる概念であるのか? 人間集団現場において主観的表現で安易に語られるそれらの用語の分析から、人の上に立つと自覚する人間は考察し直す必要もあろう。とりあえずは、ドラマの涼子も我が娘もそのままでありのままで十分に素敵な女の子だよ。>

 母が上記エッセイをネットで公開して後数年の年月が流れている。 私が大学生になったらその種の事象を学問レベルで分析できるよ、とずっと言い続けている母でもある。

 人間は「明るく」あるべきか?との問題提起の根源的発想は、○○先生が講義された「ステレオタイプ」理論や「自己開示と自己呈示」理論内での分析対象と捉える。 それはともかく、私は○○先生が講義要録の最後に記して下さっている「自分自身に対して心配しすぎないでね」や「なんでも適材適所。自分の性格をよく把握してアピールの仕方を考えよう」等の言葉に励まされている一学生であることには間違いない。

 (以上、我が娘が大学生時代に、レポート課題として提出した文書より引用したもの。)

 

 まさにその当時は、他者に対して「暗い」と蔑むマイナスの人間関係がまかり通っていた。

 じゃあ、一体「明るい」って何なのか? そもそも人間は明るくあらねらならないのか!! との大いなる反発心を抱きつつ我が「原左都子エッセイ集」にてそのテーマのエッセイを公開したものだ。

 それを、我が娘が大学から課せられたレポート課題として提出したとの訳だが。

 

 その後10年足らずの年月が過ぎ去り…。 

 そう言えば、この世は既に「明るくあるべき」とのポリシーを忘却して長年が経過している気もする。

 むしろ下手に笑顔を作ると「慎め!」との暗黙のお叱りを受ける程に、世は全体的に「暗く」成り下がっている印象すら受ける…

 これを「進化」と受け止めるべきか…

 常に他者に対して笑顔で対応したい私など、大いなる抵抗感を抱くのに加えて…

 本来自由であるべき人の表現であるはずなのに。 それすら受け入れられない世の中に移ろいだ現在。

 何だか、恐ろしい社会に成り下がりつつある現実を憂えるのだが…    


電波時計の正確さに感動!!

2019年09月24日 | 雑記

 (写真中央は、最近購入した“電波時計”。)

 

 まず、写真の説明からさせて頂こう。

 中央が、最近購入した電波掛け時計。

 その左は、娘が中学3年時に制作した油絵 「空間と共存する静物」。

 時計の右は、娘が中学2年時に制作した油絵 「過ぎ去りし夏のノスタルジー」。

 (参考だが、油絵の題名は原左都子が命名。 更に参考だが、中1時に娘が制作したアンティーク地球儀のギリシャを中心に描いた作品には「古代ギリシャは永遠に…」と名付けた。 その前の作品「アンスリウム」は娘本人が命名。 (すべて、娘が油絵指導いただいた美術家長はるこ先生主宰の造形絵画教室より、東京芸術劇場ギャラリーに一定期間展示して頂いた。 その後に我が家に展示している。)

 左下に映っているのは、私が日々愛用している “ぶら下がり健康器具”。 継続力ある私は、日々必ず数回これにぶら下がっている。 (側彎症補正目的で購入したがなかなか補正出来るものでは無く、我が身体は相変わらず腰から上が左に傾いていてバランスが悪い。) ただ、これにぶら下がるとスッキリとして気持ちが良い。

 外の風景は、我が家の南面バルコニー方面からの展望。 新宿副都心より直線距離で約4~5kmだが、晴れた日には超高層ビル群が間近に見渡せる。 我が家への来客は、まずはこの展望の良さに驚いてくれる。

 

 さて、電波時計に話題を移そう。

 そもそもこの場所には、結婚記念に頂いたからくり時計が掲げられていた。

 頂いた当初は嬉しくて、毎時クラシック音楽と共にからくり人形が回転するのを楽しみにしていた。 ただ、あの種の装置とは飽きが来るのも早いもので、そうなると毎時の音がうるさいだけだ。 思い起こすにわずか1ヶ月程でからくり装置を停止させて、現在に至っている。 

 しかも高額そうな割には、新品の時から“進む癖”があってそれが最近まで続いた。

 それを直すのは決まって私。 1年に2~3回の頻度で壁から外し、時間を直しただろうか。

 もういい加減にして欲しいと思い始めたのが、やっと1ヶ月前程のことだ。 気が付けば26年近い年月が流れていた。

 早速買え替えるにあたり、娘制作の左右の油絵作品の“邪魔”にならないデザインの時計を亭主が探し、写真の時計と相成った。 

 その目的は十分に果たされた。 確かに、控えめな色合いとデザインが油絵作品の存在を引き立たせている。 (その分、時間が見えにくいとの欠点もあるのだが、これで十分だろう。)

 この時計は“電波クロック”なのだが、我が家で電波時計を購入したのはこれが初めてである。 亭主と自動で時間合わせが成されるのを観察しつつ、定時で時計が止まった時に感激して拍手喝采したものだ。

 

 ここで、「電波時計」の原理について少しだけ述べよう。

 情報通信研究機構(NICT)が運用している時刻情報を乗せた電波(標準電波と称するが)が国内2ヵ所の送信所からそれぞれ異なる周波数で送信されている。 その送信所は福島のおおたかどや山と九州はがね山に存在するが、何れか受信し易い電波を自動的に時計が選択し受信するとのことだ。 

 いやいや知らぬ間に科学技術とは急速な発展を遂げているものと、やたらに感動させられる。 ただし他の電波(高圧線、テレビ塔、電車の架線、その他諸々)の影響も受けやすいとの事で、時計の置き場所を考慮せねばならない、との注意書きもある。

 この説明書きを読んで、改めて我々が暮らす地球上の空間とはありとあらゆる電波が交錯している現況下にある事実を再確認させられる。 

 如何なる科学分野に於いても、効用と副作用がせめぎ合うものだが…

 まあここは深く思慮し過ぎる事無く、とりあえず電波クロックのお世話になろうじゃないか。