原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「明日(9月2日)学校へ行きたくない子に贈るメッセージ」

2019年09月01日 | 教育・学校
 例年長い夏休みが終わるこの9月1日前後は児童・生徒の「自殺多発特異日」であるとの情報を、2年程前にメディアにて発見した。

 その報道を受けて記したエッセイが、2017.08.31付「明日9月1日学校へ行きたくない子に贈るメッセージ」だ。


 早速同じく学校嫌いだった原左都子より、そんな心に不安や重荷を抱える子供たちのために、当該エッセイを以下に再掲載して届けよう。

 8月31日って、ホントに嫌な日だね。 1年365日の中で一番憂鬱な日だよね。
 この私も同じだよ。
 幼稚園から大学2回・大学院と人よりも随分と長~~い期間学校へ通った人間なのだけど、特に幼稚園から高校まで、8月31日ほど嫌な日はなかったよ。

 私の場合は特にいじめられていた訳ではないんだ。 そういう意味では、いじめられているから学校へ行くのが嫌な子達とはその理由が若干違っていて、申し訳ないんだけど…

 私の場合は、とにかく「集団生活」がとことん嫌だった。
 学校の都合で勝手にクラス分けされるが、生徒にとっては決して自発的に選んだ仲間達ではないよね。 その集団の中で、「皆で仲良くせよ!」とセンコーから強制される。 所詮無理がある。
 もちろん好きな子もいて仲良くしたよ。 ただその他大勢は、こちらが好んで一緒に過ごしたいと言った訳じゃない。 はっきり言って、どーでもいい連中ばかり。 中には乱暴ものがいたりして大声で叫んだり暴力を振るったりで、静かに過ごしたい私としてはその騒々しさにイライラさせられる。
 センコーのほとんどは、ヒステリックな金切り声を挙げたり生徒を大声で罵倒する。 あるいは、「いい子」をえこひいきして、静かで大人しい子にはこれラッキーと無視を決め込み、ただの一度も話しかけても来ない。 この私もその部類だったかなあ。

 第二次反抗期に入った小学校高学年から、自らに主体性が育ってきた私の「学校嫌い」は更に度を増した。 ただ、その内面から湧き出る反発心に助けられ、私は“ものを言える”子に育った。
 友達に対する好き嫌いが激しくなり、また、公然とセンコー批判を出来るまでに成長した。 そのように反発心を表に出す私をバッシングする生徒も発生し、我が学校での態度が大きく変容し始めた。 
 私の場合決していじめられはしなかったが、私の存在を嫌う仲間が増え始め、特に小学校高学年から中学生の頃は学校での居心地が悪くなった時期もあった。 ただ常に主体性を失わなかった私は、学業にもその他の活動にも積極的に励み良き成果を上げて中学を卒業し、その後高校、大学・大学院へと進学するとの道程を歩んだ。

 2度目の大学及び大学院修了後、30代後半期に高校教員を経験したのだが、その時にも8月31日はとてつもなく憂鬱だった。
 いい大人にして、これはどうしたことかと自己分析したのだが、どうも子供時代のトラウマがいつまでも残っているものと結論付ける。  長い夏休み中に学校という「集団の場」から一時離れ、100%自分の自由意思で主体的に羽ばたける1ヶ月半の期間を経験すると、「学校」という場がまるで四角四面の監獄のように思えてしまうのだ。  誰かに獲って食われる訳ではない事は頭では分かっているのに、それ程の嫌悪感を抱かされるほど「集団嫌い」の私だ。
 
 ましてや「いじめられている子」にとっては、学校へ行くという行為は地獄に落とされるよりも厳しい現実であろうことが想像出来て余りある。
 夏休み中だけは「いじめっ子」から縁を切れて解放されていた事だろう。 ところが、9月1日は無情にもやって来る。
 もう逃げ場がない。

 私が貴方の親ならば、「学校へ行かなくていいよ」と言ってあげるだろう。
 実際、私の娘が小学生の時いじめ等々で担任との間にトラブルが発生した際、親の私が積極的に学校を休ませるとの抗議行動を取った。 その後学校長との話し合いを通過し、解決に持ち込んだとの事件もあった。

 私が貴方の親ならば、絶対にあなたを助ける! 
 何をかなぐり捨ててでも、一番大事な我が子であるあなたを守り抜く!

 きっと、あなたの親御さんも気持ちは私と同じだと思うよ。
 それでも、口ではあなたに「学校へ行け!」と言ってしまうのかな?  私のように、学校長との話し合いを通し解決に持ち込むなる行動をとる親は今でも少数派なのかな。

 後半日過ぎたら、明日は無情にも9月2日だ。

 どうしようか? 明日は休もうか、それとも思い切って行ってみようか??

 いじめ等の特別な事情が無い場合、思い切って行ってみたら、心配したほどに学校などなんてことはなくて“へのかっぱ”だったりするかもしれない。
 この私の場合、その類だったかもしれなくて、ごめんなさい。

 「いじめ」等深刻な課題を抱えている子の場合、そうは言ってられないよね。
 それは十分に理解出来ているつもり。
 どうしてあげたらいいのだろう。 私も苦しく辛い。

 ただ、これだけは覚えておいて。
 何の力にもなれないけど、本気であなた達の逃げ場のない心情を思い、心配している大人もいるという事を。

 (以上、本エッセイ集 2017年8月31日付バックナンバーを再掲載したもの。)



 話題を、2019年9月1日の今現在に移そう。

 今年の場合、本日9月1日が日曜日だった事実がワンクッションとなり、ほんの少しだけでも学校へ行きたくない子供達の心の救いとなったのではあるまいか?

 明日学校へ行きたくない子達がもしも親にそれを相談したとして、やはり「何を言ってるの! 行きなさい!」の返答しか返って来ないのだろうか??
 
 ただ、私の場合などもっと悲惨で、子供の頃それすら言わせて貰えない家庭環境だったんだよ。
 両親がずっと共働きで、親の頭には子供は当然学校へ行くとの既成概念しか無い。 それを幼き頃より脳内に刷り込み学習させられていて、毎朝誰にも苦悩を告げる事も叶わず、重い脚を引きずって誰よりも真面目に学校へほぼ皆勤賞で通ったものだ。
 
 そんな私だったからこそ、第二次成長期頃に“大反発心”が自然と湧き出てきたものと分析する。
 “いじめ”と“反発心”との相関に関しては考察した事はないが。 もしかしたら第二次成長期頃に私のごとく“大反発心”が勃発した子どもとは、いじめられずに済んだのかもしれないし…。(その代わり周囲から嫌われたけどね…  ただ今思うにそっちがずっとマシだと確信するよ。)

 話題が私自身に戻ってしまって恐縮だが。

 もしも明日どうしても学校へ行きたくない子がいるとして、一番の助っ人であるあなたの親が「行け!」としか言わない貧弱さであるならば。

 今の時代は、テレフォン相談等が各所で発展していると聞く。
 それに相談してみてはどうだろうか?
 おそらく専門家が話を聞いてくれて、適切な判断の下に解答をくれると思うよ。

 とにかく、自殺するのだけはやめて!
 切羽詰まった貴方を救いたい人間はこの世に沢山存在すると信じて!

 何の力も無いが、この私もその一人だ!
 明日学校へ行く事など二の次、三の次でいいから、とにかく生きよう!